変化 3
二日後の十時半。
約束通り現れたウォレスは、いつもと少し雰囲気が違った。
艶やかな黒髪はそのままだが、青銀色の目の上には黒ぶち眼鏡がかけられている。
顔の輪郭がぼやけていないので伊達眼鏡だろうが、まるでちょっとした変装だ。
服装も、いつものきっちりした服よりはラフで、貴族というよりは平民の、少し裕福な家のお坊ちゃんくらいの出で立ちである。
珍しいものを見たと目をしばたたくサーラににこりと微笑んだのは、花柄エプロンを手にしたブノアだ。
「サーラさん、主をよろしくお願いいたしますね」
何をよろしくしろというのだろう。
わからなかったが曖昧に笑っておく。
サーラはブノアに後をお願いすると、父と母に言づけてエプロンを脱ぎ、パン屋の前に停められている馬車に乗り込んだ。御者台には相変わらずマルセルが座っている。
「どこに行くんですか?」
滑るように馬車が走り出すと、サーラは訊ねた。
ウォレスはちょっといたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「まずは着替えが先だ」
「……着替え」
サーラは自分の格好を見下ろした。
今日は手持ちの中で、ちょっといいワンピースを着ていた。朝から店番をしていたのでパンの匂いがしみついているのは難点だが、それほど悪くない服だと思う。
(わざわざ着替えるなんて、どこに連れて行く気?)
ウォレスもいつもよりラフな格好をしているので、格式ばったところへ連れて行かれるわけではなかろう。
しかしウォレスのことだ、何か企んでいるような気がして警戒してしまう。
ウォレスが使っている東の一番通りにある邸に到着すると、そこにはベレニスが待ち構えていた。
「お待ちしておりました。サーラさん」
ベレニスがきゅっと口端を持ち上げた綺麗な笑みを浮かべる。
侍女見習いという名目上の立場から解放されて、ベレニスのサーラの呼び方は「サーラさん」に戻った。
ベレニスは伯爵夫人であるし、年上でもあるので、別に「サーラ」のままでもよかったし、むしろそちらの方が落ち着くのだが、真面目な彼女には彼女なりのルールがあるらしい。
「下で待っている」
そう言ってウォレスがダイニングへ向かうと、サーラはベレニスに急かされるように二階に上がった。
一つの部屋に押し込まれると、そこにいたのは三人のメイドである。
にっこり笑って、手をわきわきさせているメイドたちにサーラの顔が引きつった。
「さあ、お時間が二時間しかございません! 急ぎますよ」
(二時間⁉)
いやむしろ二時間もかけて何をする気だと慌てたサーラがまず連れて行かれたのは、バスルームである。
いつぞやのパーティーの日を思い出して「どういうこと⁉」とパニックになるサーラは、あれよあれよとワンピースをはぎ取られて猫足のバスタブに突っ込まれた。
二人がかりで髪と体が洗われていく。
スズランの香りの甘いシャボンの香りに、ちょっとだけうとうとしそうになったところでバスタイムは終わり、手早くバスローブが着せられると、バスルームから急かされるように追い出された。
ソファに座ると、香りのいいハーブティーが出てくる。
入浴で喉が渇いていたのでありがたくお茶を飲ませていただいている間に、メイドが髪をタオルで丁寧に乾かして、シャボンと同じスズランの香りのするオイルを髪につけて梳る。
ティル伯爵領から帰ってきて染め直したばかりなので、染粉のせいでごわついていた赤茶色の髪が艶々になっていく気配がした。
髪が渇いてつやっつやになったころ、ベレニスともう一人のメイドが、三着もの可愛らしいワンピースを持って登場した。
ドレスでなかったことにホッと胸をなでおろしたものの、持って来られたワンピースも高そうだ。
(なんで三着もワンピースがあるのかは……知りたくない)
きっと誰かの借りものだそうに違いないと自分に言い聞かせていると、ベレニスが三着のワンピースを見ながら「どれにしましょうか」と微笑む。
「以前測ったものを参考に作らせましたから、サイズは大丈夫だと思いますけど」
いつの間にサイズを測ったんだというツッコミはしない。
そういえば、前回ドレスを着せられた時に、サイズ直しのためだとあれこれ測られたような気がしたからだ。
(って、作らせたってことはやっぱり……)
あの三着のワンピースはサーラのもので間違いないのだろう。
ウォレスは一体何をしているのだ。
「今年の流行はこちらの濃い紫なんですが、濃い色よりも淡い色の方がお似合いですよね」
サーラが何も言わないでいる間に、ベレニスが三着の候補の中から紫のワンピースを外した。
残るは淡いブルーのワンピースと、クリーム色のワンピースである。
「前のドレスは青でしたから、今日はクリームにしましょう。残りはまた今度」
こうして、サーラが何の自己主張もしないままにワンピースが決定した。
(また今度って、今度着る機会があるみたいな言い方……)
ウォレスとサーラの関係は、何でもない。
いや、ウォレスの言葉を借りるなら友人関係だ。
その関係性が、もしかしたら今日変わってしまうかもしれないという漠然とした予感はあるが、まだ何も変化していない……はずである。
それなのにベレニスは、まるで次があるみたいな言い方をする。
サーラとしては、もちろん反応に困った。
困惑している間にバスローブをはぎ取られ、ワンピースを着せられる。
秋物なので少し生地が厚めだ。そしてとても肌触りがいい。
デザインはウエストを締めないAラインで、丈は膝が隠れるくらいだ。
靴もストッキングもすべて用意されてある。
着替えが終わると、化粧をすると言われて化粧台の前に座らされた。
髪はサイドを編み込んでハーフアップにされ、ドレスに合わせたクリーム色のリボンでとめられる。
前髪は横に流し、落ちてこないように軽くワックスで固定された。
パーティーのときと違って化粧は薄めだ。
香油やシャボンの香りがするので香水はしない。
準備が整うと、ウォレスが待っているダイニングに降りた。
ウォレスはサーラの頭のてっぺんから足の先まで見た後で、とろけるような笑みを浮かべる。
頬に、熱がたまるのがわかった。
「似合っている。……それじゃあ、行こうか」
立ち上がって、エスコートをするように手を差し出されたので、一瞬ばかり迷ったのち、その手を取る。
玄関前には馬車が待機してあって、マルセルはすでに御者台の上だった。
「最初は食事だ。レストランを予約してある。心配しなくても、緊張するようなレストランじゃないよ。個室だからくつろげるし」
個室と言うだけで緊張するのだが、ウォレスはわかっているのだろうか。
ウォレスに掴まれた手が熱い。
彼がこちらを見つめる青銀色の瞳がいつもより甘く感じるのは、きっと気のせいではないだろう……。
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