12 お礼参り


 半グレというのは、暴力団と違って絶対的な上下関係というのが存在しない。ただの犯罪行為を行う集団というだけ。統率も取れていなければ、身体を張って上の者を守ろうなどという考えは無い。


 ティスタは、それをよく知っている。こういった手合いの相手をするのは、初めてではないから。


 ビルの階段を昇っていくと、4人の男達がタバコを吸いながら談笑していた。ティスタはその男達へ歩いて近付いていく。


「あ? なんだ、お前。ここは立ち入り禁止なん――」


 男のうちのひとりが、突然壁に向かって吹き飛ばされた。


「ぁ、が……ぁ……」


 白目を剥いて、口からブクブクと泡を吐きながら失神している男の姿を見た周囲の面々は顔面蒼白。何が起きたのわからず、その場で固まっている。


「あなた達の代表者は、どちらにいらっしゃいますか」


 ティスタは淡々と聞いた。残った3人のうちのひとりが、無謀にもティスタに向かって殴りかかる。


「てめぇ!」


「邪魔」


 純白の外套の下で手に持っていた銀の杖を横に軽く振ると、殴りかかってきた男はコンクリートの壁に顔面を叩き付けて失神した。


 続けて、ティスタは質問をする。


「あなた達の代表者は、どちらにいらっしゃいますか」


「ひ、ひぃぃっ!?」


「逃げるな」


 再び銀の杖を横に軽く振る。逃げようとした男は、床に向けて顔面を打ち付けて失神。


「……あ、あぁ、あの……」


 残ったのは怯える男1人。ティスタは先程と同じように、感情を込めずに男に向けて質問をした。


「あなた達の代表者は、どちらにいらっしゃいますか」


「う、上の階……5階に……」


「そうですか、ありがとうございます」


 にっこりと笑うティスタの表情を見て、怯えていた男も安堵の表情を浮かべる。聞きたい情報を聞き出せた後は用済みとばかりに、ティスタは銀の杖を上に向けて軽く振った。


「ごぺっ!!」


 4人目は、天井へ身体を叩き付けられた後、ゴミのようにボトリと床に落ちて失神した。


 鳥の装飾が施された銀の杖を手に、ティスタは黙々と階段を上がる。


 この半グレ集団を取り仕切っている者がいる部屋まで辿り着くまでの間、向かってくる20名もの構成員を壁に叩き付けてノックアウトし続けた。


「失礼します」


 5階の扉を開けると、数名の男と代表者と思わしき金髪ピアスの男性がこちらを見て驚いている様子。突然の襲撃、しかもその相手が若い女性ひとりだと知って衝撃を受けている。


「な、なんだテメェ……どうしてここに。下の階の連中は何をやってんだ!?」


「あなた達が代表者ですか?」


「だったらなんだってんだ、あぁ゛!?」


 ティスタの質問に、代表者の取り巻きが食って掛かってきた。顔にド派手なタトゥーを入れた男が、ティスタの胸倉を掴もうと手を伸ばしてくる。


「質問に質問で返さないでください」


 男の手の甲に向けて銀の閃光が走る。ティスタ以外、何が起きたのか理解できずに、タトゥーの男の手に視線を向けた。


「え、あ? ひ、ぎゃあぁぁぁっ!?」


 刃渡り30cmほどの銀の剣が自分の手に突き刺さっている事に気付いた男は、悲鳴をあげながら膝をついた。


「動いたら、全員同じ目に合うと思ってください」


 気付いた時には、部屋全体に同じ大きさの銀の剣が無数に浮遊していた。この銀の剣が一斉に男達に襲い掛かれば、彼等はひとたまりもない。


「安心してください。今使っている銀の魔術は、人間を傷付ける事が出来ません。刺されても出血はしませんし、肉体に傷ひとつ付きません。ただし「本当に刃物で刺された時の痛みを再現する事」が出来ます」


 ティスタの言葉を聞いて大半の構成員達は怯んだが、この逃げ場のない状況でも余裕の表情を崩さない者がいた。


 ド派手な茶髪と金色のアクセサリーに小綺麗な黒いスーツという奇妙な恰好をした男。彼こそがこの半グレ集団を統べている者。その立ち振る舞いから、彼が代表者であることをティスタはすぐに理解できた。


「じゃあ、こういうのはどうだ?」


 茶髪の男は、懐から長方形の紙を取り出した。


 札のようにも見えるその紙に描かれた不気味な紋様が紅く輝くと同時、ティスタの展開していた銀の剣の魔術は跡形もなく消え去ってしまった。


「ははっ! 魔術を使えねー魔術師や魔族なんて、ただのカカシだろ!」


「……なるほど。そんなものを持っていたから、あなた達は魔術を恐れる事無く魔族に対して暴力を振るえたわけですね」


 茶髪の男が手にしているのは「魔符」と呼ばれるもの。他者の魔術から身を守ったり、魔力を持たない者が魔術を使うために作り出されたもの。おそらく、この集団内でも立場の上の者は所持しているに違いない。


 彼等が魔符をどこで手に入れて、どうして使い方を理解しているのかはわからない。きっと非合法な手段で手に入れたものだろうが、今のティスタには関係は無い。彼女はこの場に「弟子を痛め付けられたお礼参りに来ただけ」なのだから。


 そして、魔術師なら魔符の存在を知らない者はいない。故に対策は容易だった。


「……すみません、正直に白状します。この場所に来たのも、あなた達を懲らしめようと思ったのも、弟子を守れなかった私の八つ当たりでしかありません」


 ティスタは、手に持った銀の杖を床に向けて軽く突いた。行動の意図が理解できず、男達は首を傾げたり、けらけらとバカにするように笑うだけ。


 ティスタがこの行動をした時点で彼等の命運は決まっていた。


「この場であなた達を痛め付けても、きっと彼は喜ばない。わかってはいても、こうする事しか出来ませんでした」


 ティスタの足元から床が凍り付いていく。気付いた時には、もう遅い。このビルの一室を外殻にして、碧氷の世界が作り上げられていく。


「な、なんだ、これっ……魔符があるのに、どうして……!?」


「う、うああっ……さ、寒っ……」


「やめ、やめて……あああ……」


 床を伝ってきた冷気が、ティスタ以外の全員を凍結させていく。


 魔力や魔術によって起きた現象を打ち消すという効果が魔符から消えたわけではない。魔力を打ち消す魔術が込められた魔符、その処理容量を超えるだけの魔力を放出すればいい。


 並みの魔術師では不可能だが、最も単純明快な攻略法だった。


「あなた達を警察に突き出します。このビル内を調べれば、魔族や半魔族達から奪った金品も出てくるでしょうから。罪を償えとは言いません。ただ、私の弟子に手を出した事を一生後悔しなさい」


 その気になれば、彼等の身体全てを凍結させて殺す事も可能。ティスタがそれをしないのは、優しく立派な弟子の姿が脳裏に浮かぶからだった。


 師匠として、彼が立派な魔術師になるまで面倒を見ると心に決めていたから。




 ……………




「あーあ、ド派手にやってんなぁ。自業自得とはいえ、連中は気の毒だ」


 千歳はビルの外でタバコを吸いながら、ビルの中でティスタの暴れている音を聞きながら苦笑い。


 案の定、半グレの構成員がビルの中から逃げ出してくるのが見えた。停めてある車に乗り込んで逃げるつもりらしい。


「こらこら、逃げんな」


 千歳は携帯灰皿にタバコの吸い殻を入れた後、ポケットから小さなナイフを取り出した。そのナイフで、自分の指先を軽く切る。


『針』


 指先から滴る血を飛ばすように指を振るうと、飛散した血が針のように形を変えて逃げ出した男達の太ももとふくらはぎに突き刺さった。


「ぎゃああっ!?」


 男達は、何が起きたか理解できずに痛みに絶叫。更にビルの中から3人の構成員が逃げ出してくる。


「キリがないな。それなら――」


 今度は手のひらの真ん中に切り傷を入れて、更に出血量を増やす。


 千歳が扱うのは「呪術」――ティスタが使う魔術とは別の異能。


 彼女が得意とする「血の呪術」は、自身の血液を自在に操る事ができる。硬度、速度、形状を自在に操る特殊な血の呪いだった。


わだち


 千歳は、手のひらから滴る血液を地面に向けて飛散させた。


 地を這う鮮血の斬撃が無数に放たれて、ビルの脇に停車していた車のタイヤを真っ二つにした。もう逃げる事が出来ないと悟ったのか、逃げ出した構成員達は千歳に向かって土下座をしてくる。


「ひぃぃっ! も、もう勘弁してくださいっ! 出来心だったんですっ!」


「あー……はいはい。わかったよ」


 半グレ達の怯えた様子を見て、千歳は大きく溜息を吐きながら視界を手のひらで覆った。このビルの中は一体どんな地獄絵図になっているのか、想像もしたくなかったから。




 ……………




 それから、半グレ集団の根城としていたビルは全体が氷に包まれて、構成員達は下半身が氷漬けになった状態で発見された。


 警察への通報を終えた後、周辺が騒ぎになる前にティスタ達は退散。


 そして――


「……終わりましたよ、トーヤ君」


 深夜の病室。穏やかな寝息を立てる冬也の顔を見ながら、ティスタは呟く。


「キミは大きな力を手に入れても、それに溺れることも無ければ、自分を守らなければいけない時でさえ無闇に魔術を使わなかった。本当に立派です」


 それはかつて、幼いティスタが目標としていた高潔な魔術師達の姿。汚い大人になってしまった自分にはもう出来ない、立派な魔術師としての生き方。


 傷だらけの冬也の頬を撫でながら、ティスタは呟く。


「キミのような優しく聡い子が一流の魔術師になれば、いつかきっと……」


 冬也のような心の持ち主が魔術師として大きな立場を得れば、きっと衰退していく魔術の世界、魔族や半魔族の立場も良くなっていく。彼の成長は、居場所を失った魔術師の希望になるに違いない。ティスタはそう確信していた。


「……ありがとう」


 魔術師としての現実に打ちのめされていたティスタにとって、冬也の存在は魔術師の未来そのものと言っても過言ではない。


「私の役目は、キミを立派な魔術師にする事なんだと思います。そのために、こんな生き恥を晒しても魔術師として生きてきたんです。だから――」


 どんな手を使ってでも、冬也を一流の魔術師に育て上げる。ティスタは、固く心に誓った。

 

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