第3話 やばい事情


 彼が、私の向かいに座る。

 隣に立っていられるよりも、距離があく分、多少緊張感がましになった。


「さて。取引が成立しましたので、私がわかる限りであなたの状況をお話ししましょう」


「……はい」


 取引。

 私は殺されない上に状況を説明してもらえるというメリット。

 彼は私がなんでもいうことをきくというメリット。

 これを取引と言っていいものかどうか。


「まず、私はルシアンと申します。ここ中央神殿の実質的なトップと思ってください」


「ルシアン、様」


「ルシアンとお呼びください。オリヴィアはそう呼んでいたので」


「は、はい」


 銀髪にアイスブルーの瞳の、聖職者らしきルシアン。

 その情報が記憶のどこかにある気がする。

 けれどそれを思い出す前に、彼が「さて、オリエ」と続けた。


「あなたが気づいたら別人になっていたことについてですが。あなたの魂が何らかの理由でその体に入り込んだと見て間違いないでしょう」


「魂……」


 魂なんて本当にあるんだろうか?

 でも、気づいたら別人になってるなんて、私の魂がこの体に入り込んだというくらいしか考えられない。

 いわゆる憑依っていうやつ? なんでそんなファンタジーな事態に。


「その体は魂がない、死体に近い状態で“保存”されていました。そこにあなたが入り込んだ。理由は私にもわかりません。ただ、元の持ち主とは明らかに違う魂の気配をまとっている。それで私は別人だと気づきました」


「そう、ですか……」


「そしてここからが重要なのですが。その体は聖女オリヴィアのものです」


「聖女って、なんでしょうか……?」


 ゲームや小説だと傷を癒したり結界を維持したりする人だけど、現実はきっとそうじゃないんだよね?

 彼が目を見開く。


「聖女がどういうものか、ご存じない?」


「は、はい。詳しくは……」


 彼が手を口元にあてて考え込む。


「不思議な響きの名前といい、あなたは一体どこから来たのでしょうか」


「私は、日本という国から来ました。ジャパン、とも言います。この体やあなたたちの容姿からすると、ここは日本ではないように思えますけど……」


「ここはアルストリア王国です。ニホンやジャパンという国は聞いたことがありません」


 私もアルストリア王国なんて聞いたことがない。

 自分がなんの苦も無く話していた言語に意識を向けてみると、何語をしゃべっていたのかよくわからない。

 それなのに、スラスラと会話ができるなんて……おかしいよね、明らかに。

 まさか……ライトノベルでよくある異世界転生? ううん、転生じゃないから異世界憑依?

 そんな馬鹿な。異世界ラブストーリーを読みすぎて夢でも見てるのかなあ。

 でも、夢にしては感覚が生々しい。


「あなたはここに来る前は何を? どういう方だったのですか」


「十六歳の、高校生……学生でした。昔から原因不明の病弱で、それが入学後に悪化して、長いこと入院していました。えっと、ずっと治療を受けていたということです」


 不思議そうな顔をされたので、入院という概念はないのかもしれないと思って言い直す。

 ずっと治療を受けていた、か。

 治療だったのか、ただの延命だったのか。


「重い病を患っていたということでしょうか」


「はい。自分の体が日に日に弱って一歩ずつ死に向かっていくのを、ひしひしと感じていました。たぶん、私はもうダメなんだろうなってずっと思ってて……きっと、私は死んだ……のだと……」


 ぽろりと涙がこぼれる。

 はっきり思い出せないけど、私はきっと病院で死んだんだ。

 そして、理由はわからないけど、おそらく異世界のこの体に憑依した。

 自分が死んだ悲しさ、わけもわからず他人になってしまった混乱。

 そんな感情が自分の中でぐちゃぐちゃに混ざって、次々と涙がこぼれ落ちた。


「つまり、亡くなって体から抜け出た魂がその体に入り込んだというわけですね。話を続けても?」


 表情一つ変えずにルシアンが言う。


「あ、はい……どうぞ……」


 このイケメン、めっちゃ冷たい。

 こっちが泣いてても同情どころか動揺の欠片すら見せない。

 いや、優しくなぐさめてもらえるなんて思ってなかったけどさ……涙も引っ込むわ……。


「ひとまず、わかるようでわからないあなたの身の上話は置いておきましょう。聖女とは、リディーア女神教の象徴のような立場で、大神官である私よりも立場が上です」


 立場が上と言いつつオリヴィアと呼び捨てにしてたな、とは思うけど。

 この人も中央神殿とやらのトップなんだよね。二十代半ばくらいだろうに、すごい人なのかな。大神官っていうくらいだし。


「聖騎士の一部や神官は聖力という力を持っています。それに対し、聖女のみが持つ力が神力。その神力を消費して使う魔法を神聖魔法といいます。具体的には、傷を癒したり、祈りを通じて国に神聖な気を満たして魔獣を遠ざけたり、人々に祝福を与えたり、といったことです」


 おおー、なるほど、聖女っぽい。


「聖女がいない時代もあります。国としては絶対にいなければいけない存在というわけでもありません。ただ神殿にとっては違います。ここ五十年も聖女が不在で、神殿の力は弱まっていました。女神教のトップである聖皇は、かつては王に物申せるほどの権力を持っていたといいますが、それも過去の栄光。そんな中、強い力を持つ聖女が現れました。それがオリヴィアです」


 口をはさめないので、とりあえずうなずく。


「若く美しく強い力を持つ聖女の人気は絶大で、神殿への寄付金も増え、貴族たちもこぞって聖女に会いたがりました。国王でさえも、です。聖女が現れてたった三年弱で、神殿は力を強めつつあったのです。そんな中、何が不満だったのかあの女……失礼、聖女オリヴィアは八か月ほど前、毒を飲んで自殺を図り、仮死状態になってしまいました」


 えっ自殺!?

 事情はわからないけど、こんなに美人で健康なのにもったいない!


「仮死状態にある人間の魂は、天へと旅立つことなく辺りを彷徨っているといわれています。神殿には聖女が必要ですから、我々は何度も魂喚たまよばいの儀で彼女の魂を呼び戻そうとしました。ですが結局彼女は戻ることなく……。周囲には聖女は女神に会うために長い眠りについたと説明し、魂が抜け出てしまった聖女の体は魔晶石の中で密かに保存していたのです」


「その体に私が入ってしまった、というわけですね……」


「ええ。魂喚いの儀で間違った魂を入れてしまったわけでもない。本当に突然、です。なぜ聖女の体が他人の魂を受け入れたのか……」


「……」


 とりあえず、事情はわかった。

 というか、思っていたよりも全然やばい事情だった。

 それを全部説明したということは、私もそのやばい事情に巻き込まれるということになる。


「その表情。思っていたよりも頭が悪くないようで幸いです。ここまで詳細に話を聞いたからには、もはや巻き込まれただけの他人でいられないというのはおわかりですね?」


「……はい……」


 彼がにっこりと笑った。



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