7 便利屋所長の千歳さん


 通常業務にも慣れた僕は、今ではこの事務所の一員としてすっかり馴染んでいた。とはいっても、従業員はティスタ先生と僕の2人なんだけれど。


「先生、ティスタ先生。まだお昼ですよ。仕事が無いからって、飲み過ぎです」


「いいじゃないですかぁ、休日くらい~」


「毎日飲んでるでしょう……」


 本日は休業日、ティスタ先生は相変わらず仕事以外の時は酒浸り。酒癖が悪いわけではないので何も困らないのだけれど、今日は一段とアルコールの摂取量が多いのが心配だ。


 この状態の先生を放っておくと事務所内があっという間に散らかってしまうので、僕はこうして休日にも事務所へと顔を出している。床に転がるビールの空き缶を袋へと放り込む作業をするのも慣れたものだ。


 片付けを終えた後、事務所にある小さなキッチンを借りて簡単な料理を作って冷蔵庫に入れておく。不摂生なティスタ先生は、こうして何かしら作っておかないとまともなものを食べようとしない。


 お酒を飲んでいる時以外は本を読んだり、魔術の研究をしているらしいのだけれど、今のところそんな様子は一度も見た事が無い。


「んぅぅ~……」


 ティスタ先生は顔を真っ赤にしながらソファの上に寝転がって、ウトウトとし始めた。まだお昼だというのに。


「先生、寝るならここじゃなくて仮眠室に行きましょう」


「めんどい~……」


「まったくもう……」


 仕事の最中や魔術を教えてくれる時はあんなにも頼りになるのに、プライベートの時間になるといつもこうだ。


 尊敬する先生の泥酔状態を見て呆れつつ、僕は仮眠室から持ってきた毛布を先生に掛けてあげた。


「……んー……」


 毛布で身体を包みながら、すやすやと寝息を立てて寝始めた。先生はこうなると簡単には起きない。


 このまま寝てしまいそうなティスタ先生を起こさないように、書置きをして事務証を後にする事にした。冷蔵庫に夕食を作り置きしている事を書いて、メモ用紙をテーブルに置いた。


 事務所を出る前にティスタ先生の表情を伺うと、寝顔はとても穏やかだ。改めてじっくりと見ると、本当に綺麗で可愛らしい。


 サラサラの銀髪に白い肌、幼さの残るあどけない顔つき――初めて先生の顔を見た時の衝撃は忘れられない。


 こんな無防備で可愛らしい寝顔を見ていたら、誰だって邪な感情が湧いてくるに決まっている。ティスタ先生は、もっと自分が美人である事を自覚してほしい。僕だって年頃の男子なのだから。


 僕は劣情を振り払うかのように首を大きく横に振った後、自宅へと戻ろうと支度を始める。その途中、ティスタ先生が物音に気付いて目を開いた。


「すみません、先生。起こしちゃいましたか」


「……んぅ……」


 ティスタ先生は眠そうに目を擦りながら、帰り支度をしている僕に向かって聞いてくる。


「もう帰っちゃうの……?」


 いつもは見せない寂し気な表情で突然そんな事を言われてしまったものだから、僕の心臓は跳ね上がった。


「あ、あの……」


「うぅ~……寂しいよぉ……」


「えぇっ?」


 ソファに寝転がったまま、僕の服の袖を掴んでそんな事を呟く。普段の先生からは考えられない言動に困惑しているうちに、いつの間にか先生は再び眠ってしまっていた。酔っていたうえに寝惚けていたので、本音が出てしまったのだろうか。


「…………」


 再び穏やかな寝息を立てはじめたティスタ先生の様子を確認した後、毛布を掛け直す。


「おやすみなさい、先生。また明日」


 小さな声でそう言った後、僕は事務所から静かに出ようと扉を開けた。


「うわっ!?」


 扉を開けると、目の前には女性が立っていた。180cm以上はありそうな長身の女性は、僕の顔を見るなり笑顔を向けてくる。


「おっと、失礼。お客さんだったかな?」


「あ、えっと……」


「お初にお目にかかります。所長の宝生ほうしょう 千歳ちとせです」


 黒いリクルートスーツに身を包んだ黒髪ロングヘアーの妙齢の女性は、この便利屋の所長さんだった。僕のバイト先の上司だ。




 ……………




 事務所内で寝ているティスタ先生が起きないように、場所を移して所長と話をする事にした。事務所のあるビルの屋上にはベンチと喫煙所があるので、そこでゆっくりと話をしようと所長から誘われた。


「そうか、キミが例の新人君だったか。悪かったね、驚かせちゃって。所長って呼び方は堅苦しいから、千歳ちとせって名前で呼んでくれ」


 千歳さんは美しい黒髪に長身、まるでモデルのようなプロポーションをした美人だった。ティスタ先生とは違う魅力のある綺麗な女性。 


 初対面だというのに、千歳さんは僕に対してとても優しかった。僕が半魔族だと聞いても驚きもしない。ティスタ先生という魔術師が部下だという事もあって、魔族や半魔族の存在に抵抗は無いらしい。


「しかし、あのティスタがまた弟子を取るとはね。キミ、魔術師になるの?」


「ちゃんとした魔術師になるかどうかは、まだ悩んでいます。大変な職業だという事は先生から何度も聞いているので……」


「そうだね。今の世界情勢だと、魔術師は肩身が狭いのは事実だから。でも、ティスタが目を付けたというならキミには魔術師として非凡な才能があるんだろう。そうでもなければ、久しぶりに弟子なんてとらないだろうし」

 

「久しぶり、なんですか? 僕の他にも弟子が?」


「いたよ。でも、もういない。みんな辞めてしまったから」


「え……」


「魔術師として優秀で真面目な者ほど、今の世間のクソみたいな現実に打ちのめされちまうんだよ。ティスタだって、今ではあの通り酒浸りだ」


 千歳さんは懐から取り出したタバコに火を付けながら、視線を下に落とした。


「半魔族のキミには理解できるんじゃないかな。魔術師達の人間への失望が」


「それは――」


 僕自身、人間に馴染む事の出来ない半魔族。人間から酷い仕打ちを受けた事は何度もある。魔族と同様の力を扱う魔術師も差別の対象だったのだ。


「長く続く人間の歴史の中で、魔女狩りなんてものが流行るくらいだ。現代でも地域や時期によっては同じような事を繰り返しているんだから、嫌にもなるだろうさ。人助けをしようと頑張っていたら、殺されちまうんだから」


 口から紫煙を吐き出す千歳さんの様子は、大きな溜息を吐いているようにも見える。まるで人間に落胆しているかのようだった。 


「トーヤ君は、ティスタからどこまで話を聞いているのかな?」


「正直、何も聞いていません。僕は魔術の修練をして頂いていただけだったので」


 僕はティスタ先生の事を何も知らない。仕事の時は真面目で、お酒が大好きで、すごい魔術師だという事だけ。先生は、今どんな気持ちを抱えてこの人間の世界で暮らしているのだろうか。


「そんなやさぐれていた状態のティスタが久しぶりに弟子を取ったなんて話を聞いたものだから、私は随分と驚かされたよ。あの子の心を動かすような何かがあったんじゃないかなって思ってさ」


「……それはわからないです。僕はただの半魔族ですので」


「いいや、きっと何か切っ掛けがあったと思うんだ。あの子がまた魔術師として弟子を取ろうと思った理由が」


 千歳さんは僕の瞳をじっと見つめながら、笑顔を向けてくる。


「もしよかったら、今後もティスタの事を気に掛けてあげてほしい。あの子、ああ見えて結構繊細なんだ。よろしく頼むよ」


 僕の肩をポンと叩いた後、千歳さんは事務所へと戻っていった。


 助けてもらったり、教えてもらってばかりの僕が、ティスタ先生に何をしてあげられるのかを考える。見習い魔術師としてではなく、いつかあの人の隣を歩けるような魔術師になれるのだろうか。

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