17 ティスタ先生の魔族相談室


 本日9人目の相談者は、水魔族みずまぞくのハーフの水野さん。その名の通り、水を操る魔術を得意とする魔族。水中でも暮らせる特殊な魔族だけれど、日本にいる水魔族は陸上で暮らしている者が大半だ。


 その身体付きは、エルフのハーフである僕と同様に限りなく人間に近い。魔族としての特徴は、青みがかった髪色くらい。彼もまた、人間と共生する半魔族のひとりである。


 彼の相談は、とても難しい問題だった。


「この辺の水が体質に合わないのか、お腹を壊してしまう事が多くて……」


「なるほど、水魔族は不純物の一切無い綺麗な水でないと体調を崩しやすいですからね。では、水道に特別製のフィルターを取り付けてみませんか。魔道具を製造している会社にツテがあるので、そこに頼み込んでおきましょう。魔族支援もしている企業なので、格安ですよ」


「本当ですか! 助かります!」


 不純物を取り除く事の出来る魔力の込められたフィルターを作って、彼の元に送り届けるとの事。ティスタ先生は顔が広いようで、様々な企業や個人の手を借りる事もある。


「注意点もあります。そのフィルターを使うと水道水のカルキも全て抜けてしまうので、汲んだ水を長時間放置しておくと腐ってしまいますから、覚えておいてくださいね」


「わかりました。気を付けます。ありがとうございました」


「また何かあったら予約を入れて相談をしてください。水野さんの他にも困っている水魔族がいらっしゃったら、教えてあげてくださいね」


 無事に水魔族の抱えていた問題を解決。ティスタ先生は本当に仕事が速い。


 お客様に親身になって話を聞いているし、具体的な解決策もすぐに出す。ちょっとだらしない私生活とは大違いである。


「これで9人目ですか。トーヤ君、待っている次のお客様をお呼びしてください」


「はい、わかりました」


 本日10人目、最後の相談者は――


「こ、こんにちは……」


 扉を開けて入ってきたのは、周辺にある高校の制服に身を包んだ金髪碧眼の美少女。大人びた顔立ちと抜群のプロポーションを備えた美人のお客様。お名前は愛川あいかわ 愛美まなみさん。


 彼女はハーフサキュバス。淫魔族、あるいは夢魔族と呼ばれる魔族の血が流れている。男性の精気を主食とする存在。サキュバスは魔族の中でも特に強い魔力を持っている。


 年齢は17歳、僕と同い年。しかし、その豊満な身体はどう見ても大人の女性にしか見えない。


(はっ……いけない!)


 無意識に彼女の胸元へと視線が向いてしまっていた。その美貌は、人間だけではなく魔族すらも夢中にさせる。気を抜くと鼻の下が伸びてしまいそうだったけれど、僕は気を引き締める。


 彼女のようにサキュバスの性質が強く出ているタイプの子は、無意識に魔力を放って他者を催淫さいいんしてしまっている事がある。気を抜くわけにはいかない。


 隣に座るティスタ先生は、目の前のサキュバスを見ても動じている様子は無い。いつも通りの優しい笑顔をしている先生を見ていると、うっすらと魔力の膜を纏っているのがわかった。


(なるほど、こうして催淫魔力を遮っているんだ)


 さすがは一流の魔術師、どんな相手でも対策はバッチリだ。僕も先生の真似をして、魔力を全身に纏ってみた。確かに効果がある。


「さて、本日はどのようなご用件でしょう?」


「あの、恋愛相談……なんですけど……ココってそういうのも受け付けてもらえますか?」


「ふむ、なるほど……」


 ティスタ先生は俯いて、何か考えている様子。1分ほど沈黙を続けて、何も言わない。サキュバスの女の子も不安気にこちらに視線を送ってきている。


「あの、ティスタ先生。どうかしましたか?」


 俯いているティスタ先生の顔を除くと、真っ青な顔をしたまま硬直していた。


「……すみません、愛川さん。少々お待ちくださいませ」


 お客様に一言告げた後、僕は先生を連れて事務所の端へと連れて行く。明らかに様子がおかしい。


「大丈夫ですか? 何か問題でも――」


「れ、恋愛相談なんて出来るわけがっ……」


「えぇっ!?」


「子供の頃から魔術ばっかり取り組んできた私が、恋愛の経験なんてあるわけないでしょうっ!」


「どうしますか? このまま何もせずに帰すわけにもいきませんし」


「恋愛のアドバイスくらいなら、インターネットで検索した知識で……!」


 正直それもどうかとは思うけれど、わざわざ足を運んでくれたお客様を何もせずに帰すわけにもいかない。恋愛相談とはいっても、年齢的に考えると初歩的な悩みに違いない。


「すみません、お待たせしました。恋愛相談、承ります」


 先生はサキュバスの女の子へ向けて精一杯の笑顔を見せながら、優しく相談に応じる。相談者に親身になる姿勢は決して崩さない。しかし、サキュバスからの相談は僕達の想像を超えていた。


「彼氏と夜を過ごす時の誘い方なんですけど……」


「夜、というのは……つまり恋人同士の……?」


「はい。サキュバスなので、彼氏から定期的に精気を貰っているんです」


「そ、それは、つまり、セッ……」


「はい」


 サキュバスの女の子は恥ずかしそうに頷く。ティスタ先生は引き攣った笑顔を浮かべながら顔を真っ赤にしている。


 僕達の想像しているよりも関係が進んでいるらしい。このレベルの相談だと、僕達で良いアドバイスを差し上げる事が出来るとは思えない。


「サキュバスの催淫についてなんですが」


「あ、あぁ……なるほど。催淫についてでしたか」


 単純な男女の関係ではなく、サキュバスと人間の交際における「催淫」の扱い方の相談だった。淫魔族特有の特殊な魔力は、異性を惹き付ける力を持っている。それについて、サキュバスである彼女自身にはずっと疑問に思っていた事があるらしい。


 魔族の特性についての相談なら、ティスタ先生も答えられるようだ。


「催淫って、ある程度はコントロールできるんですけど……これって、無意識のうちに自分の彼氏の事をコントロールしてしまっているんじゃないかなって思ったら、ちょっと心配で……」


「ふむ、なるほど。自分の彼氏から向けられる好意が催淫由来なのではないか、と感じているわけですね」


「はい……」


 サキュバスの少女の悩みは、思った以上に深刻だった。


 彼女は、催淫によって自分の彼氏を操って強引に好意を持たせているだけなのではないかと感じてしまうことがあるらしい。自分のパートナーの事を本当に愛しているからこそ、そんな不安に苛まれているのだ。


 この件に関して、ティスタ先生は即答した。


「結論から言いましょう。その心配はありません」


 先生の言葉を聞いて、サキュバスの少女は嬉しそうに顔を上げる。


「サキュバスの催淫というのは「掛け算」なんです。彼氏さんがあなたの事を「好き」という気持ちに掛け合わさって増幅されます。仮に好意が0だった場合、掛け算だから0です。でも、そうじゃないですよね」


「はい、彼は私の事を……とっても大切にしてくれます」


「それなら大丈夫。あなたは催淫で無理に好きになってもらっているわけではなく、彼氏さん側にちゃんと好意があったという事です。それと、あなたは催淫について思うところがあるようですが……私個人としては、催淫も数あるサキュバスの魅力のひとつなのではないかと思います。どうか自信を持ってください」


 先生の言葉を聞いて、サキュバスの少女は満面に笑みを浮かべながら納得してくれた。


「……えへへ、ありがとうございます。相談しに来て良かったです!」


 無事にお悩みを解決。一時はどうなる事かと思ったけれど、何とか今日の仕事は終了した。




 ……………




 最後のお客様であるサキュバスの少女が帰った後、僕はティスタ先生の車で自宅まで送ってもらう事になった。


「いやはや、今日は大盛況でしたね。世の中にはまだまだ悩みのある魔族や半魔族がいるに違いありません」


「そうですね」


 今の人間の世界で、ティスタ先生のように真剣に魔族の悩みを聞いてくれる人間は少ない。こうした機会が、少しでも魔族の暮らしに役に立って行けばと思う。


「最後のサキュバスのお悩み相談はどうなる事かと思いましたが……」 


「でも、意外でした。ティスタ先生はお綺麗なので、恋愛経験も豊富なのかと思っていたので」


 僕の言葉を聞いて、ティスタ先生はハンドルを握りながら顔をほのかに紅く染める。


「キミは相変わらずお世辞が上手ですね。幼い頃から魔術ばかりに没頭してきたので、そんなヒマは無かったですよ。トーヤ君こそ、恋愛経験は?」


「もちろん無いです。半魔族なので、あまり人間と積極的に関わってこなかったので」


「お互い、この手の話は苦手ですね」 


 恋愛に疎いというティスタ先生の意外な一面を知れて、今日はちょっと特別な気分だった。


「……キミもいつか、素敵な女性と出会えますよ」


「いえ、もう――」


 もう出会えています、と言いそうになってしまった。


 師匠と弟子という立場上、まだ僕はティスタ先生に好意を伝えるべきではない。彼女と並べるような魔術師になった時にと考えている。


「トーヤ君?」


 車が信号で止まったタイミングで、黙ったままの僕の表情を心配そうに伺ってくる先生。その表情に振動が跳ねて、思わず視線を逸らす。


「すみません、なんでもないです」


 サキュバスの催淫魔力の影響なのか、僕自身の問題なのかわからないけれど、今日はなんだかいつもよりも先生と一緒にいると緊張してしまう。


 ティスタ先生は今まで恋愛の経験が無いと聞いて、心のどこかで「恋愛経験の無い自分でも、もしかしたら――」なんて思ってしまっている自分もいる。


 今は師匠と弟子だけれど、いつか彼女をひとりの女性として自分の気持ちを伝えられる日が来るよう、精進あるのみだ。

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