15 先生とふたりで
2週間後。
僕は退院をしてからすぐにアルバイト先の便利屋へと足を運んで、事務所で待っていた千歳さんからテーマパークのチケット2枚を受け取った。
これはあくまでもティスタ先生の息抜きが目的であって、決して僕のためではない。本音を言えばデートのような気分だけれど、これは従業員同士の慰安旅行のようなものだと考える事にした。
「…………」
当日、僕は今までにないくらいに緊張をしていた。自分の師匠とはいえ、女性とテーマパークに行くなんて初めての経験。上手くエスコートできるか不安だ。
待ち合わせをしている駅前の広場で落ち着きなくフラフラと歩いていると、遠くからティスタ先生が歩いてくるのが見えた。
「トーヤ君、早いですね」
「おはようございます、先生。先日はお疲れ様でした」
「形式的な取り調べとはいえ、警察署は何度入っても雰囲気には慣れませんね」
ティスタ先生は警察に連行された後、ちょっとした取り調べを受けただけですぐに解放されたらしい。とはいえ、やっぱりお疲れの様子だ。
「先生、今日はいっぱい羽を伸ばしてください。僕も出来る限りの事をするので」
「いえいえ、羽を伸ばすのはトーヤ君の方ですよ。あんな事があって、一番大変だったのはキミなんですから。千歳さんからもそう言われていますからね」
「え? 僕は千歳さんからティスタ先生の息抜きにって――」
先生と顔を見合わせながら一緒に首を横に捻る。どうやら、千歳さんは僕達に違う事を言っていたらしい。
「まったくあの人は相変わらずですね。まぁ、今回は素直に楽しむとしましょう。せっかく普段とは違う格好までしてきた事ですし」
「……はい」
ティスタ先生の服装は、白のセーターにブラウンのロングスカート。仕事着であるリクルートスーツの上に白い外套を羽織った魔術師としての姿ばかりを見ていたので、今の姿はとても新鮮だった。今日は一段とお洒落な服装をしている。
「では、行きましょうか。今日はお互いに息抜きという事で」
秋の日差しに照らされる先生の笑顔を見て、心臓が跳ね上がる。こんな素敵な表情を見て、異性として意識をしないようにするのは無理というものだ。
……………
テーマパークに到着すると、ティスタ先生のテンションが凄まじい速度で上がっていった。魔法の国なんて言われるほどのファンタジー要素たっぷりの世界に足を踏み入れて、魔術師のティスタ先生ですら童心に帰っている様子。
「おぉぉっ……正に魔法の国! 初めて来ましたが、これは大人も子供も夢中になる気持ちがわかりますね! さぁ、どこから攻めましょうかトーヤ君!」
ティスタ先生は、碧い瞳をキラキラと輝かせながら周囲を見回している。
そしてその隣で僕は、緊張のあまり冷や汗を垂らしていた。人混みが苦手なのは先生と一緒だと思えば気にもならないけれど、はしゃぐティスタ先生の様子があまりにも可愛すぎて、もう異性として完全に意識してしまっている。
今まで抑え込んでいた好意が隠し通せる気がしない。
「もたもたしていると時間が勿体ないですよ! さぁさぁ、行きましょうっ!」
先生に手を引かれて、言われるがままにアトラクションの順番待ちの行列に並ぶ。こうして並んでいるだけでもティスタ先生は周りの様子を見て楽しんでいる。
「お昼も奢ってあげますから、キミもいっぱい楽しんでくださいね! こんな機会、そうは無いですから!」
先生から笑顔でそう言ってもらえて、僕の緊張もほぐれていく。魔術師としてではなく、僕の先生としてでもなく、今はただの憧れの女性として、僕も一緒にこの時間を楽しむ事にした。
大人気テーマパークという事もあってアトラクションの順番待ちは長かったけれど、そんなのは気にならないくらい楽しい時間を過ごした。僕も彼女も、お互いにこうした場所で遊ぶのが初めての経験だったから。
夢中になって遊んでいるうちにいつの間にかお昼過ぎになっていた。楽しいと時間が過ぎていくのが本当に早い。
「次はどこへ行きましょうか。まだ乗っていないのは――」
遅めの昼食をとりながら、パンフレットの地図とにらめっこを続けるティスタ先生。子供のようにはしゃぐ先生を見ているだけで、ここに来ることが出来て本当に良かったと思う。こんなに楽しそうな先生を見るのは初めてだったから。
「先生、絶叫系も大丈夫ならいいのがあるそうですよ。こことか」
「ほほう、水がド派手なアトラクションですね。こんな面白そうなのがあるなら、着替えを持ってくればよかったですね」
「カッパの貸し出しとかもしているんじゃないでしょうか」
「なるほど、それなら大丈夫ですね。早速行きましょう!」
素早く昼食を終えて、ティスタ先生の後に続いて目的のアトラクションに向けて一緒に歩く。その途中、先生は突然立ち止まった。
「先生?」
僕がどうしたんですかと聞く前に、先生は走り出していた。その背中を追いかけていくと、小さな女の子がベンチに座って泣いていた。泣きじゃくる女の子を落ち着かせて話を聞いてみると、両親とはぐれてしまったらしい。
ティスタ先生はその場にしゃがみ込んで女の子に視線を合わせながら、優しく話し掛けた。
「お父さんとお母さん、今どこにいるかわからないですよね?」
「うん……わかんない……」
「じゃあ、お父さんとお母さんを探してもらいましょう。トーヤ君、申し訳ないですが――」
こういう時は無駄に動き回るよりも、同じ場所に留まって待っていた方が良い場合もある。或いは、このテーマパークの従業員に任せて迷子センターで保護してもらうか。先生が何をして欲しいか言い終わる前に、僕は動き出していた。
「念の為、迷子センターの従業員に知らせてきます。それと、こういうテーマパークの場合は服やカバンに迷子シールが貼ってあるかもしれません。シールに保護者の方の連絡先が書いてあるかもしれないので、そちらにも連絡しておきましょう」
事前にこのテーマパークの事を調べておいた事が幸いして、女の子を早めにご両親と再会させてあげる事が出来そうだ。
「承りました。では、よろしくお願いします」
迷子の女の子の事を先生に任せて、僕は迷子センターに連絡を入れた。
女の子の両親か迷子センターの従業員が来るまでの間、どうにかして泣いている女の子を元気付けられないかと僕が考えていると、ティスタ先生が唐突にテーマパーク内にある大きな噴水を指差す。
「見ててね」
女の子にそう言った後、指先をクルリと回す。
噴水から魚の形をした水の塊がフワリと浮かび上がって、僕達の周囲を回遊し始めた。
「わぁぁ……」
さっきまで泣いていた女の子は、その光景を見て目を輝かせている。さっきまでの涙が嘘のようだ。
ティスタ先生は女の子とベンチに並んで座りながら水魚を操って、女の子の手のひらへと着地させる。魚だったものが今度は小さな鳥になって、女の子の手のひらから優雅に飛び立っていく。
周囲の人間もその様子を見て、スマートフォンを取り出して撮影する人まで現れ始めた。フィクションの魔法の国で本物の魔術を披露した魔術師は、きっと歴史上でもティスタ先生くらいかもしれない。
「お姉さん、すごいねぇ!」
「ふふ、ありがとうございます」
大人も、子供も、弟子である僕も、生涯忘れる事の出来ないような美しい光景に見惚れて、その場から動く事が出来なかった。
……………
迷子の女の子も無事に両親と再会できた事を確認した後、僕達は陽が傾くまでテーマパークを堪能した。
「いやぁ、こんなに遊んだのは子供の頃以来です。楽しかったぁ……」
2人でのんびりと帰り道を歩きながら、今日の余韻に浸る。途中、ティスタ先生は足を止めて夕陽に照らされる街並みを眺めていた。
「……こうして余計な事を何も考えずに歩くのも、たまには良いものですね」
「はい、僕もそう思います」
ティスタ先生の充実した表情を見れば、どんな人だって心の底からそう思うに違いない。今の先生は、今まで見てきた中でも一番素敵な笑顔なんだから。
「ま、また……」
「え?」
「また、一緒に遊びに行きましょう。今度は、僕がチケットを用意するので」
僕の言葉を聞いて、ティスタ先生は満面の笑みを浮かべながら頷いた。
「えぇ、楽しみにしていますね」
夕陽に照らされる銀髪と碧眼、少し赤らんだ頬、今まで見た中で一番の笑顔――そのどれもが僕の心を掻き乱していく。僕は、もう完全に彼女をひとりの女性として意識してしまっている。
「トーヤ君?」
「……あ、いや、すみません。なんでもないです」
心の底から遊ぶことを楽しんだ後のあどけない表情と吸い込まれそうな美しさの碧眼に見惚れて、しばらく彼女の顔を凝視してしまった。視線が吸い寄せられるというのは、こういうことなのだろう。
僕は精一杯の笑顔で誤魔化すと、ティスタ先生はジッと僕の顔を見つめてくる。
「……先生?」
「すみません、キミの魔力の籠った瞳が、今日はやけに綺麗に見えたもので。これはちょっとした豆知識なのですけれど、楽しい経験や嬉しい経験をすると身体の中で生成される魔力の純度が高くなるんです」
「そうなんですか、初耳です」
「特に魔族や魔術師は、魔力が瞳に浮かび上がりやすいですからね。お互い、わかりやすい身体をしているものです」
彼女の顔を見て呆然としていた僕に向けて、ティスタ先生は唐突にそんな事を言い出した。突然の言葉に反応も出来ずに固まっていると、先生は僕に一歩一歩近付いてくる。
自分でも忌み嫌っていた翡翠の瞳――ハーフエルフである僕の特徴的な瞳の色をティスタ先生は褒めてくれた。
「本当に、キミの瞳は宝石のようで――」
数秒の間、互いに見つめ合う。
夕陽に照らされているティスタ先生の碧い瞳は、いつも以上に美しかった。
「……すみません、急に変な事を言ってしまって」
「あ、あぁ、いえ、そんな……先生の碧い瞳もとても……す、素敵です……」
「そ、そうですか? あは、あはは、照れちゃいますね……」
お互いに気恥ずかしくなって、視線を逸らしながら照れ笑い。沈黙しながら再び歩き出す。
やっぱり僕は、この人の事が好きだ。
魔術師としての姿も、先生としての優しさも、時折見せる子供のような一面も、その全てを見て改めて好きだと思った。
大好きな人の役に立ちたい。彼女の隣に立てるような立派な魔術師になって、助けてあげたい。僕を助けてくれた時のように、彼女を助けたい。
僕が真剣に魔術師を目指す理由が出来た瞬間だった。
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