空き家の中の幽霊 1
晴れやかな顔でウォレスがパン屋ポルポルを訪れたのは、サーラが偽の銀貨を見つけて八日後のことだった。
「犯人は捕らえられた。もう大丈夫だ」
その犯人がどこでどのように捕らえられたのかについては、別に聞かない。ただ、無事に犯人が捕縛されたと聞いて、サーラはホッと胸をなでおろすだけだ。
犯人が捕縛されたので、市場に出回っている偽の銀貨を回収すべく、すでに国が動き出しているらしい。
市民警察も駆り出されるようなので、シャルが忙しさで目を回すようなことにならないといい。
「補償についてはまだ決定はしていないが、できれば何かしらの補償ができるようにしたいと思っているよ」
「そうですか。……ありがとうございます」
ウォレスは一応身分を隠しているつもりのようだし、サーラもなんとなく上級貴族だろうと予測を立てているだけで詳しいことは知らないので、余計なことは言わない。
けれども、やはり礼は言うべきだろう。ポルポルに被害はなかったが、リジーのところのパレットはそれなりの被害を被っている。
サーラが礼を言うと思っていなかったのか、ウォレスがパチパチと目をしばたたいて、それからとろけるような笑みを浮かべた。
無駄に顔のいい男の極上の笑みは破壊力満点だが、リジーと違ってサーラは面食いでも何でもないのでただ受け流す。
すると、今度はウォレスの口がへの字に曲がった。
(まるで百面相ね)
笑ったと思えば不機嫌そうになる。いったい何がしたいのか。
むすっとしていたウォレスは、小さく咳ばらいを一つすると、「ところで」と話を変えた。
「西の二番通りに、宝石店ができたのは知っているか?」
「いえ、知りませんが」
宝石なんて高いものには興味がない。
アドルフやシャルが、年頃なのだから、アクセサリーの一つや二つ、と言い出したことはあるけれど丁重にお断りした。
貴族が使うような金貨が羽ばたいていきそうなほど高いものではないにせよ、銀貨が何枚……下手をすれば何十枚も飛ぶようなものは必要ない。
第一つけていくところもないと言えば、アドルフとシャルはちょっと悲しそうな顔をしたけれど、使い道のないものを買おうとは思わないのだ。
「貴族街の有名店で働いていたデザイナーの一人が独立したそうなんだ。なかなかセンスのいいものを取り揃えているらしい。どうだ、今度一緒に行かないか?」
「行ったところで買うお金もありませんし、つけていくところもないのでお断りします」
「贋金の件では世話になったから、その礼もかねて私がプレゼントしてあげるよ」
「いえ、そのような高価なものを買っていただくわけにはいきません」
「大丈夫だ、それほど高くない」
金貨を無造作にポケットに入れて歩くような金持ちの基準で物を言わないでほしい。
サーラははあ、と息を吐き出した。
「買うならリジーに買ってあげてください。喜びますから。わたしには必要ありません」
「それは、つけていくところがないからか」
「そうです」
「ならばつけていくところも私が用意しよう」
(いや、意味がわからないから)
どうやってもサーラにアクセサリーを買い与えたいようだが、そんなことをしてこの男に何のメリットがあるだろう。
(もしかして、今回の件で貸しを作りたくないとか?)
だが、貸しと言うほどのことをした覚えはない。ただ、客から受け取った銀貨に違和感があるのに気がついただけだ。
「つけていく場所も必要ありません」
「……普通の女性は、パーティーが好きだろう?」
「普通がそうだと言うのなら、わたしは普通ではないのかもしれませんね」
固辞する姿勢を崩さないでいると、ウォレスがむっと眉を寄せる。
「食事も嫌、アクセサリーも嫌。だったら君は、何だったらいいんだ」
「何の話ですか?」
「私は女性にもてる方だ」
「自慢ですか?」
「違う!」
ウォレスはカウンターに手をついて、ずいとサーラの方に顔を近づけた。
近づいた分サーラがのけぞって距離を取ると、ちょっと傷ついたような顔をする。
「何故君は私に興味を示さない」
(ははーん? つまり、プライドの問題ってことかしらね)
サーラの反応は、ウォレスの矜持をいたく傷つけたらしい。
サーラはわずかに視線を落とすと、素早く考えを巡らせた。
この場でウォレスの機嫌を損ねることなく納得させるにはどのような言い回しがいいだろう。
「例えばですが……」
「うん?」
「女神様が目の前にいるとします。ヴォワトール国は女神信仰ではありませんが、そのあたりは目をつむってください」
「……うん?」
「女神様が天上から降臨されて、目の前にいらっしゃるとします。手を伸ばせば触れることができますし、話をすることもできます」
「何が言いたい?」
いちいち入ってくる合いの手が面倒くさいなと思いつつ、サーラは続ける。
「女神様はウォレス様にこうおっしゃいます。あなたを神の国の食事に招待しましょう。……ウォレス様はどうしますか?」
「それはたぶん……とても困惑するな」
「困るでしょう?」
「ああ」
「それと同じです」
「……は?」
まだわかっていないようなので、サーラはそっと息を吐いた。
「ウォレス様がどこの誰かは存じませんし、知りたいとも思いません。でも、少なくともウォレス様はわたしたちよりもずっとお金持ちで、贋金の事件についても調査を命令できるほどの権力をお持ちでしょう。わたしたち平民からすれば、神様と同じようなものだと言うことです」
「私は人間だ」
「そうであっても、わたしたち平民の命など、あなたにとっては塵や芥と同じだと言うことです」
「私が、そのような非道なことをする人間だと?」
「そうは言っておりませんが、そこには明確な差があると言うことです。また、人は神の光に近づきすぎるとこの身が燃え尽きてしまうとも言います。眩しい光にはあまり近づきたくないと、わが身が可愛い人間は、そう思うでしょう」
「…………私は……」
わかっている。高い身分を持つ彼が、サーラやリジーと気さくに話をする時点で、ウォレスは無駄に権力を振りかざす人間ではないと言うことは。
しかし、ウォレスがそうでも周囲が同じだと言い切れない。
マルセルも、以前あったブノアも善人そうだ。彼らもまた、ウォレスに近い考えを持つ人であろう。
けれども、他はどうだろう。
まだ見ぬウォレスの周囲にいる人間が、果たして全員同じ考えを持っているだろうか。
答えは――否だ。
ウォレスはおそらく高位の貴族だ。
サーラは多くの貴族が利己的で傲慢で、権力にものを言わせて人を抑えつけることを何とも思わないような人間であると知っている。
何か否定の言葉を述べようと口を開きかけたウォレスが、そのまま何も言わずに口を閉じる。
サーラの言わんとすることと、そしてそれを否定することはできないことを、彼は理解しているのだと思った。
しばらく黙り込んだ彼は、やがて力なく言った。
「私は……、友人一人守れないほど、非力ではないつもりだよ」
ウォレスは平民のサーラを、まだ友人だと思っているのかと、サーラはちょっとおかしくなった。
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