王と戦乙女 花咲ける世界に目醒める君へ

瀬川月菜

序章

戦女神の乙女

 ――……遠くで、誰かが泣いている。


 最初に知覚したそれを手繰ろうとした途端、声は逃げていくように遠ざかっていく。苦労して動かした指は何も掴めず、こじ開けた瞳に溢れる光が降り注ぐ。眩い力の輝きに目を射られると激しい痛みを感じ、何度も瞬きを繰り返す。


「まさか、目覚めてしまったのか」


 苦労して半身を起こしたそこへ、驚愕を含んだ、どこか面白がっているような声の持ち主が現れた。燃えるような赤い髪と金の瞳をした、美しさと力を体現したかの彼女が何者なのかを瞬時に悟り、口を開く。


「我が主」


 呟いた小さなおとがいに指をかけ、彼女はにっこりと笑う。


「私が誰か、わかるかい?」

「戦女神ジルフィアラ。戦いと勝利を司る女神。私の創造者であり、ともに戦い、お守りすべき我が主です」

「そうだとも、私の可愛い【戦乙女シルヴィア】」


 その瞬間シルヴィアに練りこまれた数多の知識が溢れた。


 ――【戦乙女】。戦女神ジルフィアラに創造される戦士。創り出され、百年の眠りを過ごした後、人の世に降りて自らと生命と世界を学ぶ。十分な学びの後、神々が暮らすこの『神々の国』に戻り、来るべき日に備えながらジルフィアラのために戦うもの。


 自らの状態を確認しようと視線を下げたシルヴィアは、しかしすぐに首を傾げた。察したジルフィアラが付き添っていた【戦乙女】に命じて盾を掲げさせる。

 磨かれた盾が鏡となってシルヴィアの姿を映し出す。

 髪色は、銀。瞳はまろやかな黒に光が入って黒真珠を思わせる。

 だが頭も顔も、手足や背丈まで、かように小さく細いのはどうしたことか。

 シルヴィアは盾を持つ【戦乙女】を見た。先んじて生まれたいわば姉に当たる彼女は、見事な金髪と青い瞳、主に近しい、最も戦闘に適していると考えられる身体を有している。それに比べれば、どう見ても自分は少女、それも保護されるべき十代前半になろうかという幼い肉体だ。


「まさか成長の眠りの途中で目覚めるとはね。さてどうしたものか……」


 ジルフィアラが困ったように赤い唇を歪める。

 私は失敗作なのだ。悟ったシルヴィアは主に告げた。


「不具合が発生したのならば廃棄を推奨いたします。放置した場合、我が主に予期せぬ不都合が起こる可能性があります」

「それはそうだが、原因を突き止めておかねばまた同じことが起こる。銀色の【戦乙女】、目覚めた理由に心当たりはあるかい?」


 主の言うことはもっともだと思い、シルヴィアは答えた。


「原因だと断定はできませんが、目覚める直前まで何者かの泣き声を聞いていた気がします。実際に聴覚が働く範囲で何者かが泣いていたのか、類似した声を聞いていたのかは不明です」


 ジルフィアラに視線を向けられた金色の【戦乙女】は「私にそのような記憶はございません」と答えた。


「銀色の【戦乙女】のみに発生した特異な事象だな。さてどうしようか」

「恐れながら、我が主。【戦乙女】の性能を確認していただいてもよろしいでしょうか?」


 金色の【戦乙女】の意見を受けたジルフィアラはシルヴィアに立つように命じた。石の寝台から降り立ったシルヴィアは主や姉に比べて半分ほどの背丈しかなかったが、命じられるままに歩き、走り、跳躍し、姉の武器や盾を持ち、指示されるままに動いた。


「未成熟な肉体のせいで私の力を固定するための安定性を欠いているのは間違いないが、【戦乙女】としての能力には問題がないようだな……」


 シルヴィア自身にも手足も動きや感覚に問題はないように思われるが、今後を決定するのは主だ。何故なら不完全であってもシルヴィアは神であり、この身にはジルフィアラが与えた力が宿っている。解放すれば自らの消滅と引き換えに一定範囲を跡形もなく吹き飛ばし、敵を殲滅できるほどのものだ。そのような強大な力を不完全な戦士に与えるのか、決めるのはこの身を生み出したジルフィアラだけだった。

 しばらく思案していたジルフィアラは一つ、頷いた。


「不具合か理由あるさだめか、どちらにせよ学ぶ価値はあろう。私が与えた寝床がもたらす眠りのように、とまではいかぬだろうが、人の世に降り、自らが見聞きするもので幼き心身を成長させるがいい」

「お役に立てるのであれば如何なるご命令にも従います、我が主」


 廃棄されず人の世に行けという【戦乙女】の使命を与えられたシルヴィアが膝を折る、とジルフィアラは満足そうに笑った。


「世界が始まって悠久の時が流れた。お前のような稀なる幼い戦乙女が生まれるのも、この世の面白きこと。お前が人の世界で何を学んだのか、帰ってきたときに聞かせておくれ」

「かしこまりました。必ずや我が主にご満足いただけるよう、十分に学んで参ります」


 そうしてシルヴィアはジルフィアラに連れられ、神々の国の中心にある光溢れる門をくぐり、人の世へと舞い降りた。

 世界と命、そして人と、心を知るために。

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