第1話

 ミストルティン公爵家の六男に生まれた僕、クローゼには不思議な記憶があった。僕の前世はニホンという国で暮らしていたサラリーマンというジョブの人間だったという。

 ただ、その事は僕の人生にとってあまり関係はなかった。僕には五人の異母兄が居て皆とても優秀、そして僕の母は平民の出の側室、つまるところミストルティン公爵家にとって僕は用なしの人間なのである。

 兄達には丁重にかしずいている屋敷の使用人たちも、僕に対してはぞんざいな扱いをする。


「お帰りなさいぼっちゃま、おやつは台所の棚にありますから勝手に食べて下さい」


 そんな僕でも一応は屋敷の片隅で、学問と武芸に明け暮れる貴族らしい生活をさせてもらっていた……13歳になり、聖別の儀式を受けるまでは。


「クローゼ・ミストルティン……神が貴方に授けられたスキルは『浄水』です」


   †



「前代未聞だッ……高貴なるミストルティン家に連なる者のスキルが穢れた物を扱う力だと? 有り得ぬ!」


 ミストルティン家の当主、父エーリヒ公爵はカンカンだった。


「スキルなどどうでもいいではありませんか。こいつは私の騎士団が引き取ります、もちろんミストルティン家の騎士などではなく、一介の二等兵としてな! クローゼ。俺がお前を、叩き上げの兵士にしてやろう!」


 一番上の兄、クラウスはそう言って凄みのある笑みを浮かべる。クラウスのスキルは『軍神』だ。


「やめなさい。クローゼは体も小さく根性もない、脱走を企て恥を晒すのが落ちだ。それより私の聖学院に入るといい。落ちこぼれを集めて再教育する機関です、どうしようもない不良少年を宣教師に変えた事もある」


 二番目の兄アリウスは、僕に横顔を向けたまま冷たく言った。アリウスのスキルは『聖賢』である。


「貴女の弟は下水道局にでも勤めたらいいと言われたわ! 酷いわこんなの!」


 姉たちも文句を言っている。僕のスキルが『浄水』だった事は社交界でも噂になっているらしい。半分平民の僕は顔を出した事がないので、何が起きているのか知らないのだが。

 やがて父は、僕に宣告した。


「このままでは他の三公家からも嘲笑われる。クローゼ。もはやお前を王都に置いておく事は出来ぬ。お前には我がミストルティン家の飛び領地、ルーダン城の領主となってもらう」


   †


 こうして僕は若干13歳にして一国一城の主となった……なんていいもんじゃない。はっきり言うと、僕はミストルティン家から追放されたのだ。


 ルーダン城は野を越え山を越え砂漠を越えた先にある、王国南端の僻地である。住民のほとんどが野蛮な獣人で、建物は竹と藁で出来ているらしい。元々そこを領有していた貴族が没落した時に、ミストルティン家が仕方なく預かったものだと聞く。

 父は昔、二度、城に城代を送った。しかし二人とも三か月ともたず逃亡してしまった。それから今まで三年の間、父はルーダン城を放置していた。

 はあ。それで今度は僕の番なのか。前の二人も仕事で失敗したとかスキャンダルを起こしたとか、そんな人だったんだろうな。

 自分で言うのも何だが、僕は年のわりによく言えば達観した、悪く言えば老け込んだ少年だと思う。前世の記憶のせいだろうか。


 せめてもの情けか、僕の旅には一人だけお供がつけられていた。いつも僕をぞんざいに扱うメイドのシルレインである。


「ぼっちゃま、もう少し速く歩いてください。このままでは夜までに宿場に着きませんし、野原にぼっちゃまを一人で置き去りにするのは少し気がとがめます」

「少しは気にしてくれるんだ……でもぼっちゃまはやめてくれない? 僕、一応城主になるんだよ」

「かしこまりました。クローゼさま、とっとと御歩き下さい」

「いいよ背中は押さなくて! ちゃんと急ぐから!」


 やがて旅路が王都から遠く離れた山道に差し掛かると、山賊が出るような事もあった。


「ヒヒヒ、金持ちのガキが一人で何してんだあ?」

「いい女を連れてるじゃねーか、そいつをこっちに寄越しな!」


 これも4、5人までならシルレインが鋼鉄製の三節箒でたちまちぶちのめしてくれるのだが、10人を超えているとあまり分が良くないらしい。


「先に逃げて下さい、クローゼさま」

「シルレインを置いていけないよ! 一緒に走って!」

「逃げながら一人ずつ潰すと申し上げているのです、柄にもない男気など見せずとっととお逃げ下さい」


 山の向こうには砂漠が広がっていた。麓の村では、南に行きたいならキャラバンと一緒に行くべきだと勧められた。ただし、最近はそのキャラバンがあまりそちらに向かわないらしい。


「ルーダン城のあたり? あそこは行っても無駄だ、何もねえからな。どうしても行きたいってんなら、チャーター料を払ってもらうぜ」

「そんな金はございません、貧しいクローゼさま」

「わかってるよ! いいよ、歩いて行くから!」


 僕は野営用の装備とラクダを一頭だけ買い、シルレインに向き直る。


「ここまでありがとう、シルレイン。麓の村まで送ったら帰って来るようにって、父上に言われているんだろ?」

「そうですね。ですがクローゼさま、本当にこの砂漠を越えて行かれるのですか? 行った事にして来た道を戻り、どこかの村の百姓家に上がり込み跡取り婿にでも収まるのが軟弱者のクローゼさまにはお似合いの人生かと存じますが」

「僕絶対行くから! じゃあね」


 しかしシルレインはついて来た。僕が野垂れ死にするのを見届けてから帰るとでも言うのか。それではシルレインも、父の命令に背いた事になると思うのだが。


   †


 蜃気楼の揺れる砂漠を、僕らは歩いて行く……真昼の一番暑い時間は日陰でやり過ごし、凍えるほど寒い真夜中は、やはりテントでやり過ごす。


 そんな旅の途中で、僕は水たまりの前にうずくまっている男を見つけた。


「大丈夫ですか、旅の方」

「あ、ああ……足を痛めてね、回復を待っている間に飲み水も尽きて……た、助けてはくれないか?」


 砂漠の水たまりはとても小さなものだった。もう数日もすれば干上がるだろう。その水はひどく濁っていてとても飲めたものではない、男も飲むのではなく、体を湿らせて気をまぎらわせるのに使っていたという。


「空の水袋を貸して下さい」

「それを、どうするんだ……?」


 僕は空の袋にその泥水を汲み、念力を送る。袋の中の水は泡立ち始め、やがて砂粒や塩、その他の不純物が、泡と共に外へ飛び出して行く。


「おお……」


 2分もすると、袋の中の水は一点の曇りもなく透き通る真水に変わっていた。これが僕のスキル『浄水』の力だ。


「飲んで下さい、もう一杯作りますから」

「ありがとう……ありがとう! 貴方は命の恩人だ!」


 男は涙を流して感謝してくれたが、僕の『浄水』の力はこの程度だ。水袋一杯分の泥水を清めるのにも2分かかるし、出来るのは水だ、聖水でも薬でもないただの水なのだ。藻に覆われた泥沼を美しい湖に変えるような、そんな力はない。


 もう大丈夫だと言って立ち上がった男は、北へ向かって行った。


「クローゼさま。もしかして貴方は、私が貴方の起こした奇跡に感動して好感度がますます高まったのではないかとお考えなのではありませんか?」

「僕、何も言ってませんけど……行こうシルレイン、僕が足を痛めないうちに」


 僕らは再び南へ、ルーダン城へと向かって行く。

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