第32話 金色の指輪


 そう睨みを効かせた瞬間、背中に温もりを感じた。

 

「白樹?」

 

 名前を呼んでも返事はない。真っ黒な視界も戻ってこない。

 真っ白い空間に、黒いものが浮遊しているのも変わらない。

 

 私は黒いものに再び手を伸ばす。今度こそ触れられた。そう思ったのに、またもやするりと避けられる。

 

「この状況、どうすればいいのよ」

 

 黒いものが私に何かを言ってくることはなくなった。けれど、ここから出る方法が分からない。

 

「頭が重いと思っていたけど、まさかこうなるとはね」

 

 穢れにのみ込まれた。そういうことなのだろうか。

 それでも、先程まで分からなかった背中の温もりを感じるようになった。

 

「あと少しな気がする。だって、すぐそばに白樹を感じる」

 

 何か、何かないだろうか。私を繋ぐもの。……繋ぐもの? 視線は自分の手へと向かう。


「婚姻は契約、だったよね?」

 

 薬指にはまっている金色の指輪を見る。

 この指輪は、私と白樹を繋げてくれているのだろうか。

 

「白樹……」

 

 そっと呼び掛け、右の手で優しく指輪へ触れる。

 白樹の気配が強くなった気がする。

 

「白樹」

 

 右の手で、左手を囲うように握りしめ、今度ははっきりと呼ぶ。 

 ちりーん、と風鈴の音が遠くに聞こえた。

 

 白樹の元へと帰れるよう、願う。

 

 ちりーん、ちりーんと何度も風鈴は鳴り、音が近付いてくる。まるで、私を探しているかのように。

 

「ここにいるよ……」

 

 なぜ、そうしたのかは自分でも分からない。けれど、気が付いたら腕を伸ばしていた。

 

 次の瞬間、ちりーん! と大きく風鈴が鳴り、むせ返るほどの金木犀の香りが立ち込める。

 腕を強い力で引かれ、名前を呼ばれた気がした。



  ***

 

 

「……ただいま」


 私の背中を支えてくれている、白樹の顔を見上げる。 

 視界はもう真っ黒ではなかった。私と白樹、穢れで真っ黒に見える清さんのお母さんであろう人物を囲むように、丸く視界が開けている。


「おかえり」


 眉を下げ、白樹が言う。

 また心配をかけてしまった。けれど、もう謝らない。


「ありがとう」


 謝る代わりに、この言葉を言おう。たくさんの感謝を込めて。

 

 

 今度こそ浄化をしてみせる。そう思って、清さんのお母さんに視線を向けると、何本もの組紐が結ばれていた。

 

「白がしてくれたの?」


 白樹は横に首を振った。そして、視線を清さんとドクターが立っているであろう方へと向ける。


「俺じゃない。彼女がしてくれた」

「……清さんが?」


 どんな表情をしているかは見えない。けれど、信じてくれたのだろうか。あんなにもインチキくさい説明を。



「もう一度、やってみる」


 大きく深呼吸をして、清さんのお母さんの手を握ろうとして、私の腕にも組紐が結ばれていることに気が付いた。

 この組紐も私を助けてくれたのだろうか。


 大丈夫。きっとできる。


 清さんのお母さんは真っ黒な穢れで覆われているけれど、新しい穢れは近付けていない。組紐の効果は出ている。


 今度は、負けない。


 手を握ると、穢れが少しずつ粒子になっていく。でも、まだまだだ。この家の穢れごと浄化しなくてはいけない。

 そうしないと、また清さん家族は穢れにのみ込まれてしまうかもしれない。


 穢れにのみ込まれた時、あれ等が言っていた言葉が頭を過る。

 心の不安を映し出す前に訴えていた、穢れの言葉を。


 『悲しい』『寂しい』『苦しい』と言っていた。『助けて』と言っていた。それは、この穢れの元となる心の声だったのかもしれない。

 泣くように震えていたあれ等は、救いを求めていたのかもしれない。


「つらかったね」


 やっていることは、許されることではない。けれど、この穢れたちは──。


「待たせてごめんね。助けにきたよ」


 そう告げた瞬間。パンッという小さな音がして、穢れが弾けた。嗅ぎ慣れた金木犀の香りと共に視界が広がっていく。

 粒子が舞い、窓からの光を浴びてキラキラと輝いている。


 穢れが本当に助けを求めていたのかは、分からない。それでも、何も見えなくなるほど真っ黒だった姿が、日の光で輝くのは美しい。



 そのキラキラと輝く粒子の下で、半身を起こした清さんのお母さんに清さんが抱きついている。


 清さんは泣いていた。お母さんも泣いていた。



「お疲れ」


 ぽんっと、白樹の手が優しく頭を撫でていく。

 私は無言で隣に立つ白樹を見上げた。


「ありがとう」


 その言葉に、白樹の着物の袖をギュッと握る。


 視界が滲むから、頷けない。きっと溢れ落ちてしまうから。

 声も出せない。みっともなく、震えてしまうから。


 私にできるのは、白樹を見上げることで目から溢れ落ちようとしている水分を引き留めておくことだけ。


「ドクター。あとは任せた」

「もちろんよ。花ちゃんはゆっくり休んでね。あたしは、お母様の診察をしてから帰るわぁ」


 えっ? と思っている間に白樹に抱えられ、歩く振動で落ちたしずくは、彼の着物に吸い込まれていった。

 

 

 

 

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