決断 1

 パン屋ポルポルでひと騒動があって二日。

 店の入り口にはクローズの看板が掲げられていた。

 店の片づけは一日で終わったので、店を開けようと思えばできたのだが、ウォレスが待ったをかけたのだ。


 ブノアから話を聞いたウォレスは、サーラ達一家を全員、東の一番通りの彼の邸に避難させることに決めた。

 最初は断ったサーラだったが、それならばポルポルにマルセルとブノアを常駐させるなどととんでもないことを言い出されて諦めた。

 あれよあれよという間に家から必要なものが運び込まれ、広い邸の中にそれぞれの部屋が整えられた。

 ウォレスは邸を自由にしていいと太っ腹なことを言ったが、貴族生活から離れて八年。すっかり平民の生活になじんでいたアドルフ一家が、大きな邸でのんびりできるはずもない。


 何もしないのは落ち着かないと、アドルフはキッチンを借りてパンを焼き、グレースはベレニスを手伝って家政婦のまねごとをはじめた。

 シャルは市民警察の仕事があるから外出している。

 そしてサーラはというと――、昼をすぎてやって来たウォレスにサロンに呼び出されていた。


「ここでパン屋でもするのか?」


 挨拶もそこそこに、ウォレスが邸中に漂っているパンの香りに苦笑しながらそんなことを言った。


「……さすがにそれは。ただ、焼いていないと落ち着かないんでしょうね。お父さんが食べきれないだけのパンを焼いたみたいなので、よかったらもらってください」


 リジーには、シャルに連絡を入れてもらうようにしている。

 まあ、わざわざ連絡を入れなくとも、噂好きのリジーのことだ。ポルポルでひと騒動あったことはすでにどこかから聞き及んでいるだろう。

 サーラ達がよそに避難していて、無事であることさえ伝えれば安心してくれるはずだ。


「それで、何があったんですか?」

「あったのはそっちだろう」


 サーラが問えばウォレスがあきれ顔をしたが、サーラはゆっくりと首を横に振った。


「ウォレス様が心配してくださったのはわかりますけど、強引に居を移させたのは、ウォレス様らしくありません。何かあったんでしょう?」


 ウォレスは強引なところはあるが、それでも相手の話は聞いてくれる。

 それなのに半ば脅すようなことを言って無理やりサーラ達一家をここに連れてきたのは、普段の彼からすれば強引すぎた。

 今朝、強制的に住処を移らせたウォレスは、王子として仕事があるのですぐに貴族街に戻って行った。だからまだ詳しいことは何も聞いていない。


 ベレニスがお茶を出して下がると、ウォレスとともに貴族街から来ていたマルセルが扉の内側に立った。

 ここには現在ブノアやベレニスたちと、それからアドルフ一家しかいない。マルセルが警戒して扉の前に立つということは、今から話すことは聞かれたくない話なのかもしれない。


「君はすぐにそうやって勘付くから、隠し事ができないな」

「隠したいことなんですか?」

「いや、そういうわけではないが……、こっちにもいろいろ心の準備があるんだ」

(心の準備……?)


 サーラの心臓がざわりとした。

 二人の間で、「心の準備」をしなければならない話なんて、サーラには一つしか思い浮かばない。


(……結婚が、決まったのかしら)


 シャルは、引っ越すことを検討してほしいと言っていた。

 つまりウォレスと別れる決断をしろと。

 けれども、サーラが決断する前に、ウォレスから別れを切り出されるのだろうか。


(それは……いや…………)


 何とも我儘だと、自分でも思う。

 別れることは決まっていた。

 最初から二人の終着点には、別離しか存在していない付き合いだった。

 覚悟はしていたし、納得していたはずだった。

 それなのに、自分が別れを決断するより早くウォレスから切り出されるのは嫌だと思ってしまう。


 息をつめて、ぎゅっと自分の手を握り締めてウォレスの言葉を待っていると、彼は「あーっ」と叫んで髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。

 いつも綺麗に整えられているウォレスの黒髪が、鳥の巣のようになる。


「何から話せばいいのかわからないから、とにかく順番に話す!」


 それは、ウォレスの結婚相手とのなれそめからということだろうか。


(そんなの聞きたくないわ……)


 それは誠実なようで残酷な行為だ。

 ウォレスならばそのくらいわかるはずなのに。

 きゅっと唇をかみしめると、ウォレスが真顔になった。


「君たちにここに来てもらったのは、少々厄介なことになったからだ」

「……結婚相手が厄介な相手ということですか?」

「は?」


 真面目な顔を作っていたウォレスが、ぽかんとした顔になる。


「何の話だ? ちょっと待て。――まさかサーラ、結婚するのか⁉ 聞いていないぞそんなこと‼」


 今度はサーラがぽかんとする番だった。


「ウォレス様こそ何を言っているんですか? 結婚するのはウォレス様でしょう?」

「どうして私が結婚するんだ⁉ マルセル! 私が知らないうちに、私の結婚が決まったのか⁉」

「え? いえ、俺は知りませんけど……」


 水を向けられたマルセルが戸惑いつつ首を振る。

 サーラはぱちぱちと目をしばたたいた。


「結婚の報告じゃないなら……あの、ウォレス様は、なんの話をするつもりなんですか?」

「君こそなんで私が結婚報告をするなんて勘違いを――、ああもういい! マルセル! 部屋から出ていろ! 邪魔だ!」


 八つ当たりをされたマルセルが納得いかない顔をしつつ「じゃあ外にいます」と言って部屋から出て行く。

 部屋の中に二人きりになると、ウォレスがすでにぐしゃぐしゃになっている髪をさらにかきむしって、ソファから立ち上がった。

 サーラの隣に座ると、両手でサーラの頬を挟んで顔を近づけてくる。

 こつん、と額同士がぶつかった。


「君は、私が別れ話をすると思ったのか?」

「……ウォレス様が心の準備なんて言うからです。それに……その、兄からも、引っ越しを検討するように言われていましたから、だから……」


 二日前から、彼と別れなければと、そればかり考えていたせいか、ウォレスの言うところの心の準備が必要な話は、別れ話しかないとそう決めつけてしまった。


「引っ越し? 聞いていないぞ!」

「店に来た男の目的がわかりませんから……。もし、わたしの正体を知っていて、何らかの目的でわたしに接触しようとしてきたのならば、早いうちに引っ越してしまった方が賢明だろうと……」

「引っ越すって、遠くか」

「近かったら意味がないでしょう?」

「却下だ。許さない」


 怒った顔で命じるウォレスは横暴だ。

 横暴なのに――嬉しいと思ってしまうのはどうしてだろう。


「でも、わたしを探している男やセレニテは、わたしの正体を知っているのかもしれないでしょう? わたしの過去に何か不都合があって、口を封じようとしている可能性だって……」

「……それについては、可能性があると私も思う」


 はあ、とウォレスは息を吐いた。

 ちょっとミントの香りがするので、ここに来る前にミントティーか何かを飲んだのだろうか。


「というより私も、これから先の君の安全を守るにはどうするかという話をしに来たんだ」


 ウォレスがサーラの背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。


「君が動揺するかもしれないと思って、どう切り出せばいいのか悩んでいたんだが……、引っ越すなんて言うから、もう、はっきり言う」


 染料のせいでごわつくサーラの髪を、ウォレスはゆっくりと撫でた。


「サーラ、セレニテの正体がわかった」


 サーラが顔を上げると、ウォレスがかすかに眉を寄せて続ける。


「セレニテの本名は、フィリベール・シャミナード。セザール兄上の妃レナエルの実の兄で、シャミナード公爵家の次男だ。……今、城にいる」


 サーラはひゅっと、息を呑んだ。




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