第5話 前途多難


 私は気が小さい。

 昔からビクビクちゃんとか呼ばれてたし、これはもう虚弱体質とは関係ない、生まれ持った性格だと思う。

 特に他人の反応を過剰に気にするところがある。

 人に嫌われるのはすごく嫌だし、怒った顔をされるのは怖い。ため息をつかれたらビクッとなる。

 そんな私が高慢で男好きな女性として振る舞わなければならない。

 つらいけど、やらないわけにはいかない。

 だってほら、めちゃくちゃ美形だけどめちゃくちゃ怖い大神官ルシアンが、今も丸いテーブルの向こうから私を監視するように見つめているから。


 オリヴィアが自殺を図って仮死状態とはとてもじゃないけど言えないから、神殿内では「聖女としてより一層母なる女神に近づくため、長い眠りについている」ということになっていたらしい。

 その話に疑念を抱く人もおそらくいただろうなと思う。本当は死んでるんじゃないかとか。

 けど、少なくとも神殿の人々は余計な口出しはできなかったんだろう。この通りルシアンは怖いし。

 そして、目覚めた聖女オリヴィア――私は、長い眠りの副作用として記憶が少し混乱していて力も安定していない、と公表された。

 ただ眠っているだけでなく仮死状態だったことを知っているのは、ルシアンと他の二人の高位神官、そして聖騎士団長だけらしい。

 つまり、私が憑依した日にあの部屋に駆け込んできた四人。

 そして、仮死状態になった原因が自殺であること、私の中身がオリヴィアではないことを知っているのは、ルシアンだけ。

 ルシアン以外と接するときは気をつけよう。首が絞まって死にたくないから。


 それにしても。

 怖い人と二人きりでいることを除けば、幸せな時間だと思う。

 ガラスのない、おそらく庭園を眺めるために作られたこの部屋で、色とりどりに咲く花を眺めながら美味しい朝食を味わえるんだもの。

 優しい風が、花の香りを運んでくる。

 白パンもオムレツもサラダも果物も美味しい。

 健康そのものの体って、なんてありがたいんだろう。

 織江の体は、だんだん固形物を受けつけなくなっていった。死への恐怖を除けば、それが一番つらいことだった。

 だから、こうして普通に食事ができるということがうれしくて仕方がない。

 まだこの体に少し違和感はあるけど、どこにも痛みを感じず自由に動けること、きれいなものをきれいだと感じる余裕があること、食事を楽しめることが本当に幸せ。


「なぜ泣くのですか?」


 そう言われて初めて、自分が泣いていたことに気づく。

 恥ずかしくなって、あわてて頬をぬぐった。


「食事が美味しいし、健康なことがありがたくて。借り物の体ですけど」


「そういえば患っていたのでしたね」


「はい。美味しく感じるのって幸せです」


 そう言う私を見つめるルシアンの表情は複雑だ。

 たぶんまたオリヴィアらしくないと思われているんだろうなあ。

 でも、不快に思っているのとは違う。

 不思議な生き物でも見るような、という感じかな。


「あなたは平民だったのですよね」


「はい、病弱な庶民でした」


「そのわりにはどことなく品があるし、頭も悪くない」


 えっ、品があるなんて生まれて初めて言われた、うれしい!


「一定の教育は受けているようですね。かと思えば幼子のような部分もあり、その顔でそんな感じだとどうも……慣れません」


 嫌がってたもんね、オリヴィアのこと。

 こんなに美人なのに死ぬほど嫌われるって、どれだけ強引に彼に迫っていたのやら。

 そして、そんな人のふりをしなきゃいけない私……。


「頑張って傲慢な感じでいきたいと思います」


「……そうですね。期待しています」


 ふう、と彼がため息をつく。

 ため息をつかれると、条件反射のように悪い意味で心臓がドキッとするからやめてほしい。

 そこで響くノックの音。

 ルシアンが返事をすると、給仕のメイドがサービングカートを押しながら入室した。食後のデザートらしい。

 メイドがテーブルの上に美味しそうなオレンジシャーベットを置いた。

 わぁ、美味しそう。


「ありがとう」


 そう言ってから、しまった、と思う。シャーベットに気を取られて無意識に言ってしまった。

 ございます、はかろうじて飲み込んだものの、メイドは驚いた顔をしていて、ルシアンの目の鋭さは三割増しになっている。

 あわわわわまずい、どうにかしないと!


「……なーんて言うとでも思ったかしら? フフフ。私がメイドにお礼なんて言うわけないじゃない」


 ごまかし方がおかしいと我ながら思う。

 けど、他にどうしようもない。


「は、はい……申し訳……ありません……」


 どう反応していいのかわからない様子のメイドがとりあえず謝る。 

 きっとオリヴィアに何か言われるたびに謝ってきたんだろうなあ。

 うう、ごめんなさいごめんなさい。


「ルシアンとの時間を邪魔しないでくれる? 早く下がってちょうだい」


「はい、失礼いたします」


 メイドは早々に下がっていった。

 二人だけになった空間に、ルシアンの長いため息が響く。


「前途多難ですね」


「私もそう思います」


 ルシアンが、天を仰いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る