決断 3
「……あの、何を考えているんですか?」
しばらく沈黙して、サーラはため息とともに言った。
「侍女ってことは、お城に行くってことですよね? セレニテ……いえ、フィリベールがいる城に行くなんて、敵地に乗り込むようなものじゃないですか」
正気ですか、と問えば、ウォレスが悪戯を思いついた子供のような顔で笑い出した。
「だからいいんじゃないか。あちらも、まさか探している本人が近くにいるなんて思わないだろう? 君がディエリア国を出たのは十歳のときだ。もう七年以上が経っている。君の今の顔までは特定されていないだろうし、むしろ下町にいるより安全だろう。侍女なら私の部屋の隣に部屋が用意できるから、マルセルについでに護衛させられる」
(……またそうやってマルセルさんをいいように使おうとする)
サーラはちらりとサロンの扉を見る。
今頃廊下でくしゃみでもしているのではなかろうか。もしくは悪寒を感じて震えているか。
「今の話には致命的な欠陥がありますよ。平民をどうやって侍女にするつもりですか」
王族の侍女は、基本的に貴族がなる。平民が城で働いていないわけではないが、メイドや下働きばかりだ。相応の身分と教養が必要になる侍女に、パン屋の娘がなれるはずがない。
「平民じゃなければいいじゃないか」
「何を言っているんですか?」
サーラは平民だ。ディエリア国のときの身分は剥奪されている。
怪訝そうな顔をすると、ウォレスは機嫌がよさそうにサーラの髪をくるくると指に巻き付けた。
「ブノアの長男の名前は、アルフレッドというんだが、あの男は二十八歳のくせしていまだに妻帯せず、子供がいない」
「……はい?」
サーラはさらに怪訝そうになった。
「何が言いたいんですか? まさかその人と結婚しろと?」
「なんでだ! あんな性格の悪い仕事人間と君を結婚させるはずだがないだろう⁉ というか、なんで私が君の結婚先を斡旋するんだ! 結婚するなら私がする!」
「ウォレス様とわたしが結婚できるはずないでしょう⁉」
わかっているくせに意味のわからないことを口走らないでほしい。
「とにかく、そのアルフレッドは未だ独身で妻も子もいない。ブノアとしては、いい加減身を固めてほしいところだろうが、女性を『あなたなんて仕事と結婚すればいいのよ!』と激怒させるような男はこの先もきっと独身だろう。だから、君の隠れ家としては非常にちょうどいい」
「隠れ家?」
「つまり、だ。サーラ、アルフレッドの養女にならないか? もちろん、名前だけだ。アドルフたちもアルフレッドのタウンハウス、もしくはブノアの邸に住めばいい。アルフレッドの養女であれば、君が私の侍女になっても何らおかしくない」
サーラはぽかんとした。
(何その強引な方法……)
貴族は養女や養子をとることがある。
跡継ぎがいない貴族が親戚筋から養子をとることもあれば、慈善活動の一環で孤児を養子や養女に取ることもあった。
慈善活動の一環ならば政治的に使いやすい養女の方が人気だというが、今はそんなことは問題ではない。
(パン屋の娘を養女って……)
もちろん、偽名を使うことになるだろう。
サーラの出自も、シャミナード公爵側に知られないようにうまくごまかすはずだ。
だがしかし、強引なことには変わりない。
「あの……。わたしは十七歳ですよ? 二十八歳の人を養父と呼ぶのは、ちょっと……」
「大丈夫だ、呼ぶ必要はない。というか、基本は無視していたらいい。あれに近づくとこき使われるだけだから、むしろ近づくな」
養父を無視しろなんて、無茶苦茶である。
「ブノアでもよかったんだが、変わり者のアルフレッドを使った方が怪しまれないだろうからな。合理性をこよなく愛する変人が、私の侍女にするために養女を取ったと聞いても、誰も怪しまない」
「そうなんですか?」
「そういう男だ。以前婚約していた女性も、家柄がちょうどよく同じ派閥で容姿が整っているから娘が生まれたら政治の道具に使えそうだ、という理由で選んだらしい。それを本人に言って大激怒させたがな。いまだに社交界では笑いの種にされている」
「…………なんか、別の意味で不安になって来たんですけど」
「安心しろ。君には手は出させない」
そんな心配をしたわけではないのだが、まあいい。
(つまり変な人なのね。……王子の補佐官をしているくらいだから、仕事はできるんでしょうけど)
サーラはちょっと考える。
ウォレスはさっきからサーラの髪をいじったり背中をなでたりと楽しそうだが、考えに集中できないからやめてほしい。
(やり方は強引だけど……、侍女になる方法を選んだら、まだもう少しの間はウォレス様と一緒にいられるのかしら)
他国に引っ越す必要もなくなる。
アドルフたちもアルフレッドかブノアの邸に住まわせてくれるのならば安全だろう。
シャルは――反対するかもしれないが、最終的にはサーラの意思を尊重してくれると思う。
それに――
(もし、ウォレス様の仮定が正しいのならば、やっぱりお父様とお母様の罪は冤罪で、シャミナード公爵家が関与しているってことになるわ)
過去を知るサーラが邪魔になったのならば、やはり両親であるプランタット公爵夫妻はシャミナード公爵に陥れられたのだ。
シャミナード公爵本人はヴォワトール国にはいないが、フィリベール・シャミナードの周辺を探れば、過去のことがわかるかもしれない。
両親が冤罪だと証明できれば――、墓すら作ることが許されなかった二人のために、母国に墓を建ててやることくらいはできるだろうか。
この、胸の奥に押しやって、でも消えてくれないどろどろとした行き場のない感情を、恨みを、昇華し晴らすことができるだろうか。
(余計なことは考えるべきだはないんでしょうけど……)
ある意味、これは最初で最後のチャンスかもしれない。
サーラはもう、何もできなかった子供ではない。
今ならば、シャミナード公爵が犯した罪を暴くことができるかもしれない。
平民が貴族を敵に回すことは愚かなことでしかない。
けれども、アルフレッドの養女になれば、サーラは再び同じ土俵に立てるのだ。
サーラはゆっくりと息を吐き出す。
そして、いつぞや口にしたのと似たことをウォレスに問うた。
「わたしの家族……アドルフやグレース、シャルを、守ってくれると誓ってくれますか?」
もし、サーラに何かあっても、あの家族だけは守りたい。
「君も含めて全員、私が絶対に守ると誓うよ」
まさかそこにサーラ本人まで入れ込まれるとは思わなくて、サーラは小さく笑った。
ウォレスが、守ると誓った。
次期王になるかもしれない、この人が。
それはなんて――贅沢なのだろう。
サーラはウォレスの腕の中で顔を上げた。
「……侍女になります」
この先、どうなるかはわからない。
けれども、これを逃せば次はないだろう。
両親が処刑されたあの日、半身を失い、すべてを諦めたと思っていたサーラだったが、どうやら自分の中にもまだ諦観以外の感情が残っていたらしい。
過去に怯え、逃げてばかりの人生は、もうやめる。
――あのとき腕の中で微笑んだサラフィーネ・プランタットは、びっくりするほど美しかったと、のちにオクタヴィアンは笑って語った。
第一部 完
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