それぞれの大陸防衛戦。逢いたい気持ちがあれば空も走れるよ。

 一月十五日。

 早朝。


 ここはサマラ丘陵。

 エルー神聖国、ポージ共和国、マイナ王国の三国とクリード王国の国境付近にある丘陵地帯である。

 その頂上部分に軍は展開されている。

 エルー神聖国からの報告を受け取ったポージ、マイナ両国も大陸の危機とあって持てる戦力の全てを投入している。しかし幸か不幸か、戦乱の世は遠く過ぎ、長らく平和な時代が続きすぎたため軍事費は削減され、戦力は戦時の十分の一程度まで減っている。


 総数で言えば全軍合わせて三万の歩兵に五千の騎士の三万五千程度の兵力である。


 対する竜の軍団は天を翼で埋め尽くし、地を体躯で染めており、その果ては見えない。

 今は教皇の結界に阻まれサマラ丘陵手前で暴れている。


 まだ双頭の竜が見えないが、それが幸か不幸かは人間の身では判断がつかない。


「絶景じゃなあ。クーナ」


「ふふ。懐かしいですね。タウンゼン」


「海の上も楽しいが、魔獣と向き合っているとやはり血が騒ぐのう」


「義父上、義母上。本当に二人はセットで大群の中を遊撃をする形でいいのか?」


「おうさ」「ええ」


「しかし……」


 縁あって義理とはいえ親子の契りを交わした人間を死地に向かわせる。その事実は本当の親を破滅に導いた時よりも大きい抵抗をカイエルに感じさせる。


「それ以上はいうでないぞ、陛下。臣下を死地に向かわせるのも王の資質じゃあ。ガハハハ! わしは心から陛下を王として掲げとる! 黙って命令すればいいのじゃあ」


「父上ェ、黙ったら命令できませんよ。良い事言ってる風ですが、しまりませんねェ」


 隣からサラザールが父、タウンゼンを揶揄う。

 それはとてもいつも通りで。とても死地へ向かう父と子には見えない。それもその通り。シュート家にとっては死地こそ日常。程度はあれど死中に活を見出す一族である。


「うっさいわ、サラザール! お前も黙ってわしらが拓いた道に軍を動かせえ! 他の将軍らは対人間の兵法しか知らん。魔獣相手に軍を動かすのは魔獣の挙動がわかっとるお前しかできんじゃろう。しっかりやれえ」


「当たり前ですよ。失敗したら母上がピンチになりますからね」


 サラザールの言葉に満足そうに頷くタウンゼン。


「おう。それでいいのじゃあ。……ん? わしは?」


 返ってくるのは無言である。

 わしは? と再度問うそんな父にサラザールは涼しい顔である。

 本当は母、クーナの方が攻守のバランスが取れているのでピンチになる事の方が少ないのだが。


「まあ父上は。あれですよ。ガハハってなるでしょ?」


「なんじゃ、ガハハって! まあいいわい。たまにはお前も本気だせえ。わしらはもう行くからのう!」


 バンバンとサラザールの肩を叩き、カイエルに二言三言かけた後、クーナを伴って前線へと赴くために多数の兵士の中に消えていく父と母の背中を見つめる息子二人。


 密とした筋肉の詰まったその広い背中と。

 凛として芯の通った美しい背中に。


「武運を……」


 祈って。


 サマラ丘陵における大陸防衛戦は開戦の狼煙を上げる。



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 同日。

 時間にしてサマラ丘陵の防衛戦が開戦してから数時間後。


 曇天の空の中。クリード王国上空から下を見つめる八つの瞳。


 一夜にして滅びた国。三日かけて破壊の限りを尽くされた国。

 今はそれを眺めている。眺めさせられている。

 戦火に包まれた王都では王城をはじめとした建物は跡形もなく崩れ落ち、まだあちらこちらから煙が立ち上っている。上空から見ている分にはその程度の被害ではあるが、地に降りて見たら目と耳を閉じずにはいられないだろう。


 そんな状況で。


「離せ! 俺は! 俺は王太子であり! ギルド長であり! 英雄だぞ! 不敬である! 今俺を解放すれば、特別にこの国はくれてやろう! だから俺を解放するがよい!」


 双頭の竜はまだサージを殺していなかった。

 この期に及んで自分自分。さらには売国である。どこでここまで歪んでしまったのか。


 ギルド長になりピッチ男爵の甘言に乗った時からか。

 英雄になり国に凱旋した時からだろうか。

 ピーチと真実の愛に目覚めた時からだろうか。

 それともかつて婚約者であったメイベルに劣等感を抱いた時からだろうか。


 もう本人にもわからない。


「サージ! サージ! あなたが本気を出せばこんなトカゲなど一瞬で倒せます! 国を売ってでも生き残ろうと考えるその覇者たる姿勢! ああサージぃ……」


 双頭の竜はまだピーチを殺していなかった。

 この期に及んでサージサージ。桃色の脳の真実の愛とはどういう構造であろうか。どうしてこうなったのだろう。


 男爵令嬢として肩身狭く生活していたある日。

 突然現れた王子さまは本物の王子さまでした。

 出会った瞬間恋に落ちた自覚があった。

 身分差など二人の間には消えていた。


 もう本人にもわからない。


 二人は上空でホバリングする双頭の竜の足にまとめて掴まれた状態である。


 眼下に広がるのは。


 空から。地上から。竜の大群に蹂躙された王都。


 この二人には見えていないのだろうか。

 この二人には聞こえていないのだろうか。


 民の阿鼻叫喚が。


 聞こえていても。聞こえていなくても。どちらでもきっと二人は変わらない。

 そんな二人の態度に竜が炎と毒のため息をこぼした。


「「あんたら本当に人間かい? この有様を見て後悔とか悲しみとかの感情を味あわせるためにつれてきたってのに。ほんとにどうなってんだい!?」」


 竜が呆れるほどに二人の思考は人間離れしている。


「トカゲの分際でうるさいぞ! 獣は人に従っていれば良いのだ!」

「そうです! 英雄サージの言葉を聞きなさい!」


 ギルドの職務に励んでいる間はまともになったように見えたピーチだったが、どうにもサージと二人きりになると元の愚かな男爵令嬢に戻ってしまう。


「「……まあ、いいさ。こんなのでも息子を殺した怨敵だ。メインディッシュにとっとくよ」」


 双頭の竜は人間の後悔や怨憎を喰らいながら、それを更なる蹂躙で満たそうと考えていたが。

 あまりにも期待外れな結果に肩透かしを食らい、呆れたように二つの口で呟くと翼を大きくはためかせた。


 サマラ丘陵に絶望が迫る。



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 同日。

 時間にしてサマラ丘陵の防衛戦が開戦した頃。


 カナリア帝国。執務室。

 メイベルはいつものソファに腰掛けている。いつもなら静かに本を読み、皇后としての知識を吸収しているのだが。

 今日はどうにも捗らない。

 魚の開きのようにだらしなく、膝の上でページを泳がせている帝国史をソファの上に置いて、メイベルは立ち上がった。


「ひま。どっか。いこ」


 メイベルは”退屈”である。


 勉強が捗らない原因はわかっている。カイエルの不在。それは思ったよりもメイベルに多大な影響を与えていた。


 その結果が”退屈”という言葉である。


 初デートの行動からもわかる通り。メイベルは元来ひとつ所にジッとしていられない性格。カイエルがいればいくらでも止まっていられるのが奇跡なだけなのである。


 急に立ち上がった主人に驚いたように狸魔獣のポンが反応する。


「ぽん(ご主人。つがいとの約束を忘れたの?)」


「忘れてない」


 カイエルとの約束を忘れるはずなどないのだ。今までのカイエルの言葉一言一句忘れていない。思い出しては一人で喜んでいるのだ。しかし覚えているからといって、それ通りにするかどうかは別である。


「ぽん(御子のために大人しくしてるって言っただろう?)」


「エル。いない」


 質問の返答にはなっていないが、それほどにメイベルにとってのカイエルの存在が膨らんでいる。今まではずっと一緒にいたから。その重要性をそこまで真剣に理解していなかった。約束をした時も何とかなると思っていた。


 でも。


 いない。という言葉がより不在感を際立たせる。


「ぽん(つがいは仕事だって言ってたじゃないか。なんだかとても難しい仕事で頭をとっても使うからご主人は退屈だろうから待っててくれって)」


「さみしい。エル。いない」


 言葉にすると気持ちが一気に膨らんだ。


 そう。さみしいのだ。この感情はさみしいのだ。今まで知っていたさみしいとは格が違うが。これが本当のさみしいなのだ。自覚するとさらにその感情が胸の中に溢れかえる。

 だめだった。

 言葉にしない事で隠していた気持ちの蓋が飛んでしまった。出口を見つけた感情は一気にそこへと向かう。必死に閉じ込めていた感情が溢れ出す。


「ぽん(わかるけど。ここは待とうよ)」


「エルの匂い」


 冬だというのに開け放たれた大窓から風が吹き込み。それに鼻を鳴らす。懐かしい北からの風。そこにカイエルの匂いがあった。なぜか魔境の匂いに包まれている。


 その匂いに誘われてふらっと外に足が向く。

 この感情にこの匂いを嗅がされてしまっては無理だ。


「ぽ!(だから部屋からでちゃダメだって!)」


「匂い。する」


 立ち上がったメイベルは大窓の先に鼻先を向ける。

 匂いから距離を測るためにスンッと鼻を鳴らす。

 この匂いの薄さからすると発生源はエルー神聖国よりももう少し先である。


 地をいけば一日。


 空をいけば数時間。


 選ぶまでもない。


「ぽ、ぎゃあ(待って! ご主人いっちゃだ……ぎゃあ!)」


 いつものように狸口は封じられ、ポンは小脇に抱えられた。

 同志の頼みを必死に聞こうと努力はしたが、しかしそれはメイベルの前では徒労である。

 そのままメイベルは大窓からバルコニーへ。

 手すりに立ち、遠く見えないカイエルを見つめるように視線を投げる。


「あいたい」


 一言。


 メイベルは執務室のバルコニーから帝都の空へとび出した。

 その足は空中を蹴り、空を駆けていた。



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 同日。

 開戦から数時間後のサマラ丘陵。


 地面は竜の血で染まっていた。


「ガハハハ! さすがわしらじゃ! のう、クーナ!」


「ええ。さすがタウンゼン。惚れ直しました」


 少し時間を遡る。

 ここに至る経緯である。


 シュート夫妻はカイエルが想像していたよりも圧倒的に強かった。

 開戦と同時に教皇が地面部分のみ結界を解くと、それに阻まれフラストレーションが溜まっていた地竜の大群は我先にと丘陵手前の草原になだれ込んできた。

 それをまずは迎え撃つはシュート夫妻である。


 大群の中、四つ足で先頭を駆けてくるのは体長で言えばタウンゼンの三倍はありそうな一頭の竜である。

 これは他の有象無象に比べて多少の知能があるようで二人で草原に立っている弱々しい人間を見つけてそこに狙いを定めたようだった。


 その竜は人間という生き物を舐めていた。

 クリード王国を蹂躙した時。この生き物は逃げるだけだった。魔境であればどんなに格下の魔獣であれ、ある程度は歯向かってくる。魔境のルールでもちろん格上に攻撃は通らないが、そこで戦った経験で存在進化を起こす場合だってある。単純な捕食と被食の関係だけではないのだ。

 でも人間は違った。


 歯向かわない。

 抗わない。

 逃げるだけだ。足も遅い。

 しかも弱い。

 その割にはうまい。


 これは餌なのだと認識した。

 幼い頃に親が口に入れてくれるような餌なのだと。


 そう人間を認識した。


 いま。視線の先にあり、目標に定めた人間も同じだと思っている。

 だから走って行って。

 口を開けて。

 パクリとやるだけだ。


 そう考えた竜はタウンゼンの目前で跳ねた。

 ジャンプした勢いそのまま、その大口でタウンゼンをパクリと行こうという算段である。


 口中に幾重にも生えた牙がタウンゼンに迫る。


 しかし。


 それがタウンゼンに届く事はない。


 拳が。


 竜の鼻先に当たる。


 衝撃は。


 竜の体を弾丸のように飛ばす。


 爆散する。


 飛んでいった竜の体は後方に迫る竜の大群を薙ぎ倒しながらある程度行った所で、周りの竜を巻き込むように爆発した。タウンゼンが得意とする内部破壊技である。


「どうじゃあ!」


「お見事です」


 快哉をあげるタウンゼンとそれを満足げに見つめるクーナ。


 それを見た竜の大群の進軍速度が緩んだ。

 弱いと思っていた人間が自分達の中でも序列の高い竜をいとも容易く爆発させた挙句、その勢いで群れの一部を同時に壊滅させた。その事実は群れを混乱させる。大群にいる竜は基本的に知能は低い。母である双頭の竜から命じられたのはシンプルな蹂躙だ。そこに敵がいるとは聞いていない。実際にここまで敵になる相手はいなかった。


 楽しかった。

 ただ食って。

 食って食って食って食って。

 食った。


 そこに突如現れた異質な生き物。

 明らかに上位存在。

 しかし魔獣の特性上ただ逃げる事はできない。

 相手がどうあれ挑む。

 挑んだ結果、そこで食われて死ねば終わり、食われずに生き残って成長し、存在が進化すれば捕食者へと移行できる仕組みだ。


 だがそれは。場所が魔境で。相手が魔獣であればの話。


 守護者は魔獣を食べない。

 守護者は魔獣を生かさない。

 そしてこれは存在証明をかけた生存の戦いだ。


 結果。

 地は血に染まった。


 双頭の竜がいない事が幸いして統制のとれていない大群などシュート家の敵ではなかった。

 作戦通りにタウンゼンとクーナが切り込み大まかに殲滅し、傷つきながらも生き残っている竜たちを兵士が取り囲み息の根を止めて回る。ある程度存在の弱った魔獣であれば一般兵士でもトドメを刺すくらいは可能である。それを繰り返す。地竜をあらかた片付けた後は段階的に空の結界を解除しつつ多少面倒であるが地上と同じ事を繰り返した。

 つまりは殲滅戦である。

 竜たちがクリード王国でやった事の逆がそのままサマラ丘陵で繰り広げられた。


 一見、人間側の大勝利に見える。


 だが。違う。


 当事者は気付いている。


「じゃがなあ。これで終わりじゃあないんよなあ……」


 竜の死骸に腰掛けながらタウンゼンがぼやく。


「そうですね」


 そのそばで凛と立つクーナもそれに同意する。


「あっちからでっかいのが到着するのう」


「ええ。これはさすがに我ら二人でも厳しいですね」


 タウンゼンとクーナが感じている脅威。

 それはもちろん双頭の竜である。


 さっきから近づいてくる気配をビンビンに感じている。


 くる。


 そんな嫌な気配に二人が空を見上げると。


 ぶわりと。腥い風が吹く。冬の風ではない。

 すうっと。影が落ちる。雲の影ではない。


「こりゃあ」

「ええ」


 シュート夫妻でも言葉にならない。


 その威容。


 地鳴りと共に地に舞い降りた双頭の竜。その大きさと。戦わなくてもわかる強さ。片方の口からは炎が溢れ、片方の口からは毒煙が漏れている。体は全て固い鱗に覆われている。闘気も表面を滑って内部に入る事もないだろうと見るだけでわかる。


 無言のシュート夫妻など見えないかのように。

 竜の死骸をしばらく眺めてから、ガチガチと牙を鳴らしながら口を開いた。


「おや、随分とやられたね」


 炎の頭が辺りを見回し。


「あいつらかね?」


 毒の頭がシュート夫妻を見つける。


「また産まなきゃねえ」

「そうだねえ。とりあえずクリード王国ってのを滅ぼしてからだね。この大陸全部だっていうから多少骨が折れるがね。三日くらいで終わるだろう?」


 炎がつぶやき。毒がそう提案する。


「ああ。そうだね。そうしたらまた子をいっぱいつくろう。そうしたらここらも立派な住処に変わるだろうよう」

「その様をあのメインディッシュに見せたら食ってやろうね」


 炎が肯定し。毒が後方に顔を向ける。


「それくらいしたらさすがに悔いるかね?」

「怯えるかね?」


 炎が嗤い。毒も嗤う。


「そうなるといいねえ。今から起こる惨劇もあの木の上でしっかりと見ててほしいもんだねえ」

「逃げないかい?」


 炎も後方に顔を向け。毒は炎の顔を見る。


「しっかりとあそこの木に刺してきたから平気だよう」

「いつもの早贄のやり方なら平気だろうかねえ」


 炎が説明し。毒が納得する。


 その間。

 黙って見ているほどシュート夫妻はお人好しではない。

 もちろん。タウンゼンとクーナは必死で攻撃している。


 しかし。


 攻撃が通る気配など。


 ない。


 まさに絶望である。


 双頭の竜は目の前にいる人間など存在しないかのように話し続ける。


「あそこらへんに人間が固まっているね」

「そうだねえ。あれをやればとりあえずここらは解決するかね?」


 炎が見つけ。毒が提案する。


「ああ。あたしの炎で焼き尽くすだけで終わるだろうよ」

「ああ。あたしの毒で包み込むだけで終わるだろうよ」


 炎と毒が口を開く。


 タウンゼンとクーナがその口を閉じさせようと顎下に攻撃を加えるが意味がない。


 口の中のブレスは膨らみ続け。


 溢れるように。


 無情に放出される。


 放たれた炎と毒のブレスは混ざり合い高熱の毒ブレスとなり。

 サマラ丘陵の頂上に配置されている軍司令部を襲った。


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