雪遊びをしている子供たちは、どんな怪異にも気づかない

柴野

雪遊びをしている子供たちは、どんな怪異にも気づかない

「ふーちゃん、雪合戦しよーよ!」

「ゆきちゃん。いいね。やろっ!」


 妹の冬乃ふゆのと従妹の祐希ゆきが雪にダイブしながら話しているのを、私は窓越しに眺めていた。

 二人ともまだ小学校低学年。背だけはだいぶん大きくなったが、こうして見ると無邪気な幼子にしか見えない。


 子供たちは何の悩みもなさそうで羨ましいな……。


 そんな風に思い、はぁとため息を吐く。せっかくの冬休みだというのに部屋で勉強漬けの私の身にもなってほしいものだ。


 私は、親戚ぐるみでとある雪山の別荘にやって来ていた。

 去年の夏に叔父さんが別荘を買い、正月休みに来ないかと誘われて私たち家族も滞在することになった。冬にわざわざ寒い雪山に来るとか正直言って正気じゃないと思うが、今更文句を言っても仕方ない。

 子供たちは楽しんでいるようだけど、高校受験を控えている私はそうもいかない。別荘の自室から外が見えるのが不幸中の幸いだろうか。


「じゃあ行くよっ!」

「よし、かかってこい!」


 手袋を嵌めていない手で雪を握り、冬乃と祐希が雪合戦を始める声が聞こえた。

 コート一枚じゃ外は寒いだろうに、子供は風の子雪の子というがまさにそれだ、なんてつまらないことを考える私。


 はぁ、いけないいけない。そろそろ勉強に戻らないと……。

 そう思って勉強机の上に視線を戻そうとして、しかし、私は視界の端にそれ・・を捉えてしまった。


 それは、髪の長い女だった。


「やったなー!」

「そっちこそー!」


 楽しそうな声を上げる子供たちより奥、雪の降り積もる木々に身を隠すようにして立っているのは、見間違えでも何でもなく、見知らぬ女性だ。

 白装束を纏い、ホラー映画に出て来る貞子のようなざんばら髪のその姿に、私は思わず「ひっ」と悲鳴を漏らす。


 直後、ギョロリとした目が私とばっちりあった気がして背筋がゾクリとした。


「な、ななな何、あれ……」


 声を震わせ、そう呟くのがやっとだった。

 でも、と私はできるだけ冷静に考えようとする。あれは私の単なる幻覚なのではないか?と。


 この山は私有地だ。叔父さんが買い取って、一般人は立ち入り禁止となっている。

 外部者がいるわけがないし、ましてやあんなギョロ目の女などもってのほか。

 なのに、


「――っ!」


 動いた。今確かに、女が動いた。

 木々に身を隠していた女が静かに外に出て来て、妹たちに近づいて行く。少なくともこれはどうやら幻覚じゃないみたいだと、現実を受け止めてしまった私は、もはや声も出せずにガタガタと震えるしかなかった。


「雪合戦飽きちゃったねー。次何する?」

「雪だるま作ろうよ。あたし、おっきいの作りたい!」

「いいね!」


 女がすぐそこまで迫っていることも知らず、子供たちは笑い合っている。

 逃げて。逃げて逃げて逃げて! 心の中で何度も叫ぶが、届かない。


 びゅぅーーと少しだけ開いた窓から強烈な風が吹き込み、部屋の温度が一気に下がるのを感じた。

 そしてその瞬間、空から白いものがチラチラ降り出し、かと思えばあっという間に吹き荒れ始める。それを見て私はようやく理解した。


 ――雪女。


 まさか、と思う。あれはあくまでお話の中の化け物であって、現実にいるわけがない。

 そうは言っても現に目の前にいて、私の方を睨みつけているのだから否定し切れなかった。身体中を得体の知れない恐怖が襲う。

 このまま冬乃たちが襲われたらどうしよう、と私は必死で考えた。こんなところで黙って見ている場合じゃない、今動かなければきっと取り返しのつかないことになる。

 わかってはいるのに、金縛りにあったかのように体は言うことを聞いてくれない。


 そしていよいよ、雪女が子供たちの元へ辿り着いてしまった。

 この時点になってもまだ、冬乃と祐希は気づかない。雪合戦をやめた彼女らは、せっせと雪だるま作りに励んでいた。


「――」


 雪女がぬべーっと音も立てずに子供たちの目の前に立つ。

 しかしそれでも子供たちは雪女を見ない。否、見えていない。雪遊びに夢中すぎるようだった。


「絶対わたしの方が大きい雪だるま作るもん!」

「あたしだって!」


 ついに怒ったのか、雪女が冬乃の襟首をグッと持ち上げた。

 実体のない怪異なのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。そりゃそうか、雪女の話なんかでは人間のお嫁さんになるくらいだし……。


「きゃー、高ーい!」

「ふーちゃん、高い高いしてもらってる間にあたしが勝っちゃうぞー」

「何それずるーい。負けないんだからっ!」


 いや、そんなこと言っている場合じゃないだろう。というか自分の体を持ち上げた人物に対して何も疑問に思わないのか、妹よ。

 そんなツッコミを心の中で入れつつ、先ほどまであんなに怖がっていた私はなんだか馬鹿らしくなってしまった。


 雪女もそれは同じだったのだろう。呆れた様子でそっと冬乃を地面に下ろした。

 ……と、その時。


「うわぁ! 見て見てふーちゃん、あたしの雪だるまの中からおててが生えて来たよー?」


 祐希が突然、とてつもなく物騒なことを言い出した。

 「えっ、なになに?」と言って彼女の方へ駆け寄って行く冬乃。そして彼女らが見たものは。


「本当だ、人のおててがいっぱいだ!」

「すごいでしょー」


 無数の人の手だった。

 ホラー映画に出てきがちのアレだ。私はああいうのが苦手だ。なのにつられて私もそれを見てしまい、心臓が飛び出すかと思った。


 しかもその手、赤い『何か』がねっとりと付着しているのである。

 『何か』が何なのかはもちろん明白だったが考えたくない。考えたらきっと私は気が狂う。


 その手は出来かけの雪だるまの中からびよーんと伸び、祐希の手を掴む。しかし祐希は笑顔で「握手してくれるの? えらいねー」と言っていた。

 しかし謎の手が祐希をどこかへ連れ去る前に横槍が入る。それは私の母親の声だった。


「ふゆー、ゆきー、ご飯できたわよー」


 どうでもいい話だが、別荘での滞在期間中は、うちの母と祐希の母が二人で料理を作ることになっている。

 厨房からの声は外によく聞こえるようになっていて、母の言葉を聞いた二人は「ちぇー」と言いながら、まるで何事もなかったかのように別荘の中へ走り込んで行ってしまった。


 残されたのは、所在無げにあたりを漂う謎の手と呆れ果てている様子の雪女、そして動けないままの私だけだった――。




 ちなみにこの後私は怪異たちの標的となって襲われることになるのだが、それはまた別の話。

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