最後の勝負 1
シャミナード公爵がヴォワトール国に到着するのは五月十日だという。
ディエリア国の王都からヴォワトール国の王都までの道のりを考えると、今日――四月二十八日は、公爵を乗せた馬車がようやくヴォワトール国の国境に差し掛かったあたりだろうか。
セザールが頻繁に離宮を訪れると怪しまれるため、もっぱら情報の共有はオーディロンを使って行われた。
兄と姉に頭が上がらない頼りない末っ子も、若干二十歳で第二王子の補佐官補佐をしている男である。アルフレッドからはお馬鹿さん呼ばわりされているが、あれでも有能なのだ。
アルフレッドが離宮のサロンの一室を作戦本部に作り替え、オーディロンが運んで来た新たな情報はそこで整理される。
いろいろなメモ書きや書き込みがされた地図がテーブルの上に散乱し、床の上にまで散らばっていた。
離宮に置かれている使用人たちや監視がセザールの息のかかった者たちで、信用が置けると言っても、情報の書かれた紙の扱いはもう少し慎重にすればいいのにと、サーラは苦笑する。
まあ、サロンの窓の鍵はしっかりと閉められカーテンも引かれ、入り口には常に見張りが立っている状態なので、この部屋から情報が漏れることはないだろうけれど。
床に散らばった紙を拾い集めつつ、情報ごとに整理してまとめ、テーブルの上に置く。
「アルフレッド様、昼食を食べてくれないと片付きません」
「ええ……」
いつもの「パパです」というふざけたツッコミも入らない。それだけアルフレッドも余裕がないのだ。セザールが去って、サロンを作戦本部に作り替えてから、彼は食事と入浴の時以外この部屋から出なくなった。寝る時もサロンのソファで寝ている。
(……というか、寝ているのかしら?)
ソファの上にブランケットが置かれているので仮眠は取っている気がするが、目の下に浮かぶ隈を見るに、ほとんど休んでいないような気がした。
「ここにはわたしがいますから、ご飯を食べてきてください。ブノアさんもそろそろ戻ると思います」
「わかりました」
アルフレッドが渋々頷いた。
ブノアは今朝、国王に呼び出されて城に向かった。
シャミナード公爵側にこちらの動きに気づかれないように、国王には表向きいつも通りを装ってもらっているが、息子たちが動くのをただ傍観しているわけでもない。
セザール主導で、シャミナード公爵と通じている貴族たちの洗い出しは終わっている。
国王の号令で一斉捕縛がかけられるよう、すでに各地に兵を配してあるのだ。
そして、ディエリア国の王妃――ヴォワトール国王の妹にも、伝令を飛ばしてあるという。
それにより、王妃からディエリア国王へ密かに情報共有がされるだろう。
穏健派の国王は、ヴォワトール国との戦争は何が何でも回避したいはずなので、こちらの動きに合わせて動いてくれるはずだ。
(両国での貴族の一斉捕縛なんて、前代未聞でしょうね)
戦争が回避できても、今回の事件でかなりの数の貴族が検挙、捕縛される。
それだけの貴族がいなくなれば、間違いなく国は揺らぐ。
その隙をつかれないよう、周辺の友好国にも根回しをしなければならず、これは国王にしかできないことだった。
散らばった紙を整理しつつ、時間が足りないな、と息を吐く。
下町の神の子のファンを名乗る青いスカーフを巻いた集団の中にも、ウォレスが数名、腕の立つものを紛れ込ませた。
暴動の気配があれば、最悪殺してでも止めろと命令を出しているという。人の命が奪われるのは嫌だが、暴動が起きればそれ以上の被害が出る。その瀬戸際で迷ってはならない。
同時に、できるだけ命を奪わずにことを進めたいウォレスは、市民警察に『不老不死の秘薬』という危険薬物を彼らが保有し、配布している可能性があることを伝え監視させているという。
証拠を見つけ次第捕縛しろと命令を出しているため、ウォレスが紛れ込ませたものがうまく誘導し証拠を市民警察に掴ませることができれば、禁止薬物所持という名目で彼らを捕らえられる。
市民警察と彼らの間で衝突が起こる可能性はあるが、彼らが一斉蜂起する前に手を打つことができれば被害は最小限で抑えられる。
禁止薬物を所持しているのを市民警察が発見したという名目であれば、フィリベール・シャミナードにこちらの動きまでは察知されないだろう。
(まあ、気づかれたとしても、もうこちらの準備もあらかた終わっているんだけどね)
シャミナード公爵が王都に到着する前に捕縛する準備も進めている。
シャミナード公爵は護衛を連れてきたようだが、さすがに戦争をするわけではないので二十名足らず。国境の外に配置している兵もいないと、あちらの動きを探らせていた密偵から報告があったそうだ。
シャミナード公爵はヴォワトール国に住む人間を使って内戦を起こさせたいはずだ。下手にディエリア国のシャミナード公爵の息のかかったものを動かすと、ディエリア国がヴォワトール国に戦争を仕掛けて乗っ取ったと周辺国に見られる。そうなると、周辺国に友好国が多いヴォワトール国相手では、分が悪すぎるのだ。
もっと言えば、さすがにディエリア国内の兵を動かそうとすれば、ディエリア国王に違和感を抱かれる。
ゆえに自分を守る兵を大勢配置することはできない。
(そしてそれが、あだになる)
こちらに動きを読まれていなければうまくいっただろう。
けれども、迎え撃たれれば、もろい。
(シャミナード公爵が国境を越えて、ディエリア国にも簡単に撤退できない場所。……あと、三日か四日といったところかしら)
地図に記された場所を見て、サーラは逆算して考える。
五月十日に王都入りするなら、印がつけられた場所に入るのは、五月一日か、遅くとも二日。
シャミナード公爵捕縛の号令がかかった瞬間、国内では裏切者の貴族たちの一斉捕縛がはじまる。
(……去るなら、捕縛が終わり、混乱が開ける前でしょうね)
そっと地図を指先でなぞって、サーラは息を吐く。
抜けるなら、シャミナード公爵と通じていた貴族が治めていない領地から。
南に抜けて、そして西に向かうのが最良か。
辻馬車でさすがに国境までは向かえないだろうから、主に徒歩になるだろうか。夏本番になる前にはできれば国境を越えておきたいところだ。徒歩だと厳しいかもしれないが。
(荷物もまとめておかないと……)
多くのものは持っていけないだろう。
全員に手紙も書いておきたい。
きっと、シャルは怒るだろう。
アドルフとグレースは悲しむだろうか。
ウォレスは――傷つくかもしれない。
サーラを恨み、憎むかもしれない。でも、恨んでも憎んでもいいから、心の片隅にサーラという存在を残しておいてくれないだろうかと、未練がましいことを考えてしまう。
「ちょっと、よろしいかしら……?」
ぼんやりと思考に囚われていたとき、背後で声がしてサーラはびくっと肩を揺らした。
振り返れば、ジュディット・ラコルデール公爵令嬢が扉をわずかにあけて中を伺っていた。
「ど、どうぞ……」
部屋にこもっていたジュディットが現れるとは思わず、サーラは落ち着かない気分になった。
ジュディットはサロンの中をぐるりと見渡して、「ずいぶん散らかっていますのね」と目を丸くする。
「この通りお茶をご用意するスペースがございませんで……あの、部屋を移りますか?」
サーラしかいない時を見計らってきたのならば、サーラに用があったのだろう。
緊張で早くなった心臓の上を押さえつつ問えば、ジュディットは微笑んで首を横に振った。
「ここで結構よ。ちょっとお話したかっただけだから」
いったい何の話だろうと、サーラの背中に嫌な汗が流れる。
ジュディットは、サーラとウォレスがどういう関係だったのか、気がついているはずだ。
ウォレスとの婚約が内定していたジュディットにとってサーラの存在は目障りだろう。
罵られるだろうか。
非難されるだろうか。
ぎゅっと拳を握って、ジュディットの表情を伺う。
さすが公爵令嬢というべきか、サーラの存在は不快でしかないだろうに、ジュディットは綺麗に微笑んでいるだけだ。
「座っても?」
「あ、はい、どうぞ……」
ジュディットは、ブランケットが放置されているソファにわずかに眉を寄せ、それとは違うソファに腰を下ろす。
部屋があるのにこんなところに寝泊まりするなんて、とか思っていそうだなと思っていると、ジュディットが散らばっているテーブルの上に視線を向けて口を開く。
「お名前は、サラフィーネ様でよかったかしら?」
「その、今はマリアを名乗っていますので……」
「そう。じゃあ、マリア様と呼ばせていただきますわ」
「どうか、マリア、とだけ……」
「あなたがジュディットと呼ぶのであれば」
「そ……それはちょっと」
さすがに公爵令嬢を呼び捨てにはできない。
ではマリア様でよろしいわねと微笑まれて、否と言えなかったサーラは悪くないと思う。
「ねえ、ちょっと教えてほしいことがあるのですけど、マリア様はもともとこの国の王子殿下に嫁いでくることになっていたのよね」
「ええっと……そう、ですね。身分が剥奪されていなければですけど」
「では、今度のことで身分が戻れば、レナエル妃のかわりにあなたが嫁ぐことになるのかしら?」
ジュディットは何が言いたいのだろうか。
サーラは怪訝に思いつつも首を横に振る。
「そうはならないと思います。おそらく、両国間の協定自体が見直されるはずですから」
「では、ディエリア国からはご令嬢は嫁がない、と」
「おそらくは」
「協定が見直されなかったらどうかしら?」
「その可能性は低いと思いますけど……そうですね、わたし以外のどこかのご令嬢になるのではないでしょうか。とはいえ、わたしの知る限り、両殿下と年の誓い公爵令嬢はいないはずですから、侯爵家のあたりから探されるか、もしくは両殿下の次の代まで待つか、になるかと」
「侯爵家から選ばれる場合は、やっぱりセザール殿下のお相手として選ばれるのかしら? レナエル妃とはおそらく離縁になるでしょう?」
ジュディットの言う通り、セザールとレナエルは間違いなく離縁になるだろう。レナエルも捕縛される可能性が高いからだ。彼女が実際に罪を犯していなくとも、シャミナード公爵は極刑になるだろうから、生かされても身分は剥奪される。
プランタット公爵家がそうだったように、シャミナード公爵家も取りつぶしになるだろう。
ずきん、とサーラの胸が痛む。
(そっか、万が一協定が見直されなかった場合、ウォレス様にもディエリア国の令嬢との縁談が持ち上がるかもしれないんだわ……)
嫌だな、と思う権利はサーラにないことはわかっている。
わかっているが、感情は意思でどうにかできるものではない。
「もし……。もし、協定が見直されず残されたとしても、両国内を立て直すことが先決になるので、すぐには縁談はまとめられないと思います」
「すぐじゃなかったら可能性はあるのね」
「ゼロではないと思いますけど……」
ジュディットが長い睫毛を伏せて小さく息を吐き出した。
その憂い顔に、ああ、やっぱりか、とサーラは確信する。
「ジュディット様は……セザール殿下がお好きなんですね」
ジュディットが、ハッとしたように大きな茶色の瞳を見張った。
見る見るうちに、白い頬に朱が差していく。
(図星、ね。……セザール殿下を思いながら、ウォレス様の婚約者に選ばれたのは、つらかったでしょうね)
ジュディットは、第二王子派筆頭のラコルデール公爵家の令嬢だ。
最初から第一王子に嫁ぐという選択は、彼女に与えられていなかっただろう。
家のために嫁ぐのは、貴族令嬢の常識。
しかし、頭で理解していても、心はそう簡単には割り切れるものではなかったはずだ。
好きな人の弟の妃の最有力候補で、好きな人に隣国から妃が嫁いだのを、ただ見ていることしかできなかった、公爵令嬢。
(もう一度同じ経験をするのは、嫌でしょうね……)
だからこそ知りたかったのだろう。ディエリア国から妃が来る可能性はあるのだろうかと。そして相手に選ばれるのはセザールだろうかと。その可能性がゼロだったところで、ジュディットがウォレスの婚約者候補から外れることはないが、それでも知りたかったのだ。
知ったところで意味がないとわかっていても訊ねずにはいられない。……その気持ちは、サーラもよくわかる。
でも、サーラと違って、ジュディットに残された可能性はゼロではない。
シャミナード公爵の企みのせいでこれから国内は荒れるだろう。その状態でくだらない派閥争いを続けることは不可能だ。
ならば、むしろ派閥同士のしがらみを消し去るという意味で、派閥を超えての縁談が認められる可能性はあるはずである。
もちろん、これはサーラの予測であり、実際にそうであるかどうかはわからない。
下手な期待をさせるのは逆に残酷だろう。
だから、サーラは心の中で祈るだけだ。
サーラの恋はどうやっても叶わないだろうが、ジュディットの恋が叶いますようにと。
そして同時に、思う。
(きっとこの人なら、ウォレス様を幸せにしてくれる気がするわ……)
そこに、恋が生まれなくとも、きっと。
ずきりと痛む胸に気づかないふりをして、サーラはホッと、安堵した。
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