第89話

 俺もゴブじろうも右往左往するだけで何の役にも立たなかったが、ゴブ美ちゃんは無事元気な男の子を産んだ。

 俺は大きな葉っぱを刻んで作った鯉のぼりを洞窟の上に飾った。どうか子供がすくすくと育ちますように。


   †


 月日が、過ぎて行く。


 女の子剣士から取り上げた剣は色々と役に立った。大振りだが鍛鉄の刃物だ、切れ味も石器とは全く違う。

 俺は作業台を作ってその上に剣を固定した。ここに切りたい物を置いて滑らせる事で、たくさんの物が素早く、きれいに切れるのだ。鋼鉄の剣は戦いの道具ではなく生活の為の道具になった。


「ああっ! 立ったぞ、ゴブのすけが立ったぞ!」


 ゴブリンの子供は人間の子供よりずっと成長が早かった。生まれて一か月もするとはいはいを始め、二か月もするとよろよろと立ち上がった。


 いつかの恐竜はまだ森の中を徘徊していて、時々俺たちの沼地の辺りにも現れた。俺たちは無理に戦ったりせず、洞窟の中に避難してやり過ごした。


 辺りは次第に暑くなって行った。どうやら夏が来るらしい。俺がやって来たこの異世界には、やはり春夏秋冬があったのだ。


「あちーな今日は……水浴びが出来る場所があればいいのにな」


 洞窟の周りには沼地が広がっていて、沼の水面はほとんど異臭のする緑色の藻で覆われている。

 沼の底がどうなっているかなんて全く解らないし、この沼に入りたいなんて思う人間は居るまい……俺がそんな事を考えながら、朝に網を入れた場所へ歩いて行くと。なんと。二人の初めて見るゴブリンが沼の中に踏み込み、俺が入れた網の片端を持ち上げ不思議そうに見ているではないか。


「ベベッ!?」


 やがてその片方が俺の接近に気づき、慌てて岸に上がろうとする。しかしより慌てたもう片方が、


「バゥア!」


 入れていた網に足を引っ掛け、沼の中で転倒してしまった。


「バビブブ! バビブブ! バブベブ!」


 俺はそう叫びながら急いで駆け寄り、沼に片足を突っ込んでそいつを引っ張り出してやる。沼の底の泥は柔らかいし、転倒したら結構危険なのだ。


   †


 二人は俺が片言のゴブリン語を話す事にとても驚き、俺の招きに応じて素直に洞窟までついて来てくれた。

 ゴブじろうも二人を見て少し驚いた。そうだといいなとは思っていたのだが、彼らは知り合い同士だった。

 この二人は兄妹で、沼で転んだ方が妹、もう片方が兄だという。若い二人は以前の住処を人間に追われ、森を放浪し、ゴブじろう先輩を頼って近くまで来たらしい。ゴブじろうがこの洞窟に引っ越していたとは知らなかったそうだ。


「それは大変だったなぁ。お前らもここに住みなよ、歓迎するぞ! 名前はゴブのりとゴブねでいいか?」


 ゴブのりは濁った沼も恐れない勇敢な漁民で、ゴブねは食べられる植物とその調理法に詳しかった。二人とも気が優しく、ゴブのすけの事もとても可愛がってくれる。

 嬉しいなあ。俺の家に家族が増えて行く。


   †


 洞窟の上には物見台も作った。これで森の中を恐竜が歩いていたら、早めに見つける事が出来る。

 小石や藁を使って泥水を濾過する装置も作った。まあ土器の底に穴を開けただけの物だけどな。ここに沼の水を汲んで流すのだ、飲み水には出来ないが洗濯や水浴びには使える。

 小さな菜園も出来た。ゴブリンたちが植えているのは食べられる草だけかと思いきや、見て楽しむ為の花なども植えているらしい。


 仲間が増える事で、俺の身に増えたものが一つある。暇だ。最初はぎりぎりだった生活に、ゆとりが増えた。

 俺は異世界にもあった竹のような材料を切って束ね、蔦や蛇皮で巻き、竹刀を作った。まあ木刀も作り直してあったんだけど、軽い方が気持ち良く振れるからね。

 素振りをしたり、森のへりを散歩したり。俺の異世界生活は順調に行っている。


 人間社会での生活に全く未練がないかっていうと、そんな事はない。

 ゴブリン達はとても仲良くしてくれるが、やはり同じ種族同士で笑いあっている彼らを見ていると、羨ましいなと思ってしまう。


 あの時の女の子が戻って来る事はなかった。はあ。凄い美少女だったなあの子。

 女の子としては背が高く、切れ長のきりりと引き締まった大きな目が印象的な可愛い子だった。剣士をやるには少し腰が細すぎる気もしたが、立ち姿はまあまあ様になっていた。

 革の胸甲に隠れていたけど、結構胸も大きかったなあ。長い金髪は絹のようになめらかで、あの子が動くたびに、ポニーテールがひらひらと揺れて……


 だけど俺はそんなあの子を木刀で何度も打ち据え、関節技を掛けて泣かせ、故郷の人々が持たせてくれたという大事な剣まで取り上げて追い払ってしまった。


「面! 面! 面! 面! 面! 面……やぁぁ、めェェッ!」


 俺は迷いを振り払い、竹刀で素振りを繰り返す。ちくしょう。消えろ煩悩、なくなれ未練。俺には仲間と洞窟だけあればいいんだ。


   †


 夏も盛りになると、沼はとても騒がしくなった。昼にはカエルのような生き物が、夜には虫が、そこらじゅうで大合唱しやがる。

 わんぱく盛りとなったゴブのすけは、よくそんな虫や何かを捕まえて来る。


「どうしたゴブのすけ? おう、これはでかいカエルだなあ。お前が捕まえた? すごいなゴブのすけ。あははは」

「ゴブノスケ、スゴイ。アハハ」

「……えっ? お前、今なんて」


―― ポクッ、ポクッ、ポクッ、ポクッ


 俺が人間の言葉のようなものを発したゴブのすけに驚いていたその時。見張り台で誰かが木の板を叩いた。恐竜が来たという知らせである。


「ゴブのすけ、こっちにおいで」


 あの野郎はまだ人間やゴブリンを食う事を諦めていなかった。恐らく、以前にも何度か食って味をしめているのだと思う。

 だがこっちだって、いつまでもやられっぱなしだと思うなよ? ゴブのすけを洞窟の奥に避難させた俺は、よく磨いた石の穂先を持つ槍を手に、外に飛び出す。


「行くぞゴブじろう、ゴブのり! ゴブ美ちゃん、ゴブねちゃんも準備はいいか? 俺が奴を誘導して来るからな」

「ボボバビ!」「ビボブベベ、ボボバビ!」


 普段何を食っているのか知らないが、恐竜野郎は春に初めて見た時より肥え太っているように見えた。暖かくなって餌が増えるとそうなるのか。

 俺は奴に見えるように広いところに飛び出し、踊ってみせる。


「ほらほら、こっちだ!」


 普段は洞窟の中に逃げ込めば勝ちだが、今日は奴を罠にかけたい。しかし巨大な敵を誘導するというのはなかなか危険の伴う事だった。


「ヒエッ、ヒエエッ! あぶねっ!」


 何度か奴の鼻に体をかすめられそうになりながらも、俺は奴を、仲間の待つ窪地に誘い出す事が出来た。仕掛けを飛び越えた俺は低い岩山によじのぼる、恐竜野郎は背後に迫って来て……


―― ズザザザザザザァァ!!


「ギャグェエエエ!?」


 用意してあった大きな落とし穴に落ちた! さらに!


「ベイ!!」「ボエ!」


 ゴブ美とゴブねが蔦を引くと、落とし穴に向けてセットされていた投石器がうなり、宙を飛んだ10kgぐらいの石が恐竜の背中にヒットする!


「アオオオ!」「オアー!」「うりゃああ!」


 そしてゴブじろうが、ゴブのりが、最後に俺が、奴の背中に石の槍を突き立てる! それから、


「逃げろ、逃げろー! 洞窟に戻れ!」


 俺にはこんな大きな生き物を狩った経験はないが、多分これが正解だと思う。手傷を負った猛獣の近くに居てはいけない……俺たちは洞窟に逃げ込み、中から観察を続けた。

 落とし穴はたいして深く掘れてないし、奴はすぐにでも出て来るだろう。その後は? 弱ってヨロヨロ歩いているようなら追い掛けて行って攻撃して倒すか、どこかで力尽きるのを待つか……

 しかし。


「アギャギエエエ! ギエエエエ!」


 落とし穴から這い出して来た奴は、空を向いて元気に吠えると、血走った目で辺りを見回し……森の方へと駆けて行ってしまった。


「ああー。駄目かあー」

「ボベ……」


 俺たちは互いに顔を見合わせ肩をすくめる。恐竜狩りは失敗に終わった。

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