動き出す何か 2
「心は君に、置いていく」
ウォレスのその言葉に、今のサーラには受け入れることも、拒絶することもできなかった。
ウォレスもサーラの答えを望んでいるわけではなく、単純に宣言したかっただけのようだ。
(……困らせないでって言ったのに)
これでサーラの心はまだウォレスに縛られる。
一生忘れられないだろうとは思っていたが、本当に、サーラの心を一生がんじがらめにしないと気がすまないのだろうか、この男は。
何でもないような顔でお茶を飲んでいるウォレスを睨む。
けれども一番問題なのは、ウォレスの宣言を、一瞬でも嬉しいと思ってしまった自分だろう。
はあ、とこっそりため息を吐いたところで、ジャンヌとベレニスが到着した。
運ばれて来た朝食の準備をベレニスとサーラが、バスルームの確認をジャンヌが担当する。
「殿下、ご存じだとは思いますが、式典前に陛下への謁見がありますからね」
「ああ」
メイドが運んで来た食事を乗せたワゴンを受け取り、サーラがテーブルの上に並べている間にベレニスが今日の注意事項をウォレスに伝えていた。
今日、サーラは婚約式にもそのあとのパーティーにも参加しない。
レナエルたちが参加するからというのもあるが、昨日別れたばかりの恋人が、別の女性を婚約者に迎えるところを微笑んで見守れるほど、サーラの心は強くない。
虚勢の笑顔も、崩れてしまうだろう。
だからお留守番だ。
(ベレニスさんたちが普通に接してくれるのが救いね)
二人は、ウォレスとサーラが別れたことを知っているはずだ。
気遣われるより、いつも通りに接してくれたほうがまだ気分が楽だった。
ウォレスが食事をはじめてしばらくしたころ、コンコンと扉が叩かれた。
誰かと思って扉を開けると、滅多にウォレスの私室を訪れないアルフレッドがいて、サーラは反射的に扉を閉めようとした――が、その前に扉の隙間に足を入れられて叶わなかった。
「ふふ、マリア、パパがそう何度も同じ手に引っかかると思っているんですか?」
してやったり、とアルフレッドが眼鏡の奥の双眸をにんまりと細める。
「アルフレッド、何かあったの?」
基本的には執務室で仕事をしている長男の登場に、ベレニスが目を丸くした。
「何か、と言いますか、ちょっとマリアに相談があるんです。借りて行っていいですか?」
(え、嫌だ……)
ウォレスは食事中だ。そしてこのあと入浴して支度をしなければならない。つまり、この変人からサーラを守ってくれる人はいないということである。
「そう心配しなくても、オーディロンは式典で仕事が与えられていますから不在です。私と二人っきりですよ。パパと父娘で語り合いましょう」
(もっと嫌よ!)
それのどこが安心できるというのだろう。
サーラが喜ぶと思っているアルフレッドの思考回路がわからない。
助けを求めるようにウォレスを振り返ると、すぐさま「マリアは私の支度で忙しい」と待ったをかけてくれた。
けれども、アルフレッドも引き下がらない。
「母上と妹がいるんですから足りるでしょう? もともとここにはほかに侍女がいなかったんですから、マリアが来る前に戻るだけです」
「今日は特別忙しいんだ!」
「ふむ。マリア、この後の殿下の予定はどうなっています?」
「……食後に入浴して、そのあと式典用の服に着替えておかしいところがないかどうかチェックをします。そして式典前に陛下に謁見――」
「ああもういいです。つまりこの後は入浴して髪を乾かして着替えですね。では着替えまでにマリアを返せば問題ないということです。まさか侍女を三人連れて入浴するつもりでもないでしょう?」
「当たり前だ! ……あ」
しまった、とウォレスが口を押えたがもう遅い。
サーラは額に手を当ててため息をついた。
言質を取ったアルフレッドは機嫌よさそうに眼鏡のブリッジを押し上げる。
「では、借りていきますね。マリア、行きますよ」
がしっと手首をつかまれて引っ張れる。
これは、ついて行く以外の選択肢は、サーラに残されていないだろう。
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