第三幕ー36


悠介が港区のタワーマンションに帰宅すると、綾芽が駆け寄って来た。

「おかえりなさい。お疲れ様」

「今日は帰り遅くなるんじゃなかったのか?」

「予約のキャンセルが出て、少しだけ時間ができたのよ。あなたからの報告を聞いたら、また職場へ戻るわ」

「そうか。相変わらず忙しいな」

「悠介だって、年明けからは忙しくなるわよ。でも、あの頃よりはずっといい。こうして、ふたりが帰る場所があるんですもの」

「ああ、そうだな。清花のヤツ、妙に勘がいいところあるからよ。俺が最初の会社に勤めてた頃、仕事帰りは毎日のように綾芽と逢ってただろ? 清花に『そんなに毎日残業ってあるものなの?』って訊かれた時はやべえって思ったね」

「それで、同期の小早川こばやかわさんに、面倒な仕事押し付けられてるって、嘘を吐いたのね?」

「ああ。小早川はいいやつだからな。本当は面倒な仕事を押し付けてたのは俺の方なんだけど。うちの会社が吸収合併されて大規模なリストラが行われた時も、小早川はあの会社に必要な人材だと思ったぜ」

「本当、あなたって、悪い人ね」

 そう言って、綾芽は妖艶な笑みを浮かべた。

「それで、『初舞台』はどうだったの?」

 綾芽は、リビングテーブルの上に珈琲をことりと置きながら訊いた。悠介の表情が曇った。

「『私たちはまだ若い。いくらでもやり直せるわっ!』とか、言って、泣いてやがったよ」

 綾芽の美しい顔が僅かに歪んだ。その表情からは嫌悪感が滲み出ていた。

「そういうところ、本当、昔から全然変わらないわよねえ。泣いて、取り乱して、私可哀想アピールして、同情を誘って……彼女の十八番よねえ。反吐が出るわっ!」

「まったくもって、同感だよ」

「この様子じゃ、清花、離婚届、いつまでも出さなさそうよね。いつまで待ってあげる?」

「来月いっぱいくらいでどうだ?」

「そうね。冷静に考える時間くらいは与えてあげないと可哀想よね。それに、極力、バッドエンドは避けたいわ」

「ああ。俺だって、になるのは御免蒙りたいよ」

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