2章 渚沙と竹ちゃんの出会い
第1話 初対面は劇的に
それは桜の季節、春のことだった。1駅隣の長居駅にある長居公園にはたくさんの桜が咲き誇り、訪れる人々の心を癒していた。
焼き人が変わったわけだが、ご常連の多くは孫である渚沙のことを知ってくれていて、幸いにも離れることは無かった。
だからこそ、「もうちょっと表面かりっと焼いた方がええで」とか、「保温の温度もっと下げた方がええで。中がすっかすかになるやろ」など、遠慮の無いアドバイスをくれた。
長年「さかなし」のたこ焼きを食べてくれるご常連には、渚沙などよりよほど詳しい知識人がいたりもした。お祖母ちゃんが焼いているのを見ているうちに、加減を覚えてしまったのだろう。
人によっては余計なお世話だと取られるかも知れないが、これが大阪の人情とも言えるのだ。もちろんご常連のお好みも加味されているのだが、まずはその方々に美味しいと思ってもらわなければ意味が無いので、渚沙は素直にそれらを取り入れながら奮闘した。
それは、今現在から1年ほど前のことである。
『大仙陵古墳に、野生のカピバラが棲み付いている』
そんな噂がネットなどで囁かれる様になった。
大仙陵古墳の最寄り駅はJR阪和線の百舌鳥駅である。「さかなし」のあるあびこには、大阪メトロの駅からは少しばかり離れるが、阪和線の我孫子町駅がある。そこからなら電車1本で行けるのである。
そんなお手軽さもあって、好奇心をくすぐられた渚沙は「さかなし」の定休日を利用して見に行ってみることにした。
かつて目撃情報があった沖縄ならともかく、大阪で野生のカピバラなんて眉唾物ではある。百歩譲ってヌートリアを見間違えたのでは無いだろうか。
ヌートリアはカピバラと容姿が似ていて、良く勘違いされてしまう動物である。ここ近年西日本を中心に野生の生息域が広がっているそうだ。
カピバラとヌートリアの見た目の大きな違いは、尻尾の有無である。カピバラには無いが、ヌートリアはひょろっと長いものを持っている。それが見分けるのに役立つだろう。
渚沙は視力が悪いわけでは無いが、遠くのものはさすがに判別しづらい。なので小型の双眼鏡を用意した。今や通販で2,000円ぐらいで入手可能だ。コンパクトに平たく折り畳めるもので、バッグにもすんなりと入ってくれる。
カピバラやヌートリアは水辺に棲まう動物である。なのでいるとするなら古墳を取り囲むお濠の部分だろう。
百舌鳥駅に降り立ち、地図アプリを頼りに初めての道を10分ほど歩く。すると徐々に林の様な森の様な、豊かな緑が見えて来た。
「……これか」
果たしてその緑が、大仙陵古墳そのものだったのである。正面に木造りの拝所があり、その向こうの小島に緑の木々が広がっていた。そう、正面から見た大仙陵古墳はひとつの小さな島なのである。
WEBなどで見る写真は、そのほとんどが空から見下ろす様に撮られたものだ。だから鍵穴の様な形状がはっきりと見て取れる。
周りに住宅なども写っているのだが、そのサイズ感がいまいち把握できなかった。だがこうして正面から見ると、それは広大な森である。
「凄いなぁ」
渚沙は目を見開いて感嘆する。平日の午前中だからか、観光客は少なかった。数人が拝所付近からスマートフォンなどで写真を撮ったりしている。外国人観光客もいた。
大仙陵古墳は小学校の教科書にも掲載されている、有名な古墳である。渚沙はあびこで育ったので、家からそう遠く無いところにそんな墓所があることは、不思議な感覚だった。
大人になって自由に行動ができる様になってからも、こちらに来る機会はあまり無かったので、こうして直に見るのは初めてだった。
堺東、最寄り駅が南海電車の堺東駅にある堺市役所の21階展望ロビーからは、堺市の街並みとともに、大仙陵古墳を始めとする数カ所の古墳が見えるそうである。大阪市民である渚沙はやはり、行く機会は無かった。
大仙陵古墳のお濠は3重になっていて、古墳そのものからいちばん近いお濠は木々に阻まれて見ることはできない。そして拝所から見えるのは第2のお濠のほんの一部である。渚沙はその拝所から身を乗り出す様にして、くまなく視線を巡らせた。
すると目の端になにやらうごめく様なものを捉えた。たすき掛けにしていたバッグから双眼鏡を取り出して、素早く組み立てて覗いてみる。すると茶色い動く物体がいた。
(ほんまにおった!)
渚沙は興奮し、引き続き双眼鏡越しにその生き物らしきものを見つめる。確かにカピバラの様な、ヌートリアの様な。見分けは尻尾の有無である。だがヌートリアの尻尾は細いものなので、望遠鏡越しでもはっきりと確認することができなかった。
(まぁ、多分ヌートリアやろうけど)
カピバラはさすがに現実的では無い。ヌートリアと仮定して、ヌートリア(仮)は水辺をのんびりと歩いていた。結構な急斜面だと言うのに、見事なバランス感覚である。
正面に向かって歩いて来ているので、どうにかその顔が見える。そうして見るとカピバラにも見えるが、いや、やはりこんなところにいるわけが無い、と心の中で打ち消しつつ。
その時、ヌートリア(仮)が顔を上げた。その瞬間、目が合った様な気がした。望遠鏡越しとは言えまだそれなりの距離があるので、本当に気のせいだと思うのだが。
するとヌートリア(仮)が水の中に入る。そのままこちらに向かってまっすぐに泳いで来た。優雅な泳ぎ姿である。が。
(え、どうしたんやろ。なんやなんや)
渚沙は少し焦ってしまう。渚沙が慌てて望遠鏡を目から外すと、ヌートリア(仮)は裸眼でも見える距離にまで近付いていた。
(……って、あれ? ほんまにヌートリアか?)
確かにカピバラとヌートリアは似ている。それでも尻尾以外にも見た目に違いがある。何より大きさが違う。こうして近付けば近付くほど、カピバラに似ている様な気がするのだが……。
やがてその生き物は渚沙の真下にたどり着き、お濠の急な壁を軽々と登って来た。
「……えええええ?」
これにはさすがに驚きの声が出た。周りに人がいなくて本当に良かった。挙動不審だと思われる。この時はまだそう思えるほどの冷静さがあったわけだが。
その生き物はお濠を登り切るとさらに柵にも軽やかに登り、その柵の上に4本足で立った。そして。
「お前、竹子のことが見えているのだカピな」
渚沙は気を失いそうになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます