果実と、微笑


  *


 バシィィンッ!


 振り下ろされた鞭が肉を打つ音が響く。


 使われている鞭は幅が広めの、柔らかくそこまで長くない形状のものだ。武器として使われる細く長い一本鞭や拷問用に瘤や棘のあるものとは違い、痛みは比較的軽い筈だ。


 とは言え何度も振り下ろせば着ていた衣服はぼろぼろに千切れ、皮膚には赤い帯状の腫れが浮き上がり、裂けた部分からは痛々しく血が流れる。──鞭打った数に比例し、健康的な小麦色だったブロンゼの背中には赤い部分が増していった。


 ゴールディとブロンゼ、鞭打つ者と打ち据えられる者。王子は鞭を振り下ろす度に顔を歪ませ、ブロンゼは痛みに耐えるべく歯を食い縛る。──打ち据える度に漏れる呻きは、一体どちらの物なのか。


「すまない、ブロンゼ、すまない」


「いいから、謝るなゴールディ」


「でも」


「俺は大丈夫だから。早く次を。時間に間に合わなくなるだろ」


「ああ、……すまない」


 幾度となく繰り返された遣り取り。また沈黙が落ち、代わりに鞭の音が響く。王子は壁の時計と数字を睨みながら、また親友の背に鞭を振るう──。


  *


「……退屈な見世物ね」


 アメリアは座り心地の良い椅子に身を預けながら、その光景を眺めていた。


 こちら側は、先程まで居た石造りの『撮影用』とも言うべき場所とはまるで違っていた。休憩スペースとでもいった雰囲気の一角には、アメリア好みのふかふかとした毛足の長いラグも敷かれ、テーブルには軽食と紅茶まで用意されている。


「まあそう評するのは可哀想ですよお嬢様、彼らは彼らなりに真剣なのですから。それに──面白いのはこれからでございますよ?」


「……ああ、そうね、そうだったわ。ここからが本番よね」


 フルーツの載った硝子の器を置きながらディアマンテスが笑うと、アメリアも小首を傾げながら頷いた。組み替えた足先から透かし模様の美しいハイヒールがコロンと脱げ落ちる。執事は一瞬アメリアの爪先に目を遣ったが、何事も無かったかのように視線を逸らした。


「それにしても、喉が渇きませんか? さ、果物を用意しましたので、どうぞお嬢様」


「確かにそう言われれば……ああ、一杯喋ったからかしら」


 アメリアが言葉を零しながらすいと伸ばした手が、不意に捉えられた。アメリアの紅い瞳が執事を見上げる。彼は薄い笑顔のまま片膝を突くと、華奢で繊細な手から黒いシルクの手袋を剥ぎ取って行く。


「……嵌めたままでは、手袋が果物の蜜で汚れてしまいますから」


 ディアマンテスは露わになった白い甲に唇を落とすと、長くしなやかな指で紅く染められた爪と指先をなぞり、名残惜しげにそっと手放した。アメリアは少しだけほうと溜息をつき、伏せ気味の瞳でディアマンテスの整った指を眺める。


「それならいっそ、貴方が食べさせてくれればいいじゃないの」


 一瞬の沈黙の後、くく、と執事の喉から笑いが漏れる。くく、ふふふ……と声を響かせながら、ディアマンテスは再度、アメリアの手にそっとくちづけた。


「はは、いいでしょう、自分めが食べさせて差し上げますよ! ささ、遠慮なさらず」


 ディアマンテスは血のような色をした小さな球状の果実を一粒摘まむと、人差し指と中指の間に挟んだそれをアメリアの唇に近付けた。形の良い桜色の唇が無防備に開く。


 白い指が唇の隙間に差し込まれる。アメリアは果実をそっと唇に挟み、ちろりと濡れた舌でそれを口内に引き入れる。転がり込む果実の冷たさと、指の低い体温がアメリアの舌と唇を心地良く撫でてゆく。まだ唇に触れたままの執事の指をそっと舌で押し出し、アメリアは奥歯で果実を噛んだ。


 裂けた果実からは雫が迸り、瑞々しい果汁が口内に広がって行く。ディアマンテスは指を退き、アメリアの表情が少し歪んでゆくさまを可笑しそうに眺めていた。


「これ、……酸っぱいわ。わたくしが酸味のある食べ物を嫌いだと知ってる癖に。わざとでしょ、ディアマンテス」


 僅かばかり眉間に皺を寄せた少女の表情に、くくく、ははは、とディアマンテスは堪える事無く笑いを漏らす。アメリアはさっと右手を伸ばし同じ果実を摘まみ上げると、笑い続ける執事の口許にそれを押し付けた。


「罰よ、これは貴方が食べなさい」


 笑みに開くディアマンテスの口に紅い果実を押し込むと、端正な唇がそっと閉じ、アメリアの紅い爪を舌がなぞった。引き抜いた指は濡れて光り、紅い爪が血のようにしっとりと潤いを纏っている。


「ふふ、お嬢様。自分は別に酸味の強い果実も嫌いではありませんので、罰にはなりませんよ?」


 執事は濡れたままの指先を捕まえると、用意してあった濡れた布でアメリアの手をそっと拭う。それから、こちらの果実は甘いですから、と別の果物がアメリアの側になるように硝子の器を置き直した。


「ああ、そろそろ面白くなってきたようですよ、お嬢様」


 ディアマンテスの言葉にアメリアがスクリーンに目を向ける。


 その中では、ゴールディの苦しげだった表情が、笑みの形に歪んでいくさまが映っていた。


  *

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