道具と、悦楽


  *


 相変わらず石造りの部屋には鞭打つ音が響いている。ゴールディの振り下ろす鞭を受け、ブロンゼの背中は既にぼろぼろになっていた。


 ゴールディはちらりとスクリーンを見上げる。──カウントは七十を切ろうとしていた。砂時計の砂は二割程減ったぐらいだろうか、順調なペースにゴールディは心の中で少しだけ安堵する。


「ゴールディ、俺ならまだまだ大丈夫だ。気にせず続けろ」


 ブロンゼの言葉に王子は頷くと、再び鞭を振りかぶる。──途端、ずくんと手の中の鞭が脈打った、気がした。


 バシィィンッ!


「──う」


 押し殺したブロンゼの呻きが零れた。──ずくん、と再び手の平が脈打つ。そしてそれと同調するかのように、ゴールディの頭の中でずくんと何かが蠢いた。


 思考に少しずつ霧が掛かってゆくのを自覚する暇も無く、ずくん、ずくん、と身体の中を脈拍に乗って何かが流れ始める。違和感を振り払うように鞭を振るうと、ずくん、と一際大きく鼓動が跳ねた。


 鞭を振るう度、それは身体を、心を支配してゆく。血が沸騰するような悦楽が脳内を駆け巡る。親友を痛め付ける度に、──愉悦が、増してゆく。


「く、……くはっ」


 ゴールディの唇から吐息が漏れる。それは最初の頃の苦悶に満ちたものとは違い、嗜虐的な官能に満ち溢れ、そして唇は愉悦に歪んでゆく。打ち下ろす鞭から振動が快感となって身体を震わせる。


「殿下、──殿下の様子が」


 それに最初に気付いたのはスティールだった。王子の表情が明らかに変わっていた。


 まるで拷問を楽しむような笑みに、ぞくりと背中に悪寒が走る。他の二人もそれを目の当たりにして、表情を曇らせた。


「王子、やめて、何か変だよ! 一旦落ち着いて!?」


 ブラスが立ち上がり叫ぶ。スティールが駆け寄り、狂ったように笑いながら鞭を振り下ろす王子を後ろから羽交い絞めにする。


「殿下、おやめ下さい! 何かがおかしいです!」


「離せスティール! ブロンゼを鞭打つのは我の役目だ! 何故止めるのだっ!?」


 それでもなお鞭打ちをやめようとしないゴールディの手を掴み、鞭をもぎ取ろうとするも、暴れる王子に振り払われてスティールは床に投げ出された。


 ブロンゼも異変に気付き振り返ると、王子の行動に顔を歪ませながら咄嗟に手を伸ばす。だが度重なる鞭打ちに体力を削られていたブロンゼの力は弱まっており、ゴールディを停める事は出来ない。逆に思い切り肩を打ち据えられ、痛みに呻きながらブロンゼは床に這いつくばった。


 ゴールディは湧き上がる悦楽に息を切らせながら、床に倒れ伏したブロンゼへとなおも鞭を振り下ろし続ける。容赦の無い力で振るわれる鞭はブロンゼの皮膚を裂き、肉を打ち、血を飛び散らせる。


「ははは、他者を鞭打つのがこんなにも楽しい事だとはな……! 安心しろブロンゼ、我がきっちり百回、貴様を鞭打ってやるからな……!」


 連続して打たれるブロンゼの皮膚は引き裂かれ、肉は爆ぜ、もはや抑え切れない叫びが喉を突く。背中どころか全身を赤く染めるブロンゼを見かね、立ちはだかったスティールをも鞭が襲う。力の下限も無く振るわれた鞭が片から胸を打ち据え、衝撃に息を詰まらせながらスティールは床に吹っ飛んだ。


「王子、やめて、王子! ブロンゼが死んじゃう!」


「ゴールディ様、おやめ下さい! 正気に戻って下さい! 鞭を、鞭を停めて……!」


 震えながら叫ぶブラスとシルヴィアの言葉も王子の耳には届かない。


 ゴホゴホと咳き込みながら転がった眼鏡を拾うスティールの目には、完全に歪んだ快楽に支配されたゴールディの笑う姿が映っていた──。


  *


「面白い魔道具よね。人を鞭打つ度に、加虐心がその者の中に芽生えてゆく……。これって攻略法はあるのかしら?」


 アメリアが甘い果実を口にしながら、ほうと息をつく。傍に控えるディアマンテスは笑みを浮かべ、挑むような口調でアメリアに問うた。


「さて、何が正解だと思われますか、お嬢様?」


「そうね……」


 質問に質問で返す執事の無礼を咎める事無く、アメリアは小首を傾げ思案する。スクリーンの向こうでは相変わらず、ゴールディが狂った笑いを上げながら親友を鞭打ち続けている。


「十回ずつ順番に互いを鞭打ってゆく、という感じかしら。これならば体力の消耗も最小限で済むし、連続して鞭を握らなければ二十回鞭を握っても影響は受けずに終わらせられるわ」


「正解。──お見事です、お嬢様」


 白々しいディアマンテスの拍手に首を竦め、アメリアは別のスクリーンに視線を移す。


 ──そこでは、王子と同じように笑いながら鞭を振るう令嬢の姿が映し出されていた。


  *

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