第10話 賑やかな日々へ

 茨木童子いばらきどうじはすっかり酔っ払って床で寝込んでしまった。背が高く体格も筋肉質なので、リビングダイニングはすっかりとせせこましくなってしまった。


 渚沙なぎさは茨木童子を踏まない様に気を付けながら使い終わった食器をキッチンに運んで手早く後片付けをし、温かいほうじ茶を入れて、食後の一息を吐く。


「渚沙ちゃんごめんねぇ〜。茨木は引きずってでも連れて帰るからねぇ〜」


 やはり葛の葉くずのはは悪びれずに言う。葛の葉は細身でとてもスタイルが良い。その細腕でがっちりした大人サイズの男性が運べるのか疑問になるが、きっと葛の葉には渚沙が想像も付かない力が秘められているのだろう。


「久々のお酒で羽目を外したのだカピな。情けないカピ」


 辛辣なたけちゃんに、葛の葉は「まぁまぁ〜」と穏やかに取りなす様に言う。


「しばらくおとなしくしとって、ほんまに久々のお酒で楽しかったと思うんよ〜。大目に見たってあげたいわぁ〜」


「ま、葛の葉が責任持って連れて帰るのなら良いカピ」


「あたくしには何の責任も無いんやけどね〜」


 確かに。茨木童子が勝手に飲んで自爆しただけである。だがこのまま放置されてしまっても困ってしまう。起きれば勝手に大仙陵だいせんりょう古墳に帰るだろうが、いくらあやかしとは言え、いや、あやかしだからこそ、ひとつ屋根の下で一夜を明かすのは怖さを感じる。


 これまでは害の無かった茨木童子であるが、渚沙と、人間とふたりきりになってしまったらどうか。竹ちゃんが大丈夫だと言っていたのだとしても、一応茨木童子も男性である。そして鬼だ。どうなるか予想もつかない。


「葛の葉さん、よろしくお願いします。私じゃどうにもできひんので」


 渚沙が丁寧に頭を下げると、葛の葉は「あら」と目を丸くし、次にはころころと笑う。


「大丈夫よぉ〜。ほら、今あたくしと茨木、私の尾っぽで繋がってるでしょ〜。それで引きずれんの。結構便利やねんよ〜尾っぽ」


 と言うことは、本当に文字通り引きずって連れて帰ると言うことか。茨木童子は地面などで擦れて怪我などしないのだろうか。


 渚沙がそれを言うと、葛の葉は「そんなん知ったこっちゃあれへんわ〜」とまたからからと笑った。渚沙は呆気に取られてしまう。


「渚沙、あやかしはこういうものカピ。人間なら心配することも、あやかしには意に介さないことが多いのだカピ。だから渚沙も気にすること無いカピ」


「そうなんや……」


 あやかしにはあやかしの価値観がある。きっと人間と相入れない部分もあるのだろう。それもそうだ。生きて来た時代、環境がまるで違うのだから。そもそも心のあり方だってきっと違うのだ。


「それはそうと渚沙ちゃん、あなた、ここでひとり暮らしなのかしら〜」


「そうです」


「寂しくなぁい〜? ほら、あたくしも元々はひとり暮らししてたんやけど、特にねぇ、童子丸どうじまると離れ離れになった後は寂しくて〜」


「童子丸?」


 初めて聞く名前に、渚沙は首を傾げる。


安倍晴明あべのせいめいの幼名だカピ。葛の葉は人間との間に子ども、童子丸をもうけたのだカピが、夫に正体がばれて去らなければならなかったのだカピ」


「ああ」


 確かに自分の子どもと離されて暮らさなければならないのは、悲しいことだろう。それは子どもの立場であっても。今の渚沙も両親と離れて暮らしているが、これは自立である。事情がまるで違う。


「寂しい、とはあんま思わんですけど、誰かと一緒やったら楽しいなぁて思いますねぇ、今夜みたいに」


 すると葛の葉が、と妙案を思い付いたと言う様に「そうや」と両手をぽんと打った。


「それやったらねぇ、竹子たけこちゃんをここに住まわすんはどうかしら〜」


「カピ?」


「へ?」


 竹ちゃんの怪訝な声と渚沙の間抜けな声が重なった。


「何でカピか」


 竹ちゃんが眉、は無いので目元をしかめて言う。


「だぁって〜、竹子ちゃん、たこ焼き気に入っていたみたいやからぁ〜」


「確かに竹子はたこ焼きが好きだカピが」


「ここに住んだら、毎日食べられるんじゃなぁい〜? ねぇ? 渚沙ちゃん」


「え、そりゃあ、まぁ」


 定休日以外は毎日焼くものだし、どうしても売れ残りは出てしまう。竹ちゃんが食べてくれるなら助かるが。しかし葛の葉の提案は突飛なものではある。あやかしと暮らすことに、リスクは無いのだろうか。でも竹ちゃんなら大丈夫だろうか。


 しかし、日々カピバラが見られる、もふれる生活か……。渚沙は想像を膨らます。それはとても楽しそうではあるのだが。


「毎日食べられたら嬉しいカピが、渚沙に迷惑だカピ」


 竹ちゃんはそんな殊勝しゅしょうなことを言う。


「私はかまわへんで、竹ちゃん。でもなぁ、ふたつ問題があってなぁ」


「何カピか?」


「あやかしと暮らして、何か問題とか影響とか出ぇへんもんなんやろか」


 竹ちゃんは考え込む様に首を捻る。


「どうだろうカピか。これまでも前例が無かったわけでは無いカピが……。でも竹子は生身のカピバラからあやかしになったから、基本カピバラのままなのだカピ。だからそれは大丈夫だと思うのだカピ」


「そっか。もうひとつはな、サイズやねん。うち、そんな広く無いから、成人っちゅうか、おっきなカピバラやったら暮らしにくいんちゃうかなぁ」


 大人のカピバラはなかなかなサイズ感なのである。中型犬ぐらいだろうか。もちろん大人の人間に比べたら小さい。2本足で歩けるのなら、子どもぐらいだろう。だがカピバラは基本4足歩行だ。大人だと小回りが利きづらそうである。


 現に今、屈強とは言え茨木童子が床で寝ているだけでスペースが限られてしまっているのである。


 この家で食べ物商売をしていることもあって、犬や猫など毛が抜けやすい動物の飼育は難しいだろうと思っていた。だがカピバラの毛はしっかりしているので、抜けたとしても分かりやすいのでは無いだろうか。それにイメージではあるのだが、抜けにくそうだ。


「ああ、それなら問題無いカピ」


 竹ちゃんがそう言うや否や、みるみるその身体が縮んで行く。渚沙は驚きであんぐりと口を開けてしまう。すると竹ちゃんはあっと言う間に仔カピバラに変身した。


「ええーーー!?」


 渚沙が叫び声を上げると、竹ちゃんはしれっとした表情で2本足で立ち上がった。渚沙は驚かされっぱなしである。


「竹子はあやかしカピ。見た目の年齢を変えることができるのだカピ。それぐらいの力ならあるのだカピ。これなら小さいカピ」


 竹ちゃんはそう言いながら渚沙を見上げる。驚いた。それはもうびっくりしたのだが、仔カピバラを前に途端に別の感情が芽生える。


「……可愛い〜!」


 見たものの驚きと庇護欲との感情が綯い交ぜになって、渚沙はどう行動して良いのか分からなくなり、だが竹ちゃんの可愛さに抗えず、思わず力一杯抱き締めてしまった。


 ごわごわだった毛も滑らかになり、幼くなった顔と相まって、愛らしさが爆発だ。渚沙は生で仔カピバラを見るのは初めてだった。こんなに可愛らしいものだったとは。語彙力はとうにすっ飛んでいた。


「こんなん一緒に暮らしたら絶対癒されるやんめっちゃ可愛いやん何やこれ!」


 渚沙があまりのことに一息で言い切ると、竹ちゃんは賞賛されているのに慣れているのか平然と「ふむ」と頷いた。


「なら、世話になることにするカピか。渚沙もそれで良いカピか?」


「ええ、ええ、全然ええ。これからよろしく、竹ちゃん!」


「ふむ、よろしくカピ」


 竹ちゃんの可愛さに押し切られた様な形になったが、こうしてぐっだぐだに渚沙と竹ちゃんの同居が決まったのである。


「ほな竹子ちゃん、渚沙ちゃん、お幸せに〜」


 晴れやかな表情でそんな言葉を残し、葛の葉は本当に尾っぽに繋がれた茨木童子を、どこか楽しそうにずるずると引きずって帰って行った。


 ほんまに大丈夫なんかあれ。渚沙はそう思いつつも葛の葉と茨木童子を見送り、竹ちゃんと目を合わせて肩をすくめた。


「竹ちゃんは私との同居、ほんまにええん?」


「良いカピよ。こちらこそよろしくカピ」


「うん。よろしくね!」


 賑やか、とは言わないまでも、楽しい日々になりそうだ。渚沙は胸を躍らせた。


 そして同居を始めて少しして、竹ちゃんは渚沙の動きを見て家事を覚え、渚沙の仕事中に請け負ってくれることになった。外から見えない様に部屋中のカーテンを閉め、洗濯物はもともと部屋干しだったので大丈夫。竹ちゃんはお掃除も丁寧である。お料理だって覚えてしまった。


 すると茨木童子と葛の葉が、竹ちゃんがいるからと言う理由で、「さかなし」定休日以外の毎夜、入り浸る様になったのである。


 静かなひとり暮らしが一転、騒がしく楽しい日々に変貌したのであった。

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