精霊の祟り 1
「……おい、なんか妙なものが混じっているんだが」
第二王子オクタヴィアンに与えられている城の執務室。
オクタヴィアン――ウォレスは、決済が必要な書類の中に紛れ込んでいた一枚の紙をつまみ上げ、目の前に掲げると、扉の内側で警護をしているマルセルに向かってぴらぴらと振ってみせた。
すると、お茶の用意をしていたブノアがくすりと笑って、それについて説明してくれる。
「そちらは、セザール殿下が持って来られましたよ」
「兄上が? ……嫌がらせか?」
「まさか。ご自分のところに来て困っていたんだそうです。確かその次に殿下からのお手紙が」
ウォレスはひらひらと揺らしていた紙を無造作に背後に放り投げると、積みあがっている紙の束から次の紙を手に取った。
そこにはセザールが自ら書いたと思われる、綺麗だが少しだけ丸みのある文字が羅列してある手紙があった。
「ええっと……?」
手紙を読んでいたウォレスの表情がどんどん険しいものに変わっていく。
手紙には、こうあった。
オクタヴィアンへ
すまないんだけど、この不可解な事件の嘆願書の解決をお願いするよ。
僕も変な内容だなとは思うんだけど、伯爵ったらそれを見てから夜も寝られなくなって、どんどんやつれてきているみたいなんだよね。
母上とその伯爵夫人が友だちでね、僕のところに何とかするようにって持って来られたんだけど、ほら、僕、明日から新婚旅行で十日ほど不在でしょ?
十日も待たせるのは可哀そうだし……、僕よりオクタヴィアンの方が頭がいいからねえ。
じゃあ、よろしくね!
兄より
「…………」
ちなみに手紙に書かれている日付は昨日にものになっていた。言わずもがな、セザールは今朝、妃のレナエルとともに新婚旅行に出かけたばかりである。
してやられた、とウォレスは片手で目の上を覆った。
「ブノア、知っていたのか?」
「私も内容を見たのはさっきですよ。昨日の夜に受け取ったんですが、中身は明日確認するようにと釘を刺されてしまいまして……」
「兄上め!」
セザールは昔からちゃっかりしたところがあるし、面倒ごとを押し付けられるのもこれがはじめてではないが、文句を言えないタイミングでの依頼に悪意を感じる。
今頃くすくすと楽しげに笑っているのが目に見えるようだ。
舌打ちしたくなるのを我慢して、ウォレスは一度立ち上がると、背後に放り投げた紙を拾って着席しなおす。
「このティル伯爵は頭がおかしいんじゃないのか?」
嘆願書を作成したのはティル伯爵夫人のようだが、内容を読むに、夢と現実を間違えたのではないかと思うようなことが書かれていた。
曰く――
今から三週間ほど前の夏の終わりのこと。
シーズンオフのため夫人を連れて領地に帰っていたティル伯爵は、領地内にある森に向かったそうだ。
かねてからその森を切り開き、新しい街を作ろうと考えていたティル伯爵は、現場の視察に向かったのである。
と言うのも、そのあたりの村に住む住人が、この森は精霊が住む森で、切り開けば精霊の怒りに触れるのだと迷信めいたことを言って、開拓に反対しているという。
そのせいでなかなか開拓に着手できず、伯爵は自ら現場に赴き、村人に精霊はいないと説くことにしたのだそうだ。
村人の意思を無視して強引に開拓もできるが、ティル伯爵は人道的な人物で有名だ。権力で抑えつけようとはせず、言葉で解くことを選んだのだろう。それは理解できる。
けれど、村人はやはり反対し、その場にいた村長が精霊がいる証拠を見せると言って、伯爵を連れて森の奥にある沼池に向かった。
森の奥の沼に何があるのかと伯爵は思ったそうだが、村長がここに精霊が住んでいると言った直後、沼池から青い炎が立ったらしい。
精霊が怒っている。
村長からそう言われたティル伯爵は、それ以来、精霊の祟りを恐れて夜もうなされるようになったそうだ。
「何とも眉唾な話だ……」
「とはいえ、実際に炎を見たからティル伯爵もやつれてしまわれたのではないですか?」
「そういうが、普通に考えて、沼池が燃えるか?」
「まあ、確かに……」
ブノアが苦い笑みを浮かべる。
「けれど、このままにもできないでしょう?」
「それはそうだが……」
ティル伯爵が開拓しようとしている森には、大きな道も通す予定だ。
ティル伯爵領のその森に街を作り、道を通すと、地方と王都を往復する際の利便性が上がる。国としてもメリットがあるので、補助金を出すことも決定していたはずだ。
それなのにいつまでも着手できない状況が続いているのは困る。用意している補助金がずっと宙に浮いたままなのは何かと都合が悪い。
(とはいえ、精霊の祟りなんて、どうやって解決しろと? ……くそ、兄上め。これ、絶対自分が面倒だっただけじゃないか!)
ティル伯爵領は、王都のすぐ東隣だ。
領地は長細い三日月の形をしている。
馬車で半日もあれば到着するので、現地に行って調べることは可能だが、行って解決できなかったら大恥もいいところだ。
しかし、こちらに回された以上、無視することもできない。
唸っていると、ブノアが執務室の棚の中から、見覚えのある花柄のものを取り出しながらにこりと笑った。
「サーラさんを頼ってはいかがでしょう? 聡明なあの方なら、殿下とは違う視点で物事を見て、解決の糸口をくださるのでは? 何、一週間や十日くらいなら、私はちっとも構いませんよ」
綺麗にたたんであった花柄のものを開けば、姿を現したのはエプロンである。
扉の内側に立っていたマルセルが、額を抑えて首を横に振っている。
ウォレスは、何とも言えない顔で笑った。
「……ブノア、最近、パン屋の店番にはまってきているだろう?」
どうやらウォレスは、生真面目な紳士を妙な道に引きずり込んでしまったようだ。
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