降って湧いた家族団らん。これは幸せ。

 三月二十六日。


 王都内にあるシュート公爵家のタウンハウス。

 その談話室の暖炉には火が入り、ちかちかと部屋の中を暖める。

 二人がけのソファが暖炉の正面でぬくぬくと温まり、その両サイドには一人がけのソファが少しでも暖を求めるかのように傍に侍っている。

 そしてそれらの椅子には公爵家一同が勢揃いして座っている。


 魔境守護に忙しいシュート公爵家一同が集まっている理由は言わずもがな。

 もちろん今日が婚約破棄の翌日だからである。


 父、タウンゼン・シュート公爵。

 母、クーナ・シュート公爵夫人。

 兄、サラザール・シュート次期公爵。


 そこに当人であるメイベルを含めて計四人が談話室の暖炉の前を陣取っている。その表情は皆一様に厳しいものであった。それもそうだろう。前日に公衆の面前で一人娘が一方的に婚約破棄されたのだから。


「王家は! 魔境防衛に長年尽力してきたシュート公爵家をなんだと思っているのだ!」


 家族全員の苛立ちを代表するようにタウンゼン公爵が怒りをこめてドンとサイドテーブルを叩く。するとその上に載っていた二通の手紙がまるで怯えるように飛び跳ねた。怒りの原因はこの手紙であるがゆえ、いかな無機物とはいえ恐怖というものを感じるのであろう。


 その手紙。

 封蝋は王家のもの。サインも王家のもの。つまりは王家からの手紙。


 片方は婚約破棄の通達。


 内容としては謝罪と賠償とこれで口を噤めという脅しと裏切ったら国の威信を懸けて潰すという完全に相手を舐め腐ったものだった。


 もう一通は業務通達。


 内容としてはメイベルを始め、シュート公爵家の魔境守護の任を解くというものだった。


「大丈夫?」


 相変わらず言葉が少なく通常であれば意図は通じないがメイベルは王家の頭を心配していた。


「イカれたとしか思えんな。メイベルの後任として件の男爵令嬢が就くようだ」


「死ぬよ?」


「だろうな」


「それが父上。僕の調べた情報によるとどうやらピッチ男爵家で魔獣素材を使用した魔道兵器を開発したようだよ」


「ああ、それはわしも聞き及んでおる。URクラスの魔獣素材を使用しているらしい。昨日その実地実験に成功したらしい」


「ああ、なるほど。だから公爵家一同、メイベルまでも魔境から呼び戻していたわけだ」


「よほど我らには見られたくなかったとみえるな」


 この季節に魔境から守護の一族全員が呼び戻される事態に得心がいったようにタウンゼンとサラザールはうなずいた。その横でメイベルはテーブルの上に熱視線を送っている。


「母上、これ食べていい?」


「いいわよ。お食べなさい」


 真剣な話の横でメイベルと母である。


 メイベルにとって魔境守護は正直どうでもいい事で。神の守護を授かったから。シュート公爵領の領民を守るため。家族がいる防衛ラインに強力な魔獣を漏らさないため。王家に言われてたから。いろんな理由から仕方なしにやっていた事だった。なのでやらなくていいのならやる気はない。


 そして何より話に飽きていた。


 メイベルは母の許可を得てテーブルの上にメイドが用意してくれた軽食を口に含む。魔境の食事の癖で口いっぱいにほおばってしまい、ほっぺたがむっくりと膨らんでしまった。


「ぱふぁぱふぁふふ(パサパサする)」


「ふふ、これを飲むといいわ」


 母が差し出してくれた紅茶で口の中を水分レスキュー。危うくサンドイッチ程度にやられる所であった。その姿に思わず家族はほっこりとしてしまう。父も兄も怒りを忘れてしばしメイベルの食事風景を眺めてしまう。


 そんな家族の生暖かい視線に気付き、メイベルがジトっとした目で一同を軽く見回してから口を開いた。


「見なくていい」


「おお、すまないな。ついつい可愛い妹に見入ってしまったよ。——して父上、その実験とやらはどこで?」


 気を取り直すようにサラザール兄が話を戻す。


 質問の意味としては魔境の深度を問うものだった。

 魔境は北へ行けば行くほどに苛烈になっていく。瘴気は濃くなり、生息する魔獣のランクも加速度的に上がっていく。普段、タウンゼン公爵とサラザール兄は魔境の中層、モエ火山の魔獣を狩っている。メイベルはモエ火山を越えてさらに深層、グレイ連峰や古都ドニー狂街などを主に狩っており、場合によってはさらに深層まで足を伸ばしている。これはシュート公爵家の歴史の中でも異例で人類の中でそこまでの深層に辿り着いているのはメイベルだけである。


「ベル草原、だそうだ」


「ベル!?」


「ああ、驚くだろう?」


 タウンゼンとサラザールが驚くのも当然であろう。なにせそこはぎりぎりまだシュート公爵家の領地である。魔境ですらない。確かに魔境に接しているから魔獣が出現する事もあるが、その先のドリー湿原やウッソ森林で住処を追いやられる程度の魔獣である。ランクで言えばRクラスにも満たない、言うなればコモンクラス、獣に毛が生えた程度の魔獣しか出現しないような場所である。


「URクラスの魔獣素材を使った武器でコモンクラスを討伐して実験成功? あまつさえその成果を以て魔境防衛からシュート公爵家を外すと言っているのですか、王家は?」


「この手紙にはそうあるな」


 そう言いながら、タウンゼン公爵は王家の封蝋が割れた封書をヒラヒラと踊らせる。


「メイベルの言葉ではありませんが王家は大丈夫ですか?」


「わしが聞きたいわ。どうもピッチ男爵家とやらが糸を引いているらしいが詳しい事は昨日の今日でよくわからん。公爵家とは言ってもわしは魔境防衛に重きを置いているからな。基本的には王都の政治にはノータッチだ」


「ピッチ男爵家と言えば魔道具開発と販売を行なっているピッチ商会が元になっている家ですよね?」


「そうだな」


「いくらUR魔獣の素材で武器を作れた所で使う人間がいなければどうにもならないと思うんですがね」


「わしも同感だな。しかもそのUR魔獣を狩ってきているのは可愛い愛娘だ。そのメイベルを排除してこの先どうやってUR魔獣素材を調達するつもりなんじゃろうな? まさか『同ランクの魔獣同士は攻撃は通らない』という常識がないのではなかろうな?」


「まさか、魔境の常識ですよ? 魔境入門には魔獣の格付けの次に必ず書いてある文言じゃないですか」


 サラザールが言う様に。


 魔境の魔獣には厳然たる格付けがある。


 魔獣のナワバリの関係か何かは不明だが、下位ランクの魔獣から上位ランクの魔獣に攻撃が通らないのはもちろんの事、同ランク同士の攻撃もお互いに通らない状態にある。まるで魔境が魔獣同士の争いを好まないかのような仕組みである。そしてその仕組みは魔獣を倒した後の素材にも適用される。

 例えばSRランクの魔獣の素材を使って剣を作成したとしても、その剣で狩れる魔物はその下のRRRランクの魔物までである。


 そのルールが魔境の攻略を阻む大きな理由でもある。


 魔境を攻略し、開拓するには、魔獣を倒す必要がある。

 しかしこのルールがあるため、魔獣を倒した所でそれを使用して人間側が強くなる事はない。結局、格上の魔獣を討伐するには人間が強くなるしかないのである。

 そのため、長年魔境防衛を任されているシュート公爵家では自らの戦闘能力を鍛える事を是として魔獣の素材を使用した武器開発などは大々的に行ってこなかった。


 これが魔境の常識である。


 シュート公爵家に連なる者であれば誰でも知っている。


 当たり前の事である。


 しかしそれは王都の常識ではない。


 長年、公爵家に魔境防衛を丸投げし続けている王家では、その情報は価値のないものとして打ち捨てられ、散逸していた。つまりクリード王家もピッチ男爵家も誰も彼も。その情報を知らないのである。彼らはUR魔獣素材を使用した魔道武器で新たにUR魔獣を討伐し、その素材で新たなUR魔道武器を量産するつもりで今回の決断に至ったわけである。


 明らかな勇み足。


 これはシュート公爵家一門では新兵でもやらない間違いであり、1+1を間違えるような事象であるため、まさか本気で王家がそんな勇み足をやらかしているとは、シュート公爵家サイドの人間は思いもよらない。


「じゃな。さすがの王家とて魔境のイロハのイを間違えるわけがない」


「父上、王家をバカにしすぎですよ。大事な妹が婚約破棄されたとて不敬はよくないですよ。処されますよ」


「ガハハ、あんな馬鹿王に処されるほど耄碌しとらんわ!」


「父上、不敬ぃ!」


 そんな風にふざけ合い笑い合っている父と兄をメイベルは嬉しそうに見つめていた。


 実はメイベル。


 自分のわけのわからない婚約破棄で家族が怒っているのが一番嫌だったのであった。五歳から魔境の深層で戦闘漬けだったメイベルが唯一安らげたのが、戦線を下がった時の家族との触れ合い。きっとこの触れ合いがなかったらメイベルはただの戦闘マシーンになっていただろう。

 王家もそれを狙っていたふしがある。神の子を孤立させ、常識を与えず、王家の良いように扱える戦闘マシーンを作り出すために、幼いメイベルを魔境の最前線に送り込み、休暇中の行動を王都に縛りつけ、他人との接触を極力与えず、王家が正しいという事だけ刷り込んでいた。そしてそれは成功していた。


 王都では。


 しかし魔境までは王家でも目が届かない。

 最前線に送り込まれているとはいえ、当然補給で下がってくる事もある。

 そんな時。

 シュート公爵家はメイベルを思い切り甘やかした。どんなに補給線の確保が大変だろうと、それを厭わず、メイベルが喜ぶもの、メイベルが知らないもの、メイベルが知るべきもの、全てをメイベルのために届けた。そしていっぱい抱きしめた。ここの一点だけでメイベルは壊れなかったのである。


 メイベルは微笑んだ。


「どうした? メイベル。頬が引き攣っておるぞ」


「ちょ、父上! これメイベルの笑顔です。メイベルは笑ってるんですよ!」


「なんじゃと! メイベルが笑っておるのか!? わし初めて見たぞ! クーナ、知っとったか?」


「あら、タウンゼン見た事なかったの? という事は今までメイベルを一度も喜ばせた事がなかったのね?」


「父上ェ、父上失格ではぁ?」


「は、待て待て! いっつも補給で小さい頃から好きだったべっこう飴を差し入れていたぞ! 喜んでいたじゃろう?」


「父上、それ四歳くらいの頃の好物では? 十年経ったら味覚も変わりますよ。僕と母上は王都で話題のケーキとか差し入れてましたよ」


「なんじゃとおおおお!? メメメ、メイベル? べっこう飴、好きじゃったよな?」


「んーあれ飽きた」


「「ほらね」」


「ああああ! ならもっと早く言っとくれえええええええ! わしもメイベルを喜ばせたかったのじゃあああ!」


 王家への怒りは何処へやら。


 十年ぶりに得た家族団欒をシュート公爵家は満喫するのであった。



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