インターコース

 大学一年生のころにドウォーキンの本を読んだ。

 『インターコース』というイメージしにくいタイトルと、性的行為の政治学という一〇代の私にとってはどぎついサブタイトルをもつ本を手に取った理由はあまりおぼえていない。

 たしか文学理論の入門書のファーザーリーディング的なものとしてあげられていたくらいのことだったのかもしれない。

 私は期せずして、ラディカル・フェミニズムという一番過激なところからフェミニズムにふれることになった。

 乱暴にまとめれば、すべてのセックスは男性からの強制的な支配の発露だというその主張は、私のその後の行動をおおいに縛った。


 当時の私には付き合い始めたばかりの女性がいて、当然のように私は彼女の裸ばかりを想像していたし、想像だけでなく実際に見たら舞い上がっていたわけなのだが、そこから、なかなか進まなかったわけだ。

 十代後半の女性をさして、箸が転んでもおかしい年頃というが、十代後半の男性は箸が転んでもエロいことしか想像できないのではなかろうか。

 理性では彼女の人間性を心の底から尊敬しているのだが、同時にエロいことばかり考えているのだ。

 そして、そのようなエロエロ自分を私のつつましやかな理性がドウォーキンの本でぶん殴ってくるのだ。

 まぁ、それは苦しかった。


 ただ、良い経験をしたなと思っている。

 自分では想像もつかなかったことを突きつけられ、自分たちの属する性の加害性を糾弾されるというのはけっして気持ちの良いものではない。

 それでも、立場の違いによって、考え方は思いの外変わるし、私が当然と思っていることも私に害意が一切ないことも誰かを傷つける可能性があると知らなければ、どうなったことだろう。

 もとより性根の腐った人間である私のことだ。

 今頃、ミソジニーをこじらせたしょうもない人間になっていたに違いない。


 私は学問を一種宗教のごとく信仰しているところがある。

 その一端はこういう経験にあるのかもしれない。

 学問だけが私の邪悪な心を抑えててくれるのである。

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