百六十九話 恋慕の情
「それで、どうしてエタケはここに居てはいけないのですか?」
「さっきも言ったじゃろ? あの幼女、
「いやいや、冗談が過ぎますよ。俺とエタケは血を分けた兄妹ですよ?」
そんなバカなことがあるわけないと俺が否定すると、盛大に溜息を吐くクズノハ様。
きっとエタケの俺に対する恋慕の気持ちというのは、小さい女の子が「将来パパと結婚する!」といったようなよくある心の成長過程の一幕だと思うが、どうやら彼女の中ではエタケが俺に懸想しているのは確定事項のようだ。
エタケ本人に聞き出さない限り平行線の議論になるので一旦置いておくとしよう。
「もし仮にそうだったとしてそれがここに居てはいけない理由とどう結びつくのでしょうか?」
「強すぎる恋慕の情に妾が影響を受け、せっかくの神となれる
「神化!? ですか? 人化や生物としての進化ではなく?」
思わぬところでとんでもない話が出て来た。
俺が聞き違えたのかと問い直すと間違いなく神化らしい。
「時折、霊獣の中には神の境地へと至ることが出来るものが現れるのです」
「お主がニオノ海で出会った大蜈蚣やセンシャとかいう娘っ子も神の眷属じゃから神化しておる。半分は神のような存在の霊獣じゃぞ? 妾が神化すれば同じような存在となるのじゃ」
「なるほど? というか完全に神様になるんじゃないんですね?」
ヒャク様はともかく、センシャ様も神化していたのか。確かに神々しさを感じたもんな。
神化というのだから完全に神様になるのかと思ったがどうやら少し違うようだ。
「完全な神になるには一度は神の世界へと昇る必要がありますぞ。よほど居心地が良いのか殆どの神は行ったきり戻らないそうですが」
「妾は我が子が生きている限りは現世に留まるつもりじゃ」
神化すると世界を渡るなんて事が出来るのか......。
流石神だな。
いつぞやの霊獣大蜈蚣のヒャク様の話のように、とんでもない規模の話題に俺の頭では着いて行くのがギリギリだ。
まあ、異世界転生もあるのだからそういうこともあるのだろう。
「横道に逸れたが、あの幼女の恋慕の情が強すぎて山と一体化しておる妾にも影響が出るのじゃ。神化には精神を乱さぬことが一番での。自分で言うのもなんじゃが、一度経験してしまったせいか、色恋の甘露を想い出すと心が乱されるのじゃ」
「困ったことに神化の兆しがある内は普段以上に命素を大量に生み出すので心が大きく乱れると逆に妖魔になりやすい危険性もあるのです」
「あ、そうか。妖魔化は感情が限界を超えて乱れることに起因したりもするんでしたね」
憎しみに染められたヒャク様や、実父の敵討ちに成功し恨みから一転して歓喜によって妖魔となったハルアを思い出す。
負の感情でなくとも妖魔となるならば、確かに恋愛感情のようなものでもその危険性はあるのかもしれないな。
だがしかし、そう言われても今のエタケを帰すという訳にはいかなかった。
あの子の心には救いが必要なのだ。
もし本当に俺に対して男女の情を持ってしまっているのだとしたら、今の弱っている彼女の心が誰かに縋りつこうとしているせいだろうと思う。
なんとかクズノハ様を説得し、今日一晩は滞在する許しを得た。
時間はあまりない。すぐさまエタケの居るサイカの部屋へと向かった。
「エタケ。入っても良いかな?」
「......はい。お入りください」
部屋に入るとサイカの腰辺りに抱き着いたままのエタケが居る。
サイカはこれから話す内容を察し、エタケの頭を撫でると彼女から離れ、去り際に俺の肩を叩いて「頼むで」と後を託し部屋から退出した。
寝泊りするだけのあまり大きくない部屋の中で姿勢を正して俺とエタケが向き合って座っている。
蝋燭の明かりに照らされた彼女の顔はつい先程まで泣き腫らしていたのか目元が赤くなっており、頬には涙痕が残っていた。
こちらを見る表情もどこか怯えのようなものが見える。
「エタケ。えっと......聞いても良いかな? その、さっきクズノハ様が言っていたように、俺のことを、んと、異性として慕ってくれているっていうのは本当?」
「......はい。エタケは兄様のことを誰よりもお慕いしております......」
俺がぎこちなく質問すると、エタケはもう逃れることは出来ないのだと諦めたような表情で小さく答える。
しかし彼女の心とは裏腹に、不謹慎ながらそれを聞いた俺の心は高鳴っていた。
妹に情欲を抱いたことは無いし、家族としての愛しか持ってはいないはずだが、異性として好かれていたことを知って単純に嬉しかったのだ。
こう感じてしまったのは前世で殆ど人と、ましてや異性と関わって来なかったせいかもしれない。
「あの、一般的な答えとして不適切かもしれないけど、嬉しいよ。ありがとう」
「えっ......?」
俺がそう答えると、エタケはそんな返答が返ってくるとはまるで想定していなかったように目を見開いて呆然としていた。
「あ、いや、だからって申し訳ないけどエタケの想いに応えられるわけじゃないからね!? ただこんなに可愛い妹に異性としても好かれてるんだって思うと嬉しくて。でも周囲は許してくれないだろうし、エタケが他に好きな人が出来るまでは、密かに想うくらいならいくらでも構わないよ」
「ぇ、は、え......?」
どもりつつも早口で答えた俺の言葉に理解が追い付いていないのか、呆然としたままのエタケ。
許せ妹よ。兄は前世含めて恋愛経験というものが皆無だったんだ。
こういう時どんな返答をすればいいのか、正直分からん。
たとえ相手が八歳児の妹だろうと嬉しいと思ってしまったのだからしょうがない。
それに今の不安定なエタケを突き離すようなことは言えないし。
なので素直に思ったことを話しただけだ。不甲斐ない兄でごめんよ。
「......エタケのこと、気持ち悪くは、無いのですか......?」
「全然? 前世含めてそういう経験が無いから反応に困るだけかな?」
「兄様とエタケは同じ母上から産まれた間柄なんですよ!? こんなのは許されないことです!」
俺とは違い現実の見えているエタケは自身の愛慕が許されざるものだと理解しているようで悲痛な声で叫んだ。
この世界でも近親相姦、特に同母の兄弟姉妹による結婚や恋愛は禁忌とされている。
神々が地上に居た神時代はかなり緩かったようだが、人時代に入ってからは殊更忌避されるようになったからだ。
「あー。うん。確かにそうだね。血が近過ぎると障碍児が産まれやすいし......。でも俺は前世の知識があるせいかそういう話にあんまり抵抗が無いみたいなんだ。前世の古代の歴史では普通に兄弟姉妹婚してる王朝もあったし、有名な神様の夫婦なんかも割と兄弟姉妹だったし? 後はやっぱり漫画とかアニメみたいな創作物の影響が大きいのかも......あっ! だからと言ってサダ姉やエタケをやらしい目で見たことは無いから! って、改めて俺かなりヤバイ奴なんじゃ!?」
好かれていると知ってテンパっていたからか、エタケの前ではいつもなるべくカッコ良い兄を取り繕っていた(自分では)仮面が剥がれ、早口で長々と心の内まで曝け出してしまった。
俺のことを受け入れてくれた妹のことを俺なりに受け入れただけのつもりなのだが。
言動がクソダサ童貞丸出しで転生して以来一番の醜態を晒している気がする。
俺は妹に幻滅されたかもしれないと焦り始めていた。
相変らず口を開けてポカンとしていたエタケだったが、オロオロし始めた俺の姿を見て「プッ」と笑いを吹き出す。
「ふふっ! ふふふふふっ。兄様、おかし過ぎますっ! ふふ、あはははははは! ダメ、安心して笑ったら涙が出て来てしまいました......あれ? うっ、ぐす、兄様、涙が、止まり、ません、うぅ」
笑い始めたかと思うと突然泣き始めてしまったエタケに、俺はどうしたものかと更にオロオロとしてしまった。
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