神の子を名乗る男 3

 四日後。

 サーラとリジー、それからマルセルは、娼館通りに向かって歩いていた。

 馬車で向かうと目立つし、今日はウォレスが一緒ではないので徒歩で行くことになったのだ。


 今日の夜、ヴァルヴァラが暮らしている娼館「柘榴館」に、セレニテが来る予定である。

 余興として「奇跡」を披露してもらうように、男衆を使ってヴァルヴァラが頼んだからだ。

 セレニテの都合で四日後が指定され、「柘榴館」が宣伝したせいで、「奇跡」を見に来る人間はとても多いらしい。

 ただ、ヴァルヴァラが席を用意してくれたようなので、人が多くとも、サーラ達は特等席で見ることができるようだ。


 柘榴館は、高級娼館だけあってとても絢爛な門構えをしていた。

 中に入ると、玄関ホールには店の名前にもなっている柘榴色の絨毯が敷かれている。

 広い玄関ホールには、普段は椅子やテーブルが並べられて、お茶が飲めるようになっていたようだが、今日はすべてが取り払われていた。

 リジーが来たことを男衆が告げると、奥からどこか気だるげな雰囲気をまとわせたヴァルヴァラが姿を現す。

 艶やかなストロベリーブロンドは、今日は背中に流しており、肩から胸元にかけて大きく開いたラピスラズリ色のドレスを着ていた。


「よく来たね、こっちだよ」


 蠱惑的な笑みをふっくらと形のいい唇に乗せて、ヴァルヴァラが白魚のような手でちょいちょいと手招く。

 ついていくと、宴会用の大きなホールに連れて行かれた。

 娼館は何も、娼婦と一夜を明かすためだけにあるわけではない。

 こうした宴会ホールでは、娼婦に給仕をさせての接待が行われることもあるのだ。

 宴会ホールには机がいくつも置かれていた。

 前の方には余興用のためだろう、一段ほど高くなった舞台がある。

 ヴァルヴァラは舞台のすぐ近くのテーブルにリジーたちを呼んだ。


「今日はあたしのお客さんは来ないからねえ。ここであんたたちと見るよ」


 一晩で金貨何十枚も飛んでいくような、クルチザンヌの名を冠する最高級娼婦の客は限られる。

 一晩で普通の娼婦の一年の売り上げの何倍も稼ぐ最高級娼婦は、滅多に客を取らない。もちろん、一見さんが相手にされることは絶対になく、ゆえに彼女の客は少ない。

 しかし、今日はその最高級娼婦と同じ部屋で余興が見られるとだけあって、セレニテよりもヴァルヴァラ目当ての客も多いようだ。

 ヴァルヴァラはそんな客に声をかけるようなことはしないが、時折気まぐれな流し目を送っている。

 視界の端に、笑み下がった男の顔が映った。視線はヴァルヴァラのくっきりとした深い谷間に釘付けだ。


(……胸って、そんなに重要なのかしら)


 ちらりと、サーラは自分の胸元に視線を落とした。

 そういえばいつぞや、ウォレスがない胸を作れる補正下着を贈って来たことがある。

 ウォレスももしかして、ヴァルヴァラのような豊満な体形が好みなのだろうか。

 なんとなく、面白くない。


「サーラ、どうしたの? 眉が寄ってるけど」

「なんでもない」


 サーラはもう十七歳。このぺたんこの胸が、ある日突然豊満になることはないだろう。

 今日は飲食物も出るようで、テーブルの上にはワインと、それからつまみのドライフルーツが数種類運ばれてきた。

 サーラの隣に座っているマルセルは、どこか落ち着かない様子でワイングラスに手を伸ばす。

 おそらくだが、さっきからマルセルにちらちらと向けられている娼婦たちの視線が気になるのだろう。


(マルセルさんは顔立ちが整っているからね。……あと、見た感じお金持ちっぽいし)


 見た感じどころか正真正銘のお金持ちなのだが。

彼が伯爵家の子息で騎士の称号を持っていると知ったら、この場はマルセル争奪戦の場にとって代わるだろう。

 もしこの場にウォレスがいたりしたらどうなるかなんて、恐ろしくて考えたくもない。


 干しブドウを一つ口に入れつつ、まだ誰もいない舞台を見やる。

 本当に、今日ここにセレニテが来るのだろうか。

 ワインを口にして、ウォレスと初デートをした時に飲んだワインの方が美味しかったな、なんてどうでもいいことを考えたとき、宴会ホールの扉から店主らしい男に連れられてフードをかぶった人物がやって来た。

 舞台に立ったところを見ると、あれがセレニテだろうか。


 自然とサーラの背筋が伸びる。

 身長は、女にしたら高いが男にしたら普通くらい。

 フードをかぶっているので顔は見えないが、フードの裾から覗く髪は本当に白かった。年老いて髪の色が抜けた老人の髪よりもなお白く見える。

 店主が紹介によると、やはり目の前のフードの人物がセレニテだった。

 リジーが仕入れてきた話によると、男か女かはわからないというが、贋金の鋳型を作った少女を村に連れ帰った白髪の人物は男だったという。

 じっと見つめていると、セレニテが男にしては繊細で小さく見える手で、はらりとフードを後ろに払った。


 サーラは、思わず息を呑んだ。

 サーラだけではない。この場にいるほとんどのものが息をつめてセレニテを見ている。


(なんて……綺麗……)


 フードの下から現れたのは、男なのか女のかわからない中性的な顔だった。

 柔らかく弧を描く眉に、すっと通った鼻梁。

 アーモンド形の穏やかそうな目は、赤にも見える赤茶色。

 卵型の小さな顔に、やけに赤い唇。

 サーラはそのまますっと視線を落として、セレニテの喉元を確認する。


「今日は、お集まりくださりありがとうございます」


 女にしては低く、男にしてはやや高い声でセレニテが言ったとき、サーラはセレニテを男だと判断した。

 喉に、男にしかないものがあったからだ。

 年は、二十歳前後くらいだろうか。

 なるほど、その外見だけでも「神の子」と信じさせる、一種の神々しさがある。


 男も女も、娼婦も客も、食い入るようにセレニテを凝視している。

 ちらりとリジーを見れば、ポーッとなっていた。セレニテの顔は、面食いなリジーの琴線に触れたようだ。

 セレニテは、ぐるりと会場を見渡して、嫣然と笑った。


「奇跡を、と呼ばれましたが、父である神の奇跡は特別な時のみの力です。ですので今日は、私ができる小さな奇跡をご覧に入れようと思います」


 あくまで、セレニテは自分を「神の子」と言い張るらしい。

 この場で何人がセレニテの言葉を信じているのかはわからないが、彼が登場し、フードを後ろに払ったその時点で、この場は彼の支配下にあるようにサーラには思えた。

 こういうのを、一種のカリスマ性というのだろうか。

 セレニテの場合は、彼が醸し出す雰囲気とその中性的な美貌がそうさせるのだろう。

 セレニテは店主に言づけて、舞台の上にテーブルを用意させる。

 なんてことはない、柘榴館に用意されているただの長方形のテーブルだ。


(テーブルで何をするというの?)


 あれの何が奇跡に関係あるのだろうか。

 すると今度は、セレニテが外套のポケットからカードを取り出した。ただの変哲もないトランプに見える。


「では手始めに、このトランプの文字や絵柄を消してしまうというのはいかがですか?」


 セレニテがトランプの入ったケースから、何気なくハートのキングのカードを抜き取る。

 緩慢な動きでセレニテがトランプを左右に揺らすと、観客たちはそれを食い入るように見つめた。

 セレニテがハートのキングを店主に手渡す。


「どうぞ。文字がきちんと書かれているかどうか、ただのカードであるかどうかを確かめてみてください」


 店主がカードを確かめ、それを持ってヴァルヴァラのところに来た。

 ヴァルヴァラが指の腹でカードをこするようにし、そこに描かれている文字や絵が消えないことを確かめる。

 リジーやサーラにも見せてくれたので、サーラはカードに触れてみた。


(普通のちょっと高そうなトランプよね)


 カードが安物ではないのはわかったが、ただそれだけだ。

 カードを店主が受け取り、セレニテに返す。

 その間に店主が何か小細工をしないだろうかと見ていたが、特に変わった様子はない。


 さて、あの文字をどうやって消すつもりだろうかと思っていると、セレニテがトランプの箱から、もう二枚のカードを取り出した。

 ハートのエースと、それからダイヤの三だ。

 それをどうするのかと思うと、ハートのキングと三枚合わせて、それから扇状に開く。

 そのカードの文字が観客席に見えるように持ち直し、手元に三枚のカードがあるのを確かめさせた。


「せっかくなので、お遊びをしましょう。どなたか一人、こちらに上がってきてください」

「リジー、行っておいでよ」


 ヴァルヴァラに肩を叩かれて、リジーがびっくりしたように目を丸くした。

 それからおずおずと立ち上がり、好奇心の抑えきれない顔で壇上へ上がっていく。

 セレニテににこりと微笑まれて、リジーの顔が真っ赤になった。


(……大丈夫かしら)


 リジーは完全にセレニテの美貌にやられている。

 興奮して鼻血を出さないといいけれどと思いながら見守っていると、セレニテが手に持っていた三枚のカードを裏にしてテーブルの上に置いた。


 扇状に持っていたカードをそのまま裏にしたので、ハートのキングは真ん中だ。

 セレニテはカードをそのまま横一列になるように置きなおし、真ん中のハートのキングのカードの上に手のひらをかざす。

 手のひらはカードにはつけていない。十センチほど上にかざしているだけだ。つまりこの時点でカードのすり替えは不可能である。


 三秒ほどそうしておいて、セレニテは蠱惑的な笑みを浮かべたまま「これで文字が消えました」と言った。


「私はカードに触れていません。さあ、どうぞ、カードを取って確かめてください」


 促されたリジーがおずおずと真ん中のカードを手に取る。

 そして、大きな目をまあるく見開いて固まった。


「どうぞ、皆様にも見せてあげてください」

「は、はい……」


 緊張で上ずった声で返事をし、リジーが手に持っていたカードを観客席に向ける。

 向けられたカードの表は真っ白で、ハートのキングの絵柄はきれいさっぱり消えていた。

 観客席がどよめく。

 どよめいている間に、セレニテがテーブルに残っていたカード二枚を回収していた。

 数分ほどざわざわとした喧騒が続き、やがて静かになると、セレニテが「どうぞ、残ったカードです」と残り二枚のカードをリジーに手渡した。

 リジーはそのカードを確かめ、そこにハートのエースとダイヤの三が描かれていることを観客に見せる。

 消えたのは、ハートのキングだけだ。


 パチパチと、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。

 サーラもみんなに合わせて拍手をしながら、そっと息を吐き出す。


(……なるほどね。とんだ茶番だわ)


 やはり奇跡なんてどこにも存在しないと、サーラは思った。




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