たこ焼き屋さかなしのあやかし日和

山いい奈

プロローグ

プロローグ

 たこ焼きを焼く時に、まず生地を流すかたこの切り身を入れるか、迷うところである。


 ……坂梨渚沙さかなしなぎさは迷わない。ステンレスの容器に積まれた角切りのたこをわし掴むと、器用にひと切れずつたこ焼き鉄板の穴に入れて行く。


 するとたこがじゅわぁっと米油で焼けて、ふわっとかぐわしい香りが上がって来る。そこに粉つぎから生地を流し入れる。穴からはみ出るほどたっぷりと注ぎ、すかさず手際良く青ねぎの小口切りと天かす、紅しょうがのみじん切りを全体にまんべんなく蒔いた。


「渚沙ちゃん、まいど。6個入りひとつちょうだい。味はポン酢で、マヨたっぷり。中で食べてくわ。あ、あと缶ビールもな。グラスはいらん」


弘子ひろこおばちゃんいらっしゃい。いつもありがとう。いつものドライでええですか?」


「うん、ドライで」


 ご常連のお客さまである。ご近所に住まう弘子おばちゃんだ。


 大阪の下町のおばちゃんらしくヒョウ柄の服装がお気に入りで、オーソドックスなヒョウ柄から、迫力のあるヒョウの顔をプリントしたものまで、色々なパターンをお持ちである。


 今日はピンク色のヒョウ柄のチュニックだった。それに黒のノーブランドのジャージを羽織っている。なかなかのインパクトである。


 今は春もたけなわの4月下旬。花が終わり始めた桜も青々とした葉が芽吹き、ハナミズキが開くころだった。陽射しがぽかぽかと暖かく、心地よい。


 弘子おばちゃんは週に数回、おやつの時間帯に食べに来てくれる。がらがらと開き戸を開けて、こぢんまりとした店内に入って来た。


 焼き始めたばかりの鉄板の横には、すでに完成しているたこ焼きが極弱火で保温され、ほかほかと湯気を上げている。渚沙はそれをピックで刺してひょいひょいと舟皿に盛った。


 大阪でポン酢と言えば、の旭ポン酢を刷毛はけで塗り、マヨネーズを糸状に掛け、かつお節と青のりをはらはらと振り掛ける。続けて業務用の冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出した。アサヒのスーパードライ350ミリリットル缶である。


 それらをトレイに乗せ、弘子おばちゃんが着いたテーブルに運んだ。テーブルの上にはセルフサービスのお冷が置かれている。


「はい、弘子おばちゃん、お待たせしました」


「ありがとさん」


「ごゆっくりどうぞ」


 弘子おばちゃんは卓上に立ててあるおはし立てから割り箸を1膳取ると、さっそくたこ焼きにお箸を入れる。渚沙はそれを尻目に焼き場に戻った。


 すると目の前には新たなお客さま。今度は若い男性である。


「10個入りふたつちょうだい」


 10個入りが「さかなし」の最大個数なのである。最小は4個。このお店のたこ焼きはすぐに焼き上げられる様に小振りで、女性の軽いおやつや、小さな子でも食べ切れる個数である。


「はい。今焼いてますんで、お待ちくださいね〜」


 渚沙はじわじわと火が通りつつあるたこ焼きをくるりと傾けた。




 大阪市南部のあびこにある「たこ焼き屋 さかなし」は、渚沙が父方のお祖母ちゃんから受け継いだ、小さなたこ焼き屋である。


 年老いた祖母が勇退して高齢者住宅に入る際、本来ならこのお店は閉店するはずだった。お父さんは会社勤めをしていて、退職してまで継ぐ気は無かったから、跡継ぎがいなかったのである。


 だがお祖母ちゃんが作るたこ焼きが大好きだった渚沙は、閉店を良しとしなかった。しかし後継者はいない。


 それやったら私が! と孫の渚沙が奮起したのだった。


 渚沙とて当時は会社で働いていて、安定した収入を手放すのは勇気が要った。ひとりで切り盛りできるかどうかの不安も大きかった。


 それでもお祖母ちゃんが守って来たお店と味を、継ぎたいという思いがまさったのだ。


 決心を打ち明けると両親は渋い顔をした。お祖母ちゃんでさえだ。


 きっとお祖母ちゃんはこの「さかなし」を軌道に乗せるために、相当苦労をしたのだろう。渚沙にはそんなことを零したことは無いが、商売が簡単なものでは無いことぐらい、渚沙にだって想像できる。


 熱意だけでどうにかなるものでも無いのだろう。


 それでも渚沙は諦めたく無かった。お祖母ちゃんがひとつひとつ丁寧に焼くたこ焼きの味を絶やしたく無かったのだ。


 熱心に説得を続ける渚沙に結果、両親は折れてくれた。お祖母ちゃんもそれならと、渚沙にたこ焼きの作り方を叩き込んでくれた。


 そしてこの「たこ焼き屋 さかなし」は継続できることになったのである。




「ごっそさん。今日も美味しかったで」


「弘子おばちゃん、いつもありがとうね」


 食べ終え、表に出て来た弘子おばちゃんが差し出した小銭を両手で受け取る。


 この弘子おばちゃんはお祖母ちゃんが経営している時から来てくれていて、幼いころからよく遊びに来ていた渚沙のことも可愛がってくれた。


 その弘子おばちゃんが今でも変わらず来てくれているということは、渚沙はお祖母ちゃんの味をどうにか引き継げているのだろう。


 大阪のおばちゃんは情に厚いがリアリスト、辛辣しんらつでもある。「こらあかん」、そう思われた途端にそっぽを向いてしまう人も少なく無いのだ。幸い渚沙は弘子おばちゃんとそれなりの関係を築けていると思っているので、味や接客などに思うところがあれば言ってくれると思っている。


「兄ちゃん、焼き上がるん待っとるんか?」


 弘子おばちゃんは10個入りふたつを待ってくれている若い男性に、気安く声を掛けた。


「そうっす」


 男性も気軽に応えられた。おふたりは初対面だと思うのだが、大阪のおばちゃんが見知らぬ他人にこうして声を掛けるのは珍しいことでは無かった。


「ここ美味しいで。また贔屓ひいきにしたってや。中で食べてったらええのに。ビールもあるで」


「これから友だちん家に行くんすよ。そいつと食うんで」


「そうか。美味しいから気に入ったらまた来たってや」


「はいっす」


 青年もこうした大阪の光景に慣れているのか、弘子おばちゃんを邪険にする様なことも無く、にこやかに応えていた。


「ほなな。渚沙ちゃんもほなな。また来るわ」


「弘子おばちゃん、ありがとう」


 弘子おばちゃんは右手をひらひらと振りながら、帰って行った。


 そうしているうちにたこ焼きも焼き上がる。渚沙は青年にお渡しするために、持ち帰り用の発泡スチロールのケースにたこ焼きを盛り付けた。




 「さかなし」の閉店は20時である。店内で食べる場合のオーダーストップは19時半で、それから閉店まではお持ち帰りのみになる。


 タイミングを見ながらたこ焼きを焼き続け、売り続け、ようやく20時の閉店時間がやってくる。お客さまも途絶えたので、表のシャッターを降ろした。


「ん〜、今日も終わったぁ〜」


 すっかりと静かになった店内で、渚沙は思い切り全身を伸ばす。そんな渚沙に「お疲れさまカピ」と声を掛ける存在がいた。


「あ、竹ちゃん。お疲れさ〜ん」


 竹ちゃん、竹子たけこはカピバラのあやかしなのである。大阪堺市のハーベストの丘で天寿を全うしたのだが、死にたく無いと強く願った竹子はカピ又となったのだ。


 あやかしになったことで、普通の人間や他のカピバラからは見えなくなってしまった竹ちゃんは、ハーベストの丘にい続けるのも寂しいからと、同じくさかい市にある古墳群のひとつ、大仙陵だいせんりょう古墳に居を移した。


 そこで渚沙と出会い、紆余曲折あってお家にお迎えすることになったのである。


 竹ちゃんは身体のサイズを自由自在に変えることができるので、基本仔カピバラの姿でいてくれる。とても可愛らしく、渚沙の日々の癒しである。


「竹ちゃん、たこ焼きあるで」


「売れ残りカピ」


「人聞き悪いわ。まぁそうなんやけどな」


 渚沙は笑いながら、6個残ったたこ焼きを舟皿に乗せた。竹ちゃんのお気に入りはソースなどを付けないそのままの味だ。生地にしっかりとお出汁を効かせているので、そのままでも美味しい自慢のたこ焼きなのである。


「いただきますカピ」


 椅子に登った竹ちゃんは器用にお箸を持ち、渚沙がテーブルに置いたたこ焼きをひとつ掴んで、口の中に放り込んだ。はふはふと熱を逃す様に口をぱくぱくさせる。


「はふ、今日も美味しいカピ」


 竹ちゃんは満足げにつぶらな目を細めた。渚沙もお箸でひとつを割って、口に運んだ。


 昆布とかつおのお出汁の風味、牛乳が生み出すまろやかさ。山芋を使うことでふわふわになり、それらが「さかなし」のたこ焼きを形作っている。お祖母ちゃん直伝の味である。


「ん、さすが私。今日もお祖母ちゃんの美味しいたこ焼きや」


 自画自賛しつつ、渚沙はほっとして息を吐いた。


「今日も来はるやろか」


「また騒がしくなるカピね」


「楽しいけどな。飲んだくれて寝込んでまうんは困るけど」


 渚沙はつい苦笑してしまう。すると竹ちゃんは「ふん」と鼻を鳴らした。


「そんなの、しばき倒して起こしたら良いカピ」


 何とも物騒なことである。大阪人らしい言葉回しに渚沙は「あはは」と笑う。


「さ、ひと段落したら、また焼くか。竹ちゃん、良かったらあと食べたって」


「うむカピ」


 そして渚沙は、これから訪れるであろう「人ならざる」お客さまを迎えるために、立ち上がったのだった。

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