第172話:これからの日々へ
新たに通う事になる学校の制服が、つい先程家に届いた――僕は母さんから、彩華さんは屋敷に待機している執事さんから、メールを介してその連絡を受け取った。
それぞれ帰宅して試着するのを待っている、という文面が記してあったのに加えて、僕の母さんは『以前の制服よりも格好良いだろう』という感想を寄こしてくれた。
レストランの中でもう一度その内容を確認し合った僕たちは、改めて、あと少しで新たな学校、あの『教頭先生』こと相田哲道さんが教頭を勤める場所で、生徒として日々を過ごす事になる事を実感した。
「譲司君、やっぱり緊張しちゃう?」
「うん……。でも、何というか、不安とか恐怖とか、そう言うネガティブなものじゃなくて……」
未来への興奮、背筋をしっかり伸ばさないといけないと気を引き締める感覚、そして何より彩華さんと一緒に同じ場所の制服を着る事が出来る事への嬉しさ。
それらが混ざった、どこかポジティブな緊張感が心の中に溢れていた事を、僕は彩華さんに説明した。
「ふふ……。実は私も同じような感じの思いを抱いていたの。そうよね、これから私たち、もう一度『学生』に戻るのよね……」
「何だか、制服や通学っていう響きも少し懐かしく感じちゃうね」
「前の学校から逃げ出してそんなに経っていないのにね……。まあ、それだけ色々な事が立て続けに起きた証拠なのかもしれないわ」
「そうだね……」
色々と感慨深くなるところはあるけれど、折角届いた制服、まず袖を通してみるのが先決だ、という結論に至った僕たちは、改めてレストランを後にする準備を始めた。
お手頃価格なオムライスの代金を支払い、図書館やレストランが入っている巨大な文化センターの建物の外に出た僕たちは、彩華さんの案内で少し離れた場所にある駐車場へと向かった。
行きは大手私鉄の電車を利用した僕たちだけれど、帰りは彩華さんたちからの誘いで車で家まで送迎してもらう事になっていたのだ。
そして、駐車場で僕たちを待っていたのは――。
「ごめんなさい、待たせちゃったかしら?」
「いえ、お嬢様、ご心配なく。和達さんもお久しぶりです」
「こんにちは、卯月さん」
――綺堂家に仕える執事さんを始めとした使用人の皆さんを束ねる執事長の役割を担う、格好良く凛々しいお姉さんである大谷卯月さんと、僕たちのために用意してくれた車だった。
以前、綺堂家を訪れた時には0系新幹線を模したエンブレムが付いた高級車が用いられ、卯月さんもスーツ姿でびしっと決めていたのに対し、今回は重大な用事ではない事もあって、僕たち和達家の車と少し似た一般車が使われており、卯月さんの衣装もラフな感じだった。
そして、卯月さんの案内に従い、僕たちは早速車の後部座席に仲良く座る事にした。
「卯月さん、いつも忙しいのに送迎までしてくれて、本当にありがとうございます」
「私もお礼を言いたいわ。卯月さんたちの頑張りには綺堂家一同、いつも感謝しているわ」
「おふたりとも、お気になさらず。これもまた執事長の仕事の一環ですから」
どこかクールな、でも誠実さが詰まったような言葉を返した卯月さんは、僕たちがシートベルトをしっかり締めたのを確認すると、車をゆっくりと発進させた。途中で僕の家を経由し、彩華さんの鉄道屋敷へと向かう送迎便だ。
そして、幾つかの信号に停まりながら進み続ける車の中で、卯月さんは僕が転入試験に合格した事を改めて丁寧に祝福してくれた。綺堂家一同としても、お嬢様=彩華さんの『特別な友達』として是非祝福したい。流石はあの旦那様=綺堂玲緒奈さんに認められた存在だけある、と。
その言葉を聞いて、若干大袈裟かもしれない、と照れる僕に、彩華さんはもっと胸を張って欲しい、と語った。
「今の譲司君は、和達家だけじゃなくて、私たち綺堂家にとっても大切な存在なんだから。だって、そうじゃなきゃ『綺堂コレクション』の秘密、教えていないでしょう?」
「あ、ああ、そうか……」
確かに、玲緒奈さんからは『鉄デポ』の話やもう1つの顔である『鉄道おじさん』の話、彩華さんや卯月さんからは『綺堂コレクション』についての秘密を、外部に漏らさないように、という条件付きで僕は知る事となった。
外部の存在にもかかわらず、それだけ大富豪である綺堂家から信頼されている僕は、気付けばとんでもない立場になっているんだな、ともう一度思い返すのだった。
「そういえば卯月さん、執事のみんなから私の制服が届いた旨の連絡が来たわ」
「了解しました。そうですか、いよいよ到着したのですね」
彩華さんの連絡に応対した卯月さんは、あの学校の制服はネットでもデザインが人気である事、男女共通デザインを採用しているのでそういった観点からも評価が高い事を教えてくれた。
「きっと旦那様も、新たな制服を着こなすお嬢様を素敵だと思うはずですよ」
「お父様ねぇ……」
そんな卯月さんの言葉を聞いた僕の心の中に浮かんだのは、どっしりと構え厳格さに満ちた『綺堂家当主』としての綺堂玲緒奈さんではなく、彩華さんの素敵な姿に感激し、奥さんである一葉さんへ嬉しそうに伝える、愉快で明るい『鉄道おじさん』の姿だった。
玲緒奈さんなら、あの自室でそうやって大はしゃぎするのもあり得そうだ、という僕の考えはつい表情に出てしまったようで、それが気になった彩華さんの指摘を慌てて誤魔化す羽目になった。
綺堂玲緒奈さんの様々な側面を娘である彩華さんが知るのは、どうやらまだまだ先になりそうだった。
そんな中、卯月さんは彩華さんに、『あの事』はもう伝えたのか、と尋ねてきた。それを聞いた彩華さんは、しまった、と言いたげな顔を見せ、僕にある重要な要件を語りだした。
「譲司君、さっきも図書館に入る前に少し触れたけれど、図書室のおばちゃんがあの学校を辞めるために活動を起こしている話は把握しているわよね?」
「うん……。他の先生と一緒に頑張っていて、そろそろ本当に退職しそうだって……」
前の学校で苛烈ないじめを受け続けていた時、学校の中でたった1人だけ僕たちを直接的に助けてくれた、親切で優しく、そして芯の強い性格の図書室のおばちゃん。
学校に対して愛想を尽かした他の先生と共に集団退職を目指した行動を起こしており、間もなくそれが結実しようとしている、という情報を、先程彩華さんは僕に教えてくれた。
その後、あの学校から逃げ出した先生は他の学校や新たな職場へ再就職する事を検討していた一方で、当初おばちゃんは退職金を貰い、そのまま余生を過ごすつもりだったという。
そんなおばちゃんに、是非『本』のためにもうひと頑張りして欲しい、と、綺堂家が動き出したのである。
「和達さんは既にご存じかもしれませんが、元々あの学校の図書室にあった、鉄道関連の書籍を含む大半の蔵書は全て綺堂家から寄贈されたもの。綺堂家がスポンサーを降りる事に合わせて、それらの本も全て回収致しました。ただ……」
その後、これらの本をどのように扱うかに関して、綺堂家や関係者の間で議論が沸き起こったという。
綺堂家の一員である玲緒奈さんや彩華さんが貰えば良いのではないか、という案もあったけれど、双方とも本棚がいっぱいであり、読む時間も取れない可能性が高い。
だからといって、ずっと保管しているままでは劣化が進んでしまいそうだし、何より皆に読んでもらうため購入した、という元々の役割が損なわれてしまう。
そこで浮かんだのが、小規模な『私設図書館』を作り、そこを訪れた人に読んで貰う、というものだった。
「まだ方針が決定しただけで、建物やレイアウトなどの具体案は検討中なのですが、その図書館の司書、もしくは館長として……」
おばちゃんを是非招き入れたい、と考えたのである。
お嬢様を懸命にいじめから守ってくれた事、綺堂家から贈られた本を大事にしてくれた事の恩返しをしたい、という思いは勿論あったけれど、何よりこれらの本の扱いに一番慣れているのは、長年本を守り続けた図書室のおばちゃんだ。
そう言った人がいれば、きっと本も今まで以上に大切に見守られ、多くの人に様々な知識や好奇心を与えてくれるに違いない、と彩華さんを含めた綺堂家の面々は考えたのである。
「それに、私たち綺堂家は既にあの学校のスポンサーから離れたから、あの集団退職を直接的に応援する事が出来ない。でも、学校を辞めた後なら、自由にサポートできるはずだ、っていう考えもあるの」
「なるほど……凄い……凄いアイデアだよ、彩華さん!」
おばちゃん本人には既に教えたのか、という僕の質問には、卯月さんが答えてくれた。
「先日、その旨をお伝えしましたところ、非常に喜んでおられました。また本に囲まれた時間を過ごせる、自分みたいな人でもまだまだ必要とされているんだ、と」
「そうですか……良かった……!」
現状はまだあの学校の職員なので、あくまでそう言う話が出ているという所までしか伝えられなかったけれど、退職が完了し次第、正式なスカウトを行う予定だ、と卯月さんは語った。
近い将来、図書室のおばちゃんではなく『図書館のおばちゃん』になる日が来るかもしれない。その時になったら、開館初日に早速お邪魔しよう、と僕は彩華さんと約束を交わした。
「僕たちばかりじゃなくて、おばちゃんの未来行きのレールも、再び輝きだしたんだね……」
「そうね……。大きくとも小さくとも、色々と変わっていく。そんなみんなを応援していきたいものね」
「……うん!」
「私は勿論、おふたりもしっかり応援するつもりです。今後の新たな学園生活、素敵なものにならん事を」
「……ありがとうございます……!」
そんな会話をしているうち、車の窓から見える景色はいつの間にやら見慣れた近所の光景になっていた。もう間もなく、僕の家の玄関前に車が辿り着くだろう。
降りる準備を始めた僕に、彩華さんは新しい制服を試着してみたら、写真を撮影してメールで送って、互いにその様子を見せ合いっこしたい、と語ってきた。ちょっぴり恥ずかしさもあったけれど、僕はその提案を全面的に受け入れる事にした。
こういうのも、『特別な友達』だからこそできる楽しみなのだろう、と考えながら。
そして、車は静かに僕の家の傍に止まった。
「それじゃ譲司君、制服の写真楽しみにしているわ」
「了解、彩華さん。卯月さんもありがとうございました」
「いえいえ。それでは、失礼します」
そして、僕は楽しみそうな表情の彩華さんを後部座席に乗せた卯月さんの車を見送った後、玄関の扉を開いた。
もう間もなく訪れるであろう日々への新たな一歩に、心を躍らせながら……。
「ただいま!」
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