ポンの提案、月を見る会。月よりもエルを見ていた。

 九月八日。

 夕刻。


 人気のなくなった神殿。


 普段であればシンとして張り詰めた神気が神殿らしい雰囲気を醸し出している頃合い。


 だが今日は違う。


 朝から執り行われてきた婚姻の儀の残滓がこもったように、想いと祈りでムンとしたそんな空気が高い天井へと立ち上っている。差し込む夕日がそんな熱のこもった空気によく似合っていた。

 そんな中。祭壇前、神殿の最前列。一組の夫婦が気の抜けた様子で座っている。


「のう、クーナ」


「はい」


 お互い前を向いたままの問いと返答。


「メイベルの。あの顔……見たか?」


「ええ」


 驚いたような、呆気に取られたようなタウンゼンと。いつも通り表情を見せないクーナ。

 シュート夫妻である。


「なんと言ったらいいかのう。驚いたが、メイベルは幸せなんじゃなあ……」


「そうですね」


「頬も、引き攣ってなかったしのう」


「またそんな事言って。メイベルに嫌われますよ」


「それはいやじゃなあ。メイベルに好かれたいし、甘えられたいぞ。ん! 甘えられたいで言えば! クーナだけ、かあさんって呼ばれてるのはずるくないかのう?」


 話の流れで思い出したように急に憤慨し、呆けたように前を向いたまま動かなかった顔をクーナに向ける。


「それは仕方ありませんね。重ねてきた時間が違いますから」


 それをさも当然とスルーする。

 そんなわかりきっていた反応に、むふうと鼻息を一つ吐き出してタウンゼンは再び力を抜き正面に向き直った。


「ええのう。わしもメイベルにとうさんって呼ばれたいのじゃあ。ちっさい頃はとーたんとーたんって呼んでくれてたのにのう。瞼を閉じれば今でも思い出せるぞう。おお! 可愛いのう、可愛いのう」


 過去を思い出すように中空に閉じたままの視線をなげ、想像の中の小さいメイベルの頬をモニモニするように何もない空間をもむ。


「ええ。懐かしいですね。今日の笑顔はあの頃の笑顔のようでしたね。純真で暖かくて柔らかくて。お日様のような笑顔。私に向けてくれていた日々を思い出しましたよ」


 クーナもまた、思い出に浸る。


「それが今は皇帝陛下に向いとるんじゃもんなあ。わからんもんじゃなあ。あの時、無理矢理反対しなくてよかったのう」


「ええ。そうですね。旅立つ時にも思いましたが、きっとあの子はもう大丈夫ですよ。全ての悪縁から解放されて、きっと後は幸せになるだけです」


「そうじゃなあ。今やわしらの方が心配なくらいじゃあ! ガハハハ!」


 目下、タウンゼンは失業中である。これでは孫ができても祝いやプレゼントひとつ贈れない。という程ではないが、金銭的には問題がないとしても、孫におじいちゃんって何してんの? と問われ、お休み中じゃあ。そうなの? ぼくと一緒だねえ。なんて言われると少し困る。まだかっこいいおじいちゃんでいたいタウンゼンである。

 メイベルに働く父の姿を見せられなかった分、この先の孫に働くおじいちゃんのかっこよさを見せたいと夢想するタウンゼンであった。

 そしてそれを成すための計画もある。

 もちろんクーナもそれを察しているだろうと思っている。


「またそんな事言って。本当は何か考えがあるんでしょう?」


 この通りお見通しである。


「さすがクーナ。わしの愛する妻じゃなあ! 考えている計画はある。ただ、今までとはちいっとばかり毛色が違う。それでもついて来てくれるかのう?」


「ふふ。あなたは本当に馬鹿ですね。私があなたから離れるわけないでしょう?」


 夫妻は無言で微笑みあった。


 長年連れ添った夫婦だけがわかる符牒にも似た笑顔。

 魔境で背中を預け合い、お互いを庇いあい、時に喧嘩をする事もあったが、大体一方的にタウンゼンが謝る形になるも、愛は形を変えながら、手を替え品を替えここまでやってきた。


 繋いだ手の温もりがそれを証明している。


 そんな二人の幸せな背後から音のない足音がなる。


 音がなかろうと二人はそれを音として捉えており、スッと戦闘態勢に移行して振り返った。


 そうやって振り向いた先に立っていたのは意外な人物。

 なんと教皇であった。


 神殿の中央通路に立つ白い老人。

 相変わらず、夕日の赤い世界の中でも一人だけ白い。


「ああ、申し訳ありません。お二人の時間をお邪魔しないようにと思ったのですが、却って驚かせてしまいましたか……」


「いや、何じゃあ、教皇猊下じゃったかあ。王国の暗殺者かと思ったわい」


 それくらいに熟練した気配の消し方であった。

 教皇に敵意が無い事を確認して戦闘態勢を解除する。


「暗殺者を向けられますか……」


 すっとタウンゼンの隣までやってきた教皇は、そう呟きながら長椅子に腰掛ける。

 気配のない教皇の歩法に少し驚きながらもタウンゼンは答える。


「そうじゃのう。ポツポツって感じかのう。まあしょうがないわい。半ば無理矢理に王国貴族から抜けてきたからのう。ピッチ男爵の後押しがなかったら無理じゃったな。のう、クーナ」


「ええ。あればかりはピッチ男爵に感謝ですね。まあ彼としても私たちを追い出したかったでしょうから。望む所だったのでしょう?」


「大丈夫なのですか?」


「なあに王国最強戦力のわしらに暗殺者を放った所で無意味な事はあっちだってわかっておろう。多分ピッチ男爵の警告じゃよ。そのうちやむじゃろう」


「私たちから国を出ると言い出した事が不安なのでしょう。だから王国に戻ってくるなと言っているのでしょうね。戻る気など毛頭ないのに……まあ疑り深いのは策を弄するタイプの人間の性でしょうね」


 と、策を弄するタイプのクーナが言うと説得力がすごい。


「そうですか。問題ないならよかったです。実際、今の王国はとてもきな臭い状態なので、お二人に何かあってはと思って、少し情報を共有させていただきたく、こちらに来たのですよ」


 そう言って教皇は語り始めた。


 メイベルが魔境を去って以来。ウッソ森林まで自分の結界を広げて魔獣の侵入を防いでいた事。教皇の結界はウッソ森林程度の魔獣であれば触れただけで霧散する。もちろん一定の強さを持った魔獣はそれをパスする事もできるが、ウッソ森林にそこまで強い魔獣は現れない。結果としてウッソ森林の魔獣は滅び、前線はドリー湿原まで上がった。冒険者がドリー湿原で弱い魔獣を狩れているのはそのためである。


 それもこれも最大戦力であるメイベルがいなくなった後のシュート公爵家の魔境防衛を教皇が慮っての行動であった。しかし肝心のシュート公爵家が王国貴族から離脱し、カナリア帝国に亡命した今となってはそれも不要と考えている事。それに加えて最近のクリード王国の行動は神の意志に反しており、神の加護たる結界が効き辛くなっている事。


「これらの複合的な理由から王国へ結界を張るのをやめようと考えているのですが、シュート家の方から見て問題ないかご意見をいただけますか?」


「んーなるほどのう。どう思う、クーナ?」


「結界は不要だと思いますよ。多少の痛い目はみるかもしれませんがね」


 イタズラな微笑みのクーナ。それをタウンゼンは惚れ惚れした顔で見つめている。


「やはり多少は痛い目をみますか。……本当はクリード王国の民も守りたいのですが。どうにも今の王国を結界で囲おうとすると信仰の力を多量に使ってしまい。現状、他の気候管理などにも影響が出始めているのです」


「まあのう。王国も冒険者ギルドとやらを組織して武器と数で何とかするらしいから大丈夫じゃろ」


「ピッチ男爵はそのように言ってました。それを理由に私たちを追い出しましたしね。算段があるのでしょう。もしかしたらベル草原辺りまで魔境が広がるかもしれませんが、あの辺りはそのピッチ男爵の領地になってますし、よほどの事がなければ問題ないかと思いますよ」


「そうですか。でしたら大丈夫そうですね。早速明日にでも結界を下げるとしましょう。ご意見ありがとうございました」


 教皇とシュート夫妻の話し合いの結果。


 そういう事となった。


 一歩。進む。



——————————————————————————————



 十月六日。

 宵。


 カナリア帝国。

 帝城内の執務室。


 そのバルコニー。


 今夜はまん丸とした月の光で煌々と照らされている。


 色が消え。


 白と黒だけの世界になったような美しい景色。


 その中に浮かぶメイベルの金色の髪。

 髪自体が発光しているようでまるでそこにもう一つ月があるかのような美しさである。


 何をしているかといえば。

 狸のポンの提案で企画された『月を見る会』である。


 ポン曰く。狸の風習では満月を見て軽食をつまみながら腹鼓を打つという物があるという。さすがに人間であるカイエルとメイベルは腹鼓を打つ事はできないのでそこはポンに任せてあるが、それ以外の軽食の団子と肉串と軽めのワインなどをテーブルに用意して、二人は椅子に腰掛けている。


 ポンはバルコニーの手すりに立ち、ご機嫌に腹鼓を打っている。

 これがまた絶妙な響きのビートで、狸界にいたならばさぞモテただろう。


「美しいな」


 月なのか。メイベルなのか。


「うん」


 ぽつり。


 お互いに言葉を紡ぎながら、ワイングラスを同時に傾ける。普段は桜色なメイベルのくちびるは赤ワインで染められて妖しく艶めいている。月に視線を投げたままのカイエルはその一瞬の美を見逃している。


 もったいない。


「それにしても。あれから、もう一月も経つのか……」


「もう?」


「ああ、あっという間だな。幸せな時間というのは」


「うん。幸せ」


 婚姻の儀からあと少しで一月経とうとしている。

 二人の実感としては昨日の事のようだった。それには幸せだったからという以外にも理由がある。

 単純に忙しかったのである。戻ってからの二人にはやる事が山積していた。


 まずは国民への披露である。


 カイエルの婚姻はエルー神聖国から戻ってすぐに国中にお触れを出して国民へと周知された。特別に城の中庭を開放し、そこに貴族をはじめ、国民や城で働く人間を招待した。皇帝は貴族と平民を分け隔てをしないというアピールでもある。これには貴族の反発もあったが、いまだ暴虐皇帝の威名は鳴り響いており、決定事項である事が告げられると口を噤んだ。

 元来。今まで苦しい生活が続いていた国民は、皇帝が誰であろうと、貴族に搾取される生活は変わらないと思っていた。しかも皇帝の噂としては流れてくるのは暴虐皇帝の側面のみ。またかと絶望していた。

 しかし、今代の皇帝に代わってから時間が経つ毎に、段々と良くなる生活、低くなった税金、便利になった公共施設、などなど。生活はいい方へと変わっていった。


 聞こえてくる悪評。それとは真反対に次々と国民の幸福を追求するように打ちだされる政策。

 聞こえてくるものと。肌で感じるものが。全く真逆であり、平民としてはよくわからない皇帝という印象である。


 そこへ今回のお披露目である。

 実際の皇帝の姿など見た事のない平民は興味津々であり中庭の期待値は上限を突破して天井知らず。


 沸きに沸いたそんな会場へ。

 登場したのは。

 見た事がないような美丈夫と美少女である。


 会場は沸いた。当然であろう。


 褐色の皇帝は海の男を想起させ、国を象徴するようで。

 色白の皇后は金色の髪に白い肌、神を象徴するようで。


 あれが自分の国の皇帝と皇后かと。

 見惚れるばかりである。


 メイベルが神の子である事は公には発表していないが、中庭に紛れ込んだ暗部がヒソヒソと噂をばら撒いているため、あっという間にメイベルへ神の子としての歓声が巻き起こり、それと同時にそれを娶った皇帝への賛美も自然発生的に始まる。


 ここに来て暴虐皇帝は国民に受け入れられたのである。


 二人を包む歓声。


 カイエルは自分が守ってきた民に受け入れられた事が予想外にうれしく。その瞳には涙が滲んでいた。それもこれもメイベルのお陰であると考え、カイエルはさらにメイベルへの感謝と愛情を深めた。


 そんなカイエルがメイベルを離すわけがなく。そこから今まで二人は片時も離れなかった。


「ベル、皇后の勉強は順調かい?」


「順調。エル、いつも見てる」


「そうだね。毎日君が本気で皇后の役割や仕事を学んでいるのは見ている。たまには休憩してもいいんだよ。毎日では疲れてしまうだろう?」


「平気。エルも。毎日執務してる」


「ははは。俺は慣れっこだし大丈夫だよ。何よりベルがそばにいてくれるから仕事が捗るんだよ。今はむしろベルがいないと仕事ができない状態だな。なにせベルがいると休憩はいらないんだから」


 忙しかったのは執務もである。

 婚姻の儀を執り行うために執務を前倒しで進めておいたが、通常の執務に加えて婚姻の儀の準備や根回しなども必要であったため、考えていたよりも戻った時の残務は多かった。まさに書類の山。最近はやっと少し落ち着いたが当初は休憩をとる暇もなかった。


 そんな執務室ではカイエルとメイベルはいつも二人でいる。


 なんとなく大窓と執務机の間にあるソファがメイベルの定位置となった。

 そこに座っているメイベルは馬車の中でおとなしくできなかった人間とは思えない程に落ち着き、自らそのソファにいる事を好んだ。

 自分には皇后としての知識や教養やマナーなどがない事を自分が一番理解しているメイベルは、それを埋めるために日中ずっとそのソファで本を読んでいる。


 ずっとは流石に言い過ぎた。そこまでの落ち着きはない。


 たまに本から顔を上げ、その度に仕事モードのカイエルの真剣な顔の虜になって、気付くとカイエルの膝の上に座っている事が日に何度かある。

 だがまあそれもお互いの休憩としていいタイミングとなっているようで。


「エル。働きすぎ。だから。頬を撫でにいく。あれ休憩」


 モノは言い様である。


「ああ、あれってそうだったの? 確かに膝の上のベルのおでこにキスをするのは休憩になるけど、膝に座ってる時に耳をこしょこしょされるのはまだなれないな」


「うそ。エルはあれが好き。とける」


「ぐ。そんな事はないよ。びっくりするから」


「そう。じゃあ寝る時もしない」


「ちょっとそれは待って。あの時は別じゃないかな?」


「一緒。代わりに背中ギュッてする」


「それは! ほんとにやめて! まだ背中に傷が残ってるんだから!」


「む。あれは。仕方ない」


「えぇ……? 仕方ない……の、かな? うん。まあ、俺としては背中の痛みと一緒にあの日のベルを思い出せるしね。仕方ないでいいかな? ああ思い出すと特別に可愛かったなあの日のベルは。俺の思い出の中でも一二を争うよ。そう考えると背中の痛みも消えて欲しくないくらいだよ」


 お得意の記憶の反芻をはじめたカイエル。


「むむ。あれは。痛みに痛み。返した」


 月を見たままメイベルは拗ねてみせた。

 少しだけ膨らんだ頬。

 カイエルにだけわかるその表情が月に照らされている。


「意地悪を言ったね。ごめんよ。愛している。ベル。これで許してくれ」


 そう言ってカイエルは椅子から腰をあげ、身体を伸ばし、膨れているメイベルの頬をチュッと音をたててしぼませる。メイベルもやぶさかではない。本当に怒っているわけではないのだ。


「むう。許す。私も。エルが好き」


 月からカイエルに視線を移し、そのまま眼前のくちびるへと、己の桜色の花びらを軽く重ねると。

 なんとも華やかな水っぽい音が月夜に響いた。


 カイエルは伸ばしていた身体を戻して椅子に座り直し、メイベルも視線をカイエルから月へと戻す。

 お互いの横顔が少しだけ名残惜しそうにお互いに傾いている。


 少しの無言の後、火照った空気を誤魔化すようにメイベルが口を開いた。


「兄上。どう?」


「サラザール殿か、彼はすごいな。俺がもう一人できたみたいだ。おかげで仕事がだいぶ楽になった。彼であれば不正の心配はないし、感謝しかないよ」


「うん。不正したらクビ」


「待って。ベルのクビって言葉から物理的な匂いしかしないんだけど?」


「クビ。はクビだよ。兄上に聞いた」


 兄。

 サラザールは帝都の官僚となっていた。

 元々王都で様々な事務処理を行なっていたサラザールはとても有能であり、一月ですでに重要な事務処理を任されるようになっていた。カナリア帝国内にしがらみがない上に皇后の兄である。このまま行けばカイエルの右手となり、ゆくゆくは宰相にでもなるのではないかと噂されるほどである。


「うーん。不正してもクビは切ったらダメだからね? ちゃんと不正に対する罰は決まってるから」


「でも。私以外。兄上。クビできるの父上だけ」


「だからよっぽどじゃないとクビは切らないってば。それに義父上と義母上は海の上なんだからもっと無理だよ」


「二人。楽しそう」


 サラザール、クーナの二人。

 エルー神聖国から帝都に着くも、身支度も解かずにそのままグリーンタウンに向かった。そこで船を一艘購入し、冒険者兼商人になると言い出したのである。出航前に一度二人で会いに行ったが、何というか。海賊と海賊女帝そのものであった。そのまま意気揚々と初航海へと乗り出していった。カイエルが紹介した熟練の船乗りたちをつけてあるから万が一はないと思われる。万が一があったとしてもメイベルの両親。泳いで帰ってきそうである。


「ああ。何というか。義母上までノリノリだったのは少し意外だった。もっとクールな女性だと思っていたから」


「かあさん。父上が好きだから」


「ああ、なるほど。二人で同じ方向を向いているのが好きなのだな。それは少しわかるよ。俺もベルと同じ方向を向いて生きていきたい。ベルの家族はいい家族だな」


「うん」


「……少し羨ましいよ」


 カイエルには家族と呼べるような存在はいない。血縁者は先代に殺されたか。自分が殺したか。勝手に死んだか。そのどれかだ。孤独という観点でいえばメイベルよりもカイエルの方が孤独であった。

 表情に出すまいとくちびるを軽く噛む。

 そんなカイエルに。


「エル。おいで」


 メイベルは呼びかける。

 カイエルは椅子から立ち上がり、そのままメイベルの前までゆっくりと歩み寄る。カイエルが正面に立つと、メイベルは両手を差し出した。その手の上にカイエルが両手を置く。まるで犬のようだなと少し自嘲気味にカイエルが笑うと、メイベルは無言で置かれた手を自分の肩の上を通して背中に回す。メイベルの手はカイエルの腰に回った。


「エル。私が家族」


「うん」


 メイベルの声が耳元で優しく響く。

 気遣いと言葉。素直に嬉しいとカイエルは感じる。


 腰を折って抱きしめている体勢から、抱きしめやすいように地面へと膝をつく。軽くメイベルを見上げるようなこの体勢をカイエルは新鮮に感じた。

 あらためてメイベルを抱きしめ直すとその柔らかさがダイレクトに伝わってくる。


 暖かくて柔らかい。


 優しい多幸感に満たされる。


「エルには私がいる」


 啓示のように頭の上から優しい声が降り注ぐ。


「うん。ありがとう。俺にはベルがいる。ベルにも俺がいる」


「だから大丈夫」


「ああ」


 スポットライトのように二人を照らす月光。

 狸の腹鼓が行く末を祝福するように高らかに鳴り響く。

 そんな中で。

 安心したように目を閉じたカイエル。

 それを胸元に抱きしめてまるで宝物を磨くよう、愛おしそうに撫でるメイベル。


 二人の幸福な人生はまだはじまったばかり。


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