神の子を名乗る男 4
セレニテはその後、いくつかのカードの奇跡を披露して、それから「力を使って疲れましたので今日はここまでにさせてください」と儚げに笑って部屋から出て行った。
セレニテが帰ったあとも宴会ホールには興奮が残されて、皆が皆口々に彼の起こした奇跡を絶賛している。
リジーもすっかり興奮していて、マルセルは狐につままれたような顔をしていた。
「楽しめたかい?」
ヴァルヴァラが艶っぽく微笑む。彼女もまた気分が高揚しているように見える。
「はい! 姐さん、ありがとう!」
客の中にはこのままここで過ごすものもいるようだが、サーラとリジーは長居をしない方がいいだろう。マルセルを狙っている娼婦もいるし、彼のためにも早々に立ち去るべきだ。
ヴァルヴァラに礼を言って娼館を後にすると、外はすっかり暗くなっていた。
来た時は空がまだオレンジ色をしていたのだが、秋は日が暮れるのが早い。
先にリジーを菓子屋パレットに送っていく。
そしてサーラも帰ろうとしたとき、マルセルに「もう少しよろしいですか?」と問われて首をひねった。
日は暮れたが、時間的にはまだそれほど遅くない。
頷くと、マルセルが向かったのはパレットよりも少し北寄りのところだ。
少し歩いて、道を一つ曲がると、そこには見たことのある馬車が停まっていた。御者台にはブノアが座っている。
マルセルが馬車の扉を開けると、中にはウォレスが座っていた。
「ウォレス様」
「入ってくれ」
「は、はい……」
まさかウォレスがいるとは思わなかった。
サーラが馬車の中に入ると、マルセルが扉を閉めて御者台へ向かった。
馬車の中にはサーラとウォレスの二人きりだ。
サーラの心臓が、ざわざわしはじめた。
対面に座ろうとしたサーラに、ウォレスが隣に座れと指示を出す。
サーラが座ると、ウォレスが「少し適当に走らせろ」と御者台にいる二人に命じた。
馬車がゆっくりと走り出すと、ウォレスが自然な動作でサーラの肩に手を回す。
「で? どうだった?」
「え?」
「え? じゃない。セレニテの奇跡はどうだったんだ?」
「あ、ああ、そうですね……」
いけない、いけない。ウォレスが待っていたとは思わなかったので、頭の中が真っ白になってしまっていた。
(だって……、変なことを思い出しちゃったし)
キスするために馬車に行こうと誘われた時のことを思い出したせいで、妙に意識してしまったのだ。ウォレスは単に、今日のことが聞きたかっただけだというのに、自意識過剰すぎる。
サーラは大きく息を吸って吐き出すと、真面目な顔を作る。
「奇跡だって本人は言っていましたけど、あれ、ただのトリックです」
「わかったのか?」
「はい。全部じゃないですけど、いくつか知っていましたから」
サーラはそっと息を吐き出す。
サーラがまだサラフィーネ・プランタットだったころの話だ。
セレニテがやったのは、たまたまディエリア国を訪れていた大道芸人が披露してくれた「手品」というものによく似ていた。
ディエリア国でもヴォワトール国でもそうだが、「手品」と呼ばれる一見すると奇跡を起こしているとしか思えない出し物には、一種の規制がかかっている。
奇跡が使えるだなんだと言って新興宗教を起こそうとする人間を抑制するためだ。
要するに、国家の威信を保つために、妙に人々の関心を引くような大道芸は禁止されているのである。
ゆえにディエリア国を訪れた大道芸人も、国が許す範囲での芸を行っていた。
そんな大道芸人に、当時幼かったサラフィーネはとても興味を示して、娘に甘かった父プランタット公爵が邸に招いたことがある。
その時に大道芸人のおじさんが、「内緒だよ」と言ってカードを使う簡単な「手品」を教えてくれたのだ。
今日セレニテが行った「奇跡」には、その時教えてもらった「手品」とよく似たものがあった。つまりはトリックで、奇跡なんかではないのである。
(でも、手品を奇跡だと偽って披露しているなんて、セレニテは一体何がしたいのかしら?)
お金を取っているわけではなさそうだ。新興宗教を起こそうと、聞いたことのない神の名前を出して信者を集めているわけでもない。
「セレニテの目的はわかりませんけど、道具を用意してもらえれば、わたしでもいくつかは同じことができると思います」
「へえ! 面白そうだな。後で何が必要なのか教えてくれ。用意してやろう」
「わかりました」
「でも、やはり奇跡ではなかったのか」
「まあ、奇跡なんてものは、起こそうと思って起こせるようなものではないですからね」
たまたま何か自分の都合のいいことが起こって、それを奇跡だと思い込むことはあっても、望んでそれが起こせる人間なんてどこにもいない。
神様は祈ったって助けてはくれないのだ。
もし神様が祈りを聞いてくれるのならば、本当の両親は死ななかっただろう。
神様は奇跡なんて起こさない。
「セレニテはどんな男だった? 男だったんだろう?」
「ええ。男でした。ここに、ウォレス様と同じものがありましたからね」
サーラは自分の喉を指さして言う。
セレニテがフードを払ったことではっきりと首が見えたから判明した。彼の喉にははっきりとした喉頭隆起があった。
「ただまあ、顔立ちは女性に間違えられてもおかしくないかもしれません。というか、男か女かはっきりしないすごく中性的で綺麗な顔立ちなんです」
「……ふうん」
「わたし、あんなに綺麗な人をはじめて見ました。セレニテの顔に、男女問わずみんなぼーっとなっていましたよ」
「へー」
「声もすごく綺麗ですし、表情も、たぶん自分がどんな顔をすると相手がどう反応するのかをよく知っているんだと――って、ウォレス様?」
いきなりぐっと引き寄せられたかと思うと、サーラはそのままウォレスにぎゅうっと抱きしめられていた。
「ああそうか、そんなに綺麗だったのか。それで君までぼーっとしたと、つまりはそういうことだな」
「え? 何を言って……って――ひっ」
よくわからないがウォレスの機嫌が悪いらしいと思った直後のことだった。
突然、ウォレスがとんでもない暴挙に出て、サーラは小さく悲鳴を上げた。
なんと、ウォレスにぱくりと耳を食べられたのだ。
いや、食べられたような気がした、というのが正しい。
正確には、はむっと唇で食まれただけだが、もちろんサーラは飛び上がった。が、ウォレスが抱きしめているので、腰を浮かせることすらできなかった。
「な、な、な、何するんですかっ」
抗議の声を上げたが、ウォレスはサーラの耳を離す気はないらしい。
とうとう歯まで立てられて、サーラは真っ赤になってバタバタと彼の腕の中で暴れた。
「ちょっとっ、食べないでっ」
「君は、私にはぼーっとしないじゃないか」
「は⁉」
「それなのに、セレニテという男にはぼーっとする、と」
「していませんよっ」
ぼーっとしていたのはほかの人であって、サーラはセレニテに見とれたりはしていない。
違う違うと首を振ると、ウォレスはようやく耳から口を離してくれた。
(まったくっ、とんでもない暴挙だわ!)
耳を押さえて、熟れたリンゴのように赤くなっていると、今度はふにっとほっぺたがつままれる。そのままむにーっと引っ張られるから、痛みを覚えたサーラが嫌だ嫌だとまた首を振ると、頬が引っ張られる代わりにちゅっと軽い口づけが落ちた。
「ぼーっとしていないんだな?」
「していません!」
「見とれてないと?」
「見とれていません!」
「証明できるか?」
「……どうやって証明しろと?」
サーラはちょっぴりあきれる。どうやらウォレスが不機嫌なのは、拗ねているかららしい。
「証明の仕方など、私が知るか」
無茶苦茶である。
どうしたものかと思っていると、ウォレスがポケットから紋章付きの懐中時計を取り出した。
「時間は、あとどのくらいなら大丈夫だ?」
「え? ええっと……そうですね、あと一時間くらいなら、まあ」
「そうか」
ウォレスは御者台に続く窓をこつんと叩いて、「一時間適当に走らせろ」と命じた。
そして御者台の窓のカーテンと、それから左右の窓のカーテンを全部閉めてしまう。
何故カーテンを閉めるのだろうと、薄暗くなった馬車の中で首をひねっていると、ウォレスがニッと口端を上げた。
あっと思ったときには膝の上に横抱きにされて、サーラは目を白黒させる。
「証明する代わりに、今から一時間、君は私のことだけを考えるんだ」
横暴なことを言って、ウォレスが口を塞いでくる。
どこか甘えているような、啄むようなキスを受けながら、サーラは拗ねて面倒くさくなってしまった王子様の頭をそっと撫でた。
無理に意識しなくとも、もう、目の前のウォレスのことしか考えられない――
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