夢幻階段
花野井あす
第1話 もうひとり
ひたひた、ひたひた
ひたひた、ず、ず……
あれはわたしだ。
じっと彼方遠方からわたしを視ている。すぐ傍らからわたしを聞いている。
わたしはその
あれはわたし。もうひとりのわたし。
ひたひた、ひたひたとわたしがわたしの元へ這い寄ってくる。
わたしはわたしの虚ろな
あれはわたしであり、わたしでないのだ。わたしは目と鼻の先まで在るふたつの虚空に魅入ってしまう。
ひたひた、ひたひたとわたしが私の元へ躙り寄ってある。
わたしは結ぼうともしない、だらけた口の奥を押し開けて、震えもしない聲を鳴らしてみた。
「ねえ、わたし」
それはわたしの聲なのに、わたしの聲じゃないじゃない。濃淡がなくて、高くも低くもなくて、まるで生き物ですらないみたいな聲。
でもわたしはそんなことすら気に留めなくて、ただただ、息をするように言葉を落としていた。
「どうして、わたしのそばへ在るの?」
ふとわたしの前にいるわたしが立ち止まった。わたしの前にいるわたしは眉ひとつ動かさなくて、眼も揺るがない。
いいえ。
ないのよ。のっぺらぼうみたいに、何もないの。
眼窩も口腔もぽっかりと空いていて、ぐりぐりとした黒い石ころやてらてらとした薄紅の板きれを中に入れているだけ。――あれはわたしじゃない。わたしはあんなにも醜くないもの。
「いいえ、わたしはあなたよ」
わたしは恐れを感じていないはずなのに、何時の間にか
そこはどこまでも続く螺旋の下り階段で、ゆらゆら、ゆらゆらと蹴込み板が歪んで定まらない。
わたしは何度も踏み外して吸い込まれそうになりながら、ひたすらに疾走った。
階段の先は黒で塗籠られていて、なにも視えない。けれども、後ろには
「ねえ、どこへ行くの?どこへ進むの?」
ひたひた、ひたひた
ひたひた、ひたひた
わたしは何時の間にか坐りこんでいた。もう、立てない。その揺らぎがあまりにも大きくて。
ひたひた、ひたひた
ひたひた、ず、ず……
わたしは這うように進む。その何かに追いつかれないように、逃げて、逃げて。
ず、ず……
ず、ず……
痛みはない。焦燥も憂慮も悲哀もなくて、わたしはひたすらに進むことだけを考えている。
ふと、前に階段を下るだれかがいた。
あれは、わたしだ。何かから逃げているわたしだ。いったい、何から逃げているというのだろう?
わたしは這いながらぼんやりと考えた。けれども、頭は靄がかってぼんやりとして何もわからない。
だから、わたしはただ目の前のわたしを追うことにした。
ひたひた、ひたひた
ひたひた、ず、ず……
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