01-1

「ちょっと、アンタ、具合でも悪いのかい? こんなところで寝てたら、邪魔だよ」

 銀髪の老婆が、小夜子さよこを揺り起こした。目を醒ました小夜子の視界に映し出された光景は、彼女がイメージしていた「あの世」の光景とは似ても似つかないものだった。業火に焼かれる咎人たちの姿もなければ、苦患のない極楽浄土で幸せそうに微笑む善人たちの姿もない。上空には車が縦横無尽に飛び交い、上空と地上の間には、ウォータースライダーを透明にしたような筒状の道路のようなものが、うねうねうねうねと蛇がのたくるようにして張り巡らされ、その中を色とりどりのゴーカートみたいな乗り物が流れ星のような速さでヒュンヒュンと走り去っていった。

「あの……ここはどこですか?」

 恐る恐る、小夜子は老婆に尋いてみた。

「アンタ、寝惚けてるのかい? まさか〈ヌーヴァ〉のスパイじゃないだろうねえ?」

「〈ヌーヴァ〉?」

 なんのことやらさっぱりわからない。ふと、まわりを見渡すと、小夜子を避けるようにして長い列ができていた。皆、不審な目で小夜子を見ていた。よく見ると、そこは、バスターミナルのような場所だった。アナウンスが流れると同時に、突如空中にディスプレイが現れ、『ドーガルデ王立図書館行き 間もなく到着します』と表示された。老婆は軽く舌打ちをし、

「危ないからこっちに来なっ!」

 と言いながら小夜子の手を引き列を離れた。ほどなくして、ディスプレイが表示されている場所の上空から垂直に下降してきたバスのような乗り物が停車し乗客を乗せると、再び垂直に上昇、空中で停車し、そのまま、速度を上げて上空へと飛行した。小夜子は、子供の頃に映画館で観たSF映画のことを思い出していた。今、小夜子の眼前に広がる世界は、まさに、そのSF映画そのものだ。きっと自分は夢の中にいるに違いない。そう自分に言い聞かせることで、小夜子は平静を装った。

「あの……今日は、2020年の何月何日ですか?」

「はっ?」

 老婆が素っ頓狂な声を上げた。

「アンタ、何言ってるんだいっ! 今日は3020年の8月9日だよっ」

「えっ? 3020年?」今度は、小夜子が、素っ頓狂な声を上げた。

「アンタ、〈定期メンテナンス〉には、ちゃんと行っているんだろうね? 完全にバグっているとしか思えない。正気の沙汰じゃない! 定期メンテナンスはこの国の平和を守り続けるために必要不可欠な国民の義務じゃないかっ!」

 定期メンテナンスとか、バグって……まるで、機械やロボットに対して使う言葉のよう。この世界の人たちは、人間の姿形はしているけれども、きっと、人間ではないんだ。老婆が発する言葉に対し、小夜子は違和感と嫌悪感を感じていた。老婆の質問に対し、何と答えればよいのか分からず逡巡していると、

「アンタ、ちょっと得体が知れないねえ。申し訳ないけど、これ以上アンタに関わると私の身が危うくなる。私は、このへんで失礼するよ。悪く思わないでおくれね」

 そう言って、老婆は、元居たバス乗り場のような場所の最後尾に並んだ。先ほどと同じアナウンスが流れ、間もなく、上空からバスのような乗り物が到着し、乗客を詰め込むと空を駆けていった。空飛ぶバスの姿が豆粒のように小さくなり、やがて、視界から消えて行く様を小夜子は呆然と眺めていた。バスターミナルのような場所には、当然のことながら『ドーガルデ王立図書館行き』以外を最終目的地とする乗り場も有り、其処彼処で空中ディスプレイが出現したかと思うと、バスが宙から吸い込まれるように降りてきて、そして羽ばたいていった。そうして、10台ほどのバスの飛行を見届けたところで、場内に耳を劈くようなけたたましい警告音が鳴り響いた。

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