婚約 5
ベッドメイクをすることはあっても、ウォレスのベッドに横になるのははじめてだ。
心臓が壊れそうだった。
本来、侍女が落とすべき部屋の灯りをウォレスが落として、隣にもぐりこむ。
指一本すら動かせないほど硬直して、浅い息を繰り返していると、隣のウォレスがもぞもぞと動いてサーラを腕の中に抱き込んだ。
「……何もしない」
かすれた声が、耳元でした。
「だからそんなにがちがちにならないでくれ。……なんだか、悪いことをしている気になる」
悪いことかどうかは、サーラにはわからないが、推奨されるようなことではないだろう。
天蓋のカーテンを落としたベッドの中は、まるで外界と隔離されて狭い箱の中のようだ。
誰もいない。
二人きり。
ウォレスの息遣いや鼓動が、まるでこの狭い箱の世界のすべてであるかのように思える。
伝わってくる体温が、熱いくらいだった。
ウォレスがゆっくりとサーラの髪に指を滑らせる。
バスルームでの話の続きを、と思ったが、緊張しすぎてとてもではないがサーラは口がきけそうになかった。
「……四月五日までは、このままの関係で。それでいいか?」
髪を梳き、額や頬に唇を寄せ、ウォレスがささやく。
サーラが頷けば、口づけが落ちてきた。
一度離れ、またくっつき、深くなる。
はっと途中で大きく息を継げば、ウォレスが唇を放してこつんと額同士をくっつけた。
「それから、四月五日が過ぎても、侍女をやめないでほしい」
「……はい」
おそらく、すでにサーラを自陣に組み込んだつもりでいるアルフレッドが辞めさせるはずがないが、自分の意思でサーラは頷く。
たとえ関係が変わっても、サーラはウォレスが許す限り側にいるつもりだ。
城にいなければレナエルたちの動向を探れないという理由も大きいが、なによりサーラが、ウォレスから離れたくなかった。
彼の周りにはサーラがついていなくとも人はいるけれど、彼が甘えられる人物は少ない。
関係が変わればウォレスはサーラに甘えなくなるかもしれないけれど、無理をしていないかどうか、少なくともしばらくの間は彼を見ていたかった。
――たとえそれが、つらくとも。
ウォレスが再びサーラの唇を塞ぎ、頬を、首をくすぐってきた。
けれども、おずおずとサーラがウォレスの背中に腕を回したとき、「……まずい」とくぐもった声がして唇が離される。
「何か話をしよう。冷静になれる話がいい」
「え……、と」
「深くは聞くな」
サーラはボッと赤くなった。
ウォレスがサーラから少し距離を取って、けれどもきゅっとサーラの手を握ると仰向けになる。
「えーと、えーと……」
必死に何か話題を探そうとしているウォレスに、サーラは噴き出した。
しばらく唸っていたウォレスは、何か話題を思いついたようだ。「ああそうだった!」と声を上げる。
「少し前のライチの件があっただろう?」
「バラケ男爵の件ですよね」
「ああ。アルフレッドが調べたんだが。少々不可解なことがわかった」
「不可解、ですか?」
バラケ男爵を殺害したのは、その後死んだ執事である。
少なくともサーラとアルフレッドの見解は執事が犯人で一致していた。
しかし執事が他殺だったため、彼に指示を出し男爵を殺害至らしめた人物がいるはずで、それについてはとある農家がライチの温室栽培に成功したらしいという情報を男爵本人、もしくは執事にもたらした人物が有力候補だ。
「ライチの温室栽培の件だがな、農家によると、栽培に成功したものの売り出すほどのレベルではなく、実をつけたのは実験的に温室で栽培していたライチの木の一本だけだそうだ。それを知っていたのは、近所の人間と、農家が報告を上げたので領主……ビュイソン侯爵とその周辺。それから……レナエルの専属護衛官のラウルだという。ラウルはビュンソン侯爵から聞いて、農家に直接連絡を取ったらしい。レナエルがライチが好きなのだが、ライチはもう熟しているのかと。農家に宛てて送られた手紙が残っていて、アルフレッドが農家から買い取った」
「専属護衛官ってことは、去年の成婚パレードの際に、レジスを殺したあの専属護衛官ですか?」
「そうだ」
サーラもウォレスと同じく天井を見上げた。一点に視点を固定しつつ、うーんと唸る。
「確認ですが、ビュンソン侯爵とラウルはどこに接点があったのでしょう。それから、まあ、聞かなくともわかるような気がしますが、ビュンソン侯爵は第一王子派閥ですか?」
第一王子妃の専属護衛官が親しくするのであれば、ビュンソン侯爵は第二王子派閥ではなかろう。
案の定、ウォレスはちらりとサーラを見て頷いた。
「そうだ。ビュンソン侯爵は兄上の派閥の、しかも筆頭に近いところにいる貴族だ。ビュンソン侯爵とラウルの接点だが、確実なところはわかっていないが、アルフレッドの予測だと、十一月の終わりにビュンソン侯爵家のタウンハウスで開かれたパーティーではないかということだ。レナエルも兄上とともに参加していて、ラウルも護衛として同行した」
(十一月の終わり、ね)
なるほど、そのあたりで情報を仕入れていたのならば、計画を練る時間は充分にあっただろう。
「つまり現時点の容疑者は、ビュンソン侯爵とラウルということですよね」
「そうなるが、そうなると不可解なのが派閥の問題だ。バラケ男爵は兄上の派閥だ。相手が男爵たとはいえ、派閥内の勢力を削るようなことをするか?」
「そうですよね……」
しかし、引っかかるのはレナエルの専属護衛官である。
あちらは、パレードに乱入してすでに騎士たちに取り押さえられていたにもかかわらず、そのレジスを殺したという、不可解な前科がある。
本人はレナエルを守るためだと主張したそうだが、過剰防衛もいいところだった。
そしてレナエルとともにヴォワトール国にやって来た彼女の兄フィリベール・シャミナードも不可解な行動を取っていた。
この件につながりがないと言い切れない。
「例えばの話ですが、バラケ男爵が例の贋金の件に絡んでいたということはないですか?」
「それはないと思うが、可能性はゼロではないな。アルフレッドも探ったようだが、情報を仕入れるにしても限界がある。サーラはラウルが怪しいと思っているのか?」
「……すみません。どうしてもシャミナード公爵側だと思うだけで怪しく思えてしまいます」
「謝ることはない。君の気持は理解できる」
ウォレスはそう言うが、客観性を欠いてはならないだろう。
思い込みで判断すると、いつか大変な間違いを犯しそうで怖い。
過去の両親の冤罪を晴らすにしても、サーラ自身が客観的に判断しつつ証拠を集めなくてはならないのだ。
恨みを忘れるのは難しいが、感情的になってはならない。
「さすがに証拠も揃っていないのに本人たちを事情聴取はできませんもんね」
「ああ」
下手につつけば、こちらが隙を突かれる結果になりかねない。
ここまで情報を集めてアルフレッドが動かないのは、動けないからだろう。
「この問題はいったん棚上げですか」
「そうなるだろうな。アルフレッドが悔しそうだった」
「前から少し思っていたんですけど、アルフレッド様は敵対派閥を陥れるのが好きなんでしょうか。突く隙を見つけるとすごく楽しそうな顔をするんですが」
「まあ、兄上の派閥連中には、過去に散々やられているからな。まあ、こちらもやり返していたようなので、どっちもどっちだと思うが」
(ははーん、つまりは意趣返しもあるわけね)
アルフレッドがやられっぱなしで黙っているはずがない。
使えるものは養女でも使って、とにかくあちらを攻撃するネタを探し回っているのだろう。
「派閥同士の喧嘩は面倒くさそうですね」
「そうだな。だが派閥でも全員が全員ではないぞ。派閥を超えてうまく付き合っている連中もいる。アルフレッドのような売られた喧嘩は買うタイプがバチバチやっているだけだ」
「ブノアさんは穏やかそうなのに」
「ブノアもな……。あれはあれで普段は穏やかなんだが、やられて黙っているタイプではないから、攻撃されれば倍返しくらいはするぞ」
「そうなんですか?」
「攻撃されなければ何もしないがな。……タイプが違うように見えても、ブノアはアルフレッドの父親だ」
(あー……)
サーラの中の素敵紳士の印象がちょっと変わりそうだ。
ブノアは確かにあの変人の父親である。
「あの、もう一つ訊いてもいいですか?」
「なんだ?」
「セザール殿下とレナエル妃の関係は良好なんでしょうか?」
不可解なことを訊かれたと、ウォレスが目を丸くする。
「兄上の夫婦関係か? どうなんだろうな……。結婚式をしてからは、特に話は聞かないが……。何故そんなことが気になる? ……まさか、君、兄上に気があるんじゃないだろうな」
「ありませんよ!」
どうしてそうなる。
ただ、あの弟が大好きで食えない第一王子のことだ。
セザールがレナエルとの結婚を選択したのも、何か裏がありそうな気がするのである。
(順当に考えると、レナエルを娶った方が王位に近づくのに、セザール殿下は自分がレナエルを娶ったのよね)
セザールはウォレスを蹴落とそうとは考えていない。
むしろ、サーラの勘では、ウォレスをサポートしているような気がしてならないのだ。
そうであるならば、むしろレナセルを自分の妃にせずウォレスと結婚させた方が、セザールとしては都合がよかったような気がするのである。
(セザール殿下の考えがわかったら楽なんだけど。感情を隠すのは得意そうだし、本音がわからないから考えがまとまらないわ)
セザールがレナエルとどのくらい親密なのかによっても、今後の動きが変わる。
あの男は敵に回したくないが、もしサーラが過去の自分の両親の冤罪を張らすべく、レナエルやフィリベール・シャミナードを探っていたら、彼は敵に回るのだろうか。
もしラウルがバラケ男爵殺害に関係していて、主であるレナエルの指示であったと仮定すると、レナエルとセザールの関係が重要である。関係性によってはセザールも絡んでいる可能性が浮上するからだ。
考え込んでいると、ウォレスがぎゅうっと抱き着いてきた。
「私と別れても、兄上のところには行くな」
「何を言っているんですか?」
ウォレスが突然わけのわからないことを言い出した。
「君は私のものだ」
「……だから、わたしはセザール殿下のことは何とも思っていませんよ」
この困った王子様は焼きもちを焼いてしまったようだ。
ウォレスの機嫌が降下してしまったので、話はこのくらいで切りやめたほうがいい。
「そろそろ寝ましょう?」
サーラをぎゅうぎゅうに抱きしめたウォレスは、「うん」とどこか拗ねた声で頷いた。
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