8 氷の徒花


 便利屋 宝生の所長である千歳さんが海外出張から戻ってきた事で、翌日からは3人態勢での業務となった。


 ティスタ先生も千歳さんとは久しぶりの再会だそうで、お互いの無事を確かめ合いながら仲良く――


「ちっ……帰ってきてたんですか。相変わらずお元気そうで」


「そういうお前もな、アル中魔術師」


 仲良くは無かった。むしろ犬猿の仲といった感じで、そんな様子を見せられている僕は冷や汗が止まらない。一触即発のようにしか見えない。


「あ、あの……おふたりは、あまり仲がよろしくないのでしょうか……?」


 恐る恐る聞いてみると、彼女達は満面の笑みを浮かべながらこちらへ視線を向けてきた。


「仲良しですよ。三日三晩の殺し合いをした仲ですもの。ね、所長?」


「そうだなぁ。あれからずっと仲良しだもんなぁ、私達は」


 殺し合いと聞いて背筋が凍る。冗談にしては質が悪い。所長と先生は、僕が思っている以上に複雑な関係らしい。


 さっきからお互いに額に青筋を浮かべながらオリジナル笑顔で見つめ合っている。正直、もう帰りたい。


「冗談はこれくらいにして、今日はちょっと遠出をするよ。新人君の研修も兼ねた遠征だ。ティスタ、運転よろしく!」


 千歳さんはそう言って、ティスタ先生に車のキーを投げ渡した。


「まったくもう、相変わらず勝手に決めて……」


 先生も文句を言いながら車のキーを受け取って、白い外套を羽織って外出の準備を始める。どうやら今日は普通の業務ではないらしい。僕も急いで準備をして車へと向かった。




 ……………




 それから3時間、ティスタ先生と千歳さんは運転を交代しながら高速道路で県外まで車を走らせて、途中からは狭い山道を通って目的地へと到着。


 季節が春という事もあって行楽日和だけれど、結構な距離を歩いていたので汗も浮かんでいる。ちょっとしたハイキング気分だ。


「どこまで移動させる気なんですか……」


「そう言うなって。今日は良い場所を用意したんだ。きっと2人共喜んでくれると思うよ」


 車を降りて、緩やかな山道を徒歩で登る。明らかに人気の少ない場所、仕事の依頼者がこんなところにいるはずがない。千歳さんはいったい何をしようとしているのだろうか。


「さぁ、到着だ。ここが今日の目的地!」


 長い道のりの終着点は、巨大な採石場跡だった。今では人も踏み入った形跡の無いほど寂れた場所、あるのは土と岩だけだ。


「……なんの冗談ですか」


 ティスタ先生はご立腹の様子で千歳さんを睨みつける。僕もここに案内された意図がわからずに困惑している。


「これだけ何も無い場所なら、気兼ねなく規模の大きな魔術の練習が出来るだろう。ここは魔術を自由に使える場所さ」


「ちょっと待ってください、私はそんな場所は聞いた事が無いのですが」


「それはそうだろう。だって、この土地を買ったのは最近だし」


「か、買ったぁ……?」


 唖然とする僕達を余所に、千歳さんは淡々と説明を続ける。


「私は海外出張が多いから色んな国の文化を見て回るんだけれど、どの国に行っても「魔術を試す場所」は無かったんだ。だから海外にあるような野外射撃場、その魔術バージョンを自分で作ろうって思ったわけ。キミ達は、お客様第1号だよ」


 千歳さんは、無邪気な笑みを僕達に向けてくる。


 山奥にある大きな旧採石場を利用して、この場に魔術の試し撃ちをする場を設ける計画らしい。魔術師だけではなく、他の国と比べて多くの魔族や半魔族もいるこの国には、こうした場所があった方がいいだろうと千歳さんは言う。


「いつからこんな事を計画していたんですか」


「ティスタがお酒に溺れてあんまり仕事をしなくなった頃からかなぁ」


「う゛っ……」


 ティスタ先生には思い当たる節があったのか、目線を余所に反らした。


「トーヤ君もティスタから聞いて知っているとは思うけれど、ティスタのように国から認定された魔術師以外は規模の大きな魔術を許可なく使えない決まりになっているんだ。緊急時とか、災害時、個人で使うのは例外とされているけれどね」


「なるほど、それでこういった場所を作ろうと思ったんですね」


 周囲5kmが無人である事を確認済みらしい。現代の日本に人間が全くいないような場所が存在していたのも驚きだけれど、もっと驚きなのは千歳さんの行動力。魔術の試射場の為に山を買ってしまったのだから。


「自分が作った魔術を好きに使えないジレンマに悩んでいる魔術師は多いだろうし、こういうストレス発散の場を作るのも必要かなってね。さて、早速出番だよティスタ。もうウズウズしているんじゃないの?」


「べ、別に魔術は見せびらかすものでは無いですし……」


 ティスタ先生はソワソワとしている様子。碧い瞳は少女のようにキラキラと輝いている。そんな先生に向けて、千歳さんは最後の一押しをした。


「トーヤ君もティスタの本気の魔術、見てみたいでしょー?」


 千歳さんの言葉を聞いて、僕は何度も強く頷いた。憧れの先生の本気を見る事が出来るなんて、見習い魔術師としてこんな機会を逃すわけにもいかない。


「……わかりました、キミがそう言うなら」


 ティスタ先生は笑顔で頷いた後、僕と千歳さんに背を向けて歩き始める。そして、音もなくふわりと身体を浮き上がらせた。


「と、飛んだっ!?」


 いきなり飛行をする魔術を披露されて、僕は驚愕で開いた口が塞がらない。


 ティスタ先生はしばらくふわふわと前方へ飛んだ後、ゆっくりと着地。周囲に何も無い事を確認した後、羽織っている白い外套の隙間から腕を伸ばす。僕が瞬きをしている間に、ティスタ先生の手にはいつの間にか杖が握られていた。


 その杖の見た目は魔法の杖というより、歩行を補助するための杖に見える。見た目は持ち手に鳥の装飾が施された銀色の杖。


 ティスタ先生は手に持った銀杖をゆっくりと横に振った。


「うわっ!?」


 銀杖を軽く振るだけの動作だけで、ティスタ先生を中心に冷たい突風が吹き荒れる。そして、先生の周囲の地面から巨大な氷柱が伸びていた。冷気・氷の魔術だろうか。


 さらにもう一度銀杖を振ると、その巨大な氷柱が見えない何かに削られていく。たった数秒で氷柱だったものは氷で出来た鳥の彫刻と姿を変えた。


 氷で出来た鳥の彫刻は意思を持ったかのように羽ばたいて、そのまま空へと飛び立っていった。


「…………」


 この世のものとは思えないような光景に言葉を失う。氷の彫刻の美しさだけではない。その魔術を行使するティスタ先生の姿があまりにも綺麗だったから。


 呆然とする僕の隣で、千歳さんも呟く。


「相変わらず綺麗だね。あれでもまだまだ本気じゃないんだから、まったく底が知れないよ」


「そう、なんですか? あんなにすごいのに」


「あの魔術は、由緒正しい魔術師の家系で行われる儀式での出し物なんだそうだ。さすが名家の産まれ、並みの魔術師だったらあんな規模とスピードであんな事を出来やしないよ」


「名家の産まれ?」


「なんだ、聞いていないのか。ティスタは由緒正しい魔術師の家系の血筋だよ」


「なるほど、それで――」


 魔術の行使に言葉に出来ないような高貴さを感じるのは、きっと血筋も理由なのだろう。


「つまりあれは、超すっごい宴会芸だな!」


「いや、その例えはちょっとどうかと思います……」


 千歳さんの発言に苦笑いしつつ、僕は再びティスタ先生の方へと視線を向ける。少し目を離しているほんの僅かな時間で、いつの間にか採石場全体は氷で作られた華で満開になっていた。


 その氷の華畑の中心で青空を見上げながら、ティスタ先生は穏やかに笑っている。白い外套に身を包んだ銀髪碧眼の魔術師が氷華の中心に佇む姿は、まるで氷の妖精のようだ。


 誰かを傷付ける為でもなく、誰かを助ける為でもなく、ただ美しい光景を生み出す為に行使された魔術で創造された氷の徒花あだばな


 そんな氷の世界の中心で、ティスタ先生は目を閉じて呟く。


「うっひぃぃぃ……やっぱりこれ、寒い……」


 後で聞いた話だけれど、ティスタ先生は冷え性らしい。氷の魔術が得意なのに。

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