カウントダウン 1
「……四月」
侍女の部屋にあるカレンダーを四月のものに変えたサーラは、そっと息を吐き出した。
とうとう四月が来てしまった。
(約束の四月五日まで、今日を入れて五日……)
ウォレスとの、別れの日。
もう一度息を吐き出したサーラは、サーラのベッドで幸せそうに枕を抱きしめて眠っているウォレスを見やる。
約束の別れの日が近いからだろうか、ウォレスはここ数日、いつも以上にサーラにべったりくっつきたがる傾向にあった。
もちろんサーラも嫌ではないが、別れの日までに少しずつ感情を整理しようと思っていたのに、ウォレスがこの調子なのでちっとも心の整理がつけられていない。
「まったく、困った王子様……」
ベッドの縁に腰かけて、ウォレスの艶々の黒髪に触れる。
頭を撫でられるのが気持ちよかったのか、ウォレスがふにゃりと口元を緩めた。
フェネオン伯爵の死に傷ついていた王子様だが、一か月たって心の整理がついたらしい。
フェネオン伯爵を殺害したのはやはり副官だった。
彼は、フェネオン伯爵の死は事故ではなく、明確な殺意があったとも供述した。仕事に厳しいフェネオン伯爵に、恨みを抱いていたらしい。
一人の大臣が殺され、犯人が副官だったという事件は城中に衝撃を走らせたが、一か月たてば落ち着くものだ。
ただ、アルフレッドだけは一か月たった今でも、非常にイライラしているが。
(フェネオン伯爵の後任の財務大臣が、第一王子派閥の侯爵だったからねえ)
アルフレッドによると、死亡したフェネオン伯爵の後任に限らず、ここのところ城の人事がいろいろ入れ替わっているらしい。
年明けに上層部の人事異動があったのだが、その影響が出ているという。
というのも城の人事をつかさどる人事局の新しい長官に、第一王子派閥の伯爵が就任したのだ。
アルフレッドによると、そのせいであちこちの部署に第一王子派閥の人間がねじ込まれるようになったらしい。
越権行為だと文句をつけたそうだが、「たまたまだ」と返されたとか。さらには、城の上層部にはもともと第二王子派閥の人間が多かったため、逆にそこを突かれてぐうの音も出なかったと言っていた。
第二王子オクタヴィアンの母は言わずもがな王妃で、実家は国内でも屈指の権力を持つラコルデール公爵家だ。上層部に第二王子派閥の人間が多かったのはその影響もあるだろうが、権力を使って無理やりねじ込んだりもしたのだろう。
痛いところを突かれたアルフレッドは、はらわたが煮えかえるほどムカついているらしい。
城の勢力図が少しずつ塗り替わっていく中、アルフレッドとしては四月六日のウォレスとジュディット・ラコルデール公爵令嬢の婚約式で、何がなんでも第二王子派閥の結束を強めたいところだろう。
サーラのところにも、何かあるたびにやって来る。
(でもねえ、大臣が腹痛を起こしたとか、よくわからない置物が紛失したとか、どうでもいいものまで持って来られても困るのよ)
大臣が腹痛を起こしたのは単純に食あたりだったし、置物が紛失したのは、置物が陶器製で割れてしまったから片付けられただけだった。
窓の桟の隅っこの埃まで見逃さないほど、目を皿にして相手の隙を突こうとするアルフレッドには感心する部分もあるが、巻き込まれるこっちとしては無駄に疲れるからやめてほしい。
第二王子の補佐官とはいえ、城の人事に口出しする権利はないので、アルフレッドはとにかく相手の足を引っ張り、第一王子派閥の人間の人事異動をさせたくて仕方がないようだ。
「殿下、そろそろ起きないとダメですよ。あと三十分もすればジャンヌさんが来ますからね」
肩を揺さぶると、「むーっ」と不満そうに唸ったウォレスに、むんずと手首を掴まれた。
「ちょっ」
そのままぐいっと引き寄せられて、すぽっと腕の中に閉じ込められる。
「殿下、何してるんですか!」
「殿下じゃない。ウォレス……」
「もう朝なので殿下としか呼びません。ほら、起きてください。起きて着替えて顔を洗ってしゃきっとして! 今日は朝から、婚約式のときの服の最終確認があるんでしょう?」
「……面倒くさい」
婚約式の時に着る服は新調する。白地に細かい金糸の刺繍の入った豪華なものだ。縫製まで終わって、今日、試着することになっていた。
「別に破れていなければそれでいいのに」
「今日はベレニスさんも来ますし、ジャンヌさんと二人に怒られますよ」
「……それはやだ」
そう言うくせに、なかなかサーラを離してくれない。
ぐりぐりと肩口に額を押し付けて、そのまま寝そうになったので、サーラは慌ててウォレスの肩を叩いた。
「起きてくださいってば!」
「んー……。おはようのキスをくれたら起きる」
「何言ってるんですかっ」
「してくれなかったら起きない」
(駄々っ子か!)
しかし、ウォレスがこうなると自分の希望がかなえられない限り梃子でも動かないだろう。こういう時の我儘は、本気の我儘だ。そして相手が嫌がるか嫌がらないかを正しく見極めているからたちが悪い。
「……わかりましたよ。キスしますから、腕の力を緩めてください。これでは動けません」
早くしないと、本当にジャンヌが来るのだ。
何故怒られる側のウォレスではなく自分が焦っているのだろうと、腑に落ちないものを感じる。怒られる側は、呑気に甘えたいモードを発動しているというのに。
ウォレスが機嫌よさそうな顔になって顔を上げた。
(どう見てもしっかり起きてるって顔してるんだけど)
起きているなら、そのままベッドから降りてくれればいいのにと思いつつ、そっとウォレスの頬に唇を寄せる。
「はい」
「唇じゃない」
「唇にするとは言っていません」
「やだ。ノーカウントだ」
今日は本当に我儘である。
(唇は、ちょっと恥ずかしいんだけど……)
ウォレスからされることはあっても、自分からはあまりないので、妙に緊張するのだ。
「……せめて、目をつむってください」
「ん」
ウォレスが素直に目をつむる。
その額をぺちんと叩いてやりたい衝動に駆られつつも、サーラはドキドキとうるさくなりはじめた心臓の上を押さえて、ウォレスの唇に己のそれを押し付けた。
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