神の子を名乗る男 1
「サーラ、最近なんか変わったぁ?」
パン屋ポルポルのカウンターに両肘をついてじーっとこちらを見つめてくる友人に、サーラはぎくりとした。
ウォレスの告白から一週間。
残暑も去り、王都はすっかり秋の装いだ。
色づきはじめた街路樹の葉も、あとひと月もすれば散りはじめるだろう。
ウォレスが結婚するまでという期限付きではあるが、彼と内緒のお付き合いをはじめたサーラは、しかしながらこの友人にはその事実を黙っている。
ウォレスの正体を知らないリジーのことだ。秘密にしてほしいと頼んだところで、口が滑ることもあるだろう。
リジーの口が滑れば、瞬く間にご近所に広まる。
そうなれば今度はあっという間に下町中に拡散されるだろう。
ウォレスの立場上、それだけは絶対に避けねばならない。
ウォレスが第二王子オクタヴィアンだと気づかれたら一巻の終わりだ。
現在、サーラとウォレスの関係を知っているのは、ブノアとベレニス、それからマルセルである。あとは邸のメイドたちだ。彼女たちは実はブノアとベレニスの家――サヴァール伯爵家の使用人だったようで、口が堅く、また団結力があるため絶対に口外することはないという。
(あの四阿の蝋燭も、ウォレス様が告白すると聞いてメイドさんたちが張り切って飾ったらしいからね……)
ウォレスもちょっと驚いたと言っていた。
まったく、主人思いのメイドたちである。
ともかく、そんなわけでリジーには絶対に言えない。
というか、誰にも言えない秘密なので、サーラはもちろん誤魔化すしかない。
「前髪をちょっと切ったから、それかな」
「えー、違うよー。なんかこう、雰囲気? ちょっと丸くなったような……」
「人が尖ってたみたいに言わないでよ」
「そういうわけじゃないけどー、でもサーラ、ちょっと斜に構えるって言うか、いつも淡々としているっていうか、なんていうか女らしさが足りなかったって言うか……」
言いたい放題である。
ひくっとサーラは口端を引きつらせたが、もちろんそんなことではリジーの口は止まらない。
「顔は可愛いけど可愛らしさが足りなかったサーラが、なんか可愛くなった気がする」
指摘されるほど違うだろうか。
サーラにはよくわからないが、この友人は妙に敏いところがあるから注意が必要だ。
「気のせいよ」
「そうかなあ?」
「そうよ」
「でも、そのネックレス、今までしてなかったよねえ?」
(……鋭い)
リジーはこの観察眼であちこちから妙な噂を仕入れてくるのかと、サーラは変に感心してしまう。リジーのこういう洞察力はあなどれない。
身に着けている小さなサファイアのネックレスは、あの日ウォレスがプレゼントしてくれたものだ。
どうやらこれは首輪みたいなもので、ウォレスの独占欲を満たすためにできるだけ身に着けてほしいと言われている。
まるでマーキングみたいだなとちょっと思ったが、もちろんそんな無粋なことは口には出さなかった。嬉しくないわけではなかったからだ。
「買ったのよ。臨時収入が入ったし」
「ああ、ウォレス様のお手伝いで隣の領地に行ったっていうあれ? ねえねえ、結局どんな仕事だったの? 気になるー」
「ちょっとした雑用よ」
「雑用ねえ」
リジーはまだ何かを疑っているようだが、これ以上訊ねたところでサーラが口を割らないとわかったのだろう。あきらめたように肩をすくめた。
リジーのお目当てのバゲットが焼きあがるまではまだ時間がかかる。
もちろん彼女は、仕入れている噂話を披露しはじめた。
「ねえねえ、前さ、神の子の話をしたじゃない? 覚えてる?」
「確か、セレニテ、だったわよね。うん、覚えているわ」
ちょっとぎくりとしながらも、サーラは何食わぬ顔で頷いた。
贋金の鋳型を作った少女を村に連れ帰ったという男が、サーラはどうにもその「神の子」であるように思えてならないのだ。
しかしそうだとしたら、妙な点もある。
ティル伯爵がバーで会った男と少女を連れ帰った男が同一人物と仮定した場合、それがセレニテであるならば、彼は平然と貴族街に出入りできる身分だということになるからだ。
下町と貴族街は分厚い壁で隔たれており、その間の大きな門には兵士が立っている。
貴族街から下町へ降りるのは簡単だが、逆は簡単ではないのだ。必ず身分を確かめられる。
貴族の紹介状のない平民が、勝手に貴族街へ出入りすることはできない。
つまりセレニテは、貴族の紹介状を持っているということになる。もしくは彼自身が貴族であるかだが、白髪という目立つ容姿であれば、ウォレスが記憶していないのはおかしいので、貴族ではない可能性が高いと見ている。
(いったい、セレニテは何者なのかしら……)
できれば捕まえたいが、今のところ捕縛できる明確な罪がない。贋金事件に関係しているかもしれないは思うが、それはただの推測で証拠は何もないからだ。
(って、わたしは何を考えているのかしら。捕まえるのはわたしの仕事じゃないでしょうに)
貴族が絡んでいそうな面倒ごとには危険だから首を突っ込まない。そういうスタンスだったはずだ。それなのに、ウォレスと関わっているからだろう、つい、自分の分を超えることを考えてしまう。
「そのセレニテがどうかした?」
訊ねると、リジーは大きな茶色の目をきらんと光らせた。
「それがね! また出たらしいのよ!」
「出た? また現れたの?」
「そうなのよ! 今度は娼館通りの近くにある飲み屋でね。夜、ふらりと現れて、奇跡を起こして帰ったんだって!」
「奇跡? また人を生き返らせたっていうあれ?」
「違うの! 今度の奇跡はなんか面白かったらしいよ」
「どういうこと?」
「あたしも詳しくは知らないのよ。でもね、なんと、姐さんが興味を持っちゃって、男衆に今度セレニテを見かけたら、姐さんの娼館で奇跡の一つでも起こしてもらうように頼んで来いって言ったんだって! そのときはあたしも呼んでくれるって言うから、もしかしたら実物の神の子を拝めるかもよ!」
リジーが姐さんと呼ぶのは高級娼婦のヴァルヴァラだ。
セレニテをうまく呼べるかどうかはわからないが、もしヴァルヴァラが娼館に呼びつけることに成功したらぜひこの目で見てみたい。
(娼館に行くって言ったらお兄ちゃんは怒るだろうけど、でも、この目で見る機会を逃すわけにはいかないわよね)
リジーに頼めば、一緒に連れて行ってくれるはずだ。
「ねえ、もしセレニテを呼ぶことに成功したら、わたしも行きたいんだけど……」
「あたしはいいけど、シャルお兄様は大丈夫なの?」
「説得するから……」
ウォレスに言えば、きっと彼も興味を持つだろう。
王子が娼館通りに近づくのは無理だろうが、マルセルあたりを遣わすに違いない。
(とにかく、この目で一度見てみたいわ)
セレニテがいったい何者なのか。
その、奇跡という技にも、興味がある。
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