第30話 お忍びイベント

 蒼壱と華は平民の装いで、賑わう街道の中央にある噴水の側でじっと張っていた。


『お忍びイベントが開始されました』


 と、苛つく程に可愛らしいフォントで表示された文章を思い出す。つまり、今日ここにはこっそりと物見遊山でヒナが訪れるはずで、路地裏に迷い込んで帰り道が分からなくなり、途方に暮れているところを、攻略対象の中で最も好感度が高いキャラ——つまりはヨハンが助けるというイベントが始まるはずだ。


「絶対にその好感度ポイントをアオイが横取りしなきゃ!」


 華はメラメラと闘志を燃やしながら見張っており、あまりの熱さに噴水の水が『ジュッ』と音を発しそうな勢いだ。


「華、少し落ち着いて。燃え尽きちゃうよ?」

「ダメだよ、私ヨハンを護るって決めたんだもん。ヨハンルートはヨハンにとって過酷過ぎるもの。色んな人から命を狙われるだなんて可哀想。絶対にアオイルートに変更させなきゃ!」


 生誕祭から帰った後、蒼壱からヨハンとのやりとりを聞いた華は、落ち込むどころか憤然と鼻息を荒くして誓った。


『ヨハンルートのイベントをことごとくアオイが横取りしてやる!』と。


 通りを歩く人が華と蒼壱をジロジロと見て行く。

 どちらが動いても上手く事が運べるようにと、二人揃ってアオイの装いをして噴水の側に居るので、男二人で何をしているんだと奇異の目に晒されるのは当然だった。


「ねぇ、蒼壱。ここでヒナを待つのは止めて路地裏に移動しない? なんか私達目立ってるかも……」

「そうだね」


 二人がすごすごと噴水の側から路地裏へと隠れる様に移動すると、言い争う声が聞こえてきた。


「なあ、お前本気か!?」

「もう言うな」

「けどよぉ!」


 フードを目深に被った男二人が急ぎ足で道を歩いて来る様子が見える。声や体格からして、恐らくヨハンとフォルカーだろう。


「婚約破棄だなんて、公爵令嬢がそんなレッテルを貼られていいと思ってんのか!?」

「屈辱的思いを味わったのは私の方だ。ハンナ嬢は私が贈ったドレスを着ずに、あろうことか私の生誕祭で弟のミゼンと踊ったのだぞ?」


——げ……。

 と、話を聞きながら蒼壱は顔面蒼白になって華を見た。華は小さく「あちゃ…」と、声を上げ、「そりゃあ確かに凹むよね。ごめん、ヨハン」とため息をついた。


「お前だって『忙しい』だ何だ言って迎えに行ってやらなかったんじゃねぇのかよ。たった一人で彼女が参加するのは屈辱的じゃねぇのか?」

「ハンナ嬢が私を待つはずがない。アオイや公爵夫妻と参加していたのだろう?」

「違うから言ってんじゃねぇか。このわからずやめ!」

「……一人で来ていたというのか?」


 ヨハンがピタリと脚を止め、フォルカーは「だからそう言ってるじゃねーか」と呆れた様に肩を竦めた。


「いいか、ヨハン。いくらお前でも、迎えをドタキャンされて婚約者の生誕祭にエスコートもなくたった一人で参加する惨めな気持ちくらい解るだろ!? それをお前が腹を立てて婚約破棄するだなんて息巻くのは、筋違いなんじゃねぇのか?」


 ヨハンは眉を寄せ、俯いた。


「……しかし、ではなぜいつもこれ見よがしにミゼンと仲良くするのだ? 私との婚約が嫌だからではないのか?」

「ミゼンの野郎が計算高いのはお前も知ってるだろう? 大方利用されてるんだろうさ」


 華は聞き耳を立てながら苦笑いを浮かべた。

——どうでもいいけど、一国の王子様ご一行があまりに目立ちすぎなんじゃないの? いくら路地裏で人気が無いって言っても、違和感あり過ぎ。ゲームのストーリー上、町の人達は気にしない設定になってるんだろうなぁ……。


「しかし、いずれにせよ婚約は解消だ。私はヒナを伴侶として迎えるつもりだ」

「ハンナ嬢の事はどうでもいいってのか?」

「ミゼンに任せる」


ゲシ!! と、フォルカーがヨハンの尻を蹴り、ヨハンがつんのめった。


「何をする!?」

「クソ野郎にケリ入れてやったんだよ、この、クソ野郎がっ!」

「なんだと!?」

「ランセル公爵はミゼンにハンナ嬢を嫁がせる気なんかねーぜ? よく考えてもみろ、この国で誰が一番狡猾で頭が切れるのかをな。あの男がどれだけ優秀な宰相なのか、忘れたのか? どうしてアオイが騎士になって、宰相の跡を継がねぇのかをな!」


ヨハンとフォルカーの会話を聞きながら、華と蒼壱は顔を見合わせた。

——どういうことだろう? 公爵が何か企んでるの?


「お前がハンナ嬢を手放すなら、俺が貰う。公爵とも約束を交わした」


 ——は???

 と、フォルカーの発言に華と蒼壱が目を点にしたとき、ヨハンがフォルカーの襟首に掴みかかった。


「貴様!!」

「何故怒る? ハンナ嬢との婚約は破棄するんだろう? だったら俺が貰って何が悪い」

「最初からそういう魂胆か!!」

「どういう意味だよ」

「最初から、ヒナとハンナ嬢を天秤にかけていたのだろう!! ハリュンゼンの次期女王として迎える為にな!!」

「当たりまえだろう? 俺の目的は時期女王を迎え入れる事だ。今更何言ってやがんだか……なんだよ、失うと知って惜しくなったか?」

「違う!!」

「じゃあ何だ? お前だって天秤にかけてただろうが! どっちが信用できるかどうかってよぉ。違うのか?」

「私はただ……」

「自分の思い通りにならねぇからって俺に八つ当たりしてんじゃねぇよ」


「すまない」と、ヨハンがフォルカーの襟首を掴んだ手を離した。


「……アオイともっと仲良くなれると期待していた。もしも私がハンナ嬢と結婚したのなら、本当の家族になれると思ったのだ」

「二言目には『アオイ』、『アオイ』ってよぉ。お前そんなに『アオイ』が好きならそいつと結婚すればいいんじゃねぇの?」

「貴様、私を愚弄する気か!?」

「てめーの目が節穴過ぎて話にならねぇっつってんだよ!」

「どういう意味だ!」

「まんまだよっ!!」


 華はフォルカーに身バレしているので、『言わないでー!』とそわそわしながら心の中で祈っていた。

 蒼壱はというと、フォルカーの気持ちとヨハンの気持ちを何となく察して、『華ってばモテるじゃないか』と苦笑いを浮かべた。


「ねぇ、華」

「なに?」


 二人はひそひそと話し合った。


「フォルカーって、めちゃくちゃいい奴じゃないか?」

「うん、すっごく良い人だよ。私のマブダチ」

「いや、そういう意味じゃなくて……」


 フォルカーが華を気に入っているのだとしたら、ヨハンへのあの態度は彼の精一杯の助言だろうと蒼壱は思った。それは尊敬に値する程の懐の広さを感じる。フォルカーは自分の利益だけを優先せずに、友人としてヨハンに喝を入れているのだから。


「ヨハンなんかやめてさ、フォルカーにしたら? 華も攻略対象の中では一番まともだって言ってたじゃないか」

「よ、ヨハンをやめてって、ど、どういう意味!?」


 華が上ずった声でしどろもどろになった。


「わ、私は悪役令嬢だもんっ! ヨハンとヒナの邪魔をするのが私の役目だし! それだけだよ!! 別にヨハンをどうってわけじゃないよ!!」

「……あー、うん、そっか」


 これ以上言ったところで華は頑として認めないだろうな、と蒼壱は思ってあっさりと引いた。


「……お前ら、何やってんだ?」


 突然背後から声を掛けられて、二人は揃って「ひゃ!」と身体を反らせて驚いた。振り向くとあきれ顔を浮かべたフォルカーが立っていて、華と蒼壱を見下ろしていた。


「フォルカー!? あれ? ヨハンは!?」


 華の言葉にフォルカーはクイっと視線を街角へと向けた。


「あいつなら、あの店に用事があるって入って行ったぜ? つーかお前ら、いつからここに居たんだ?」

「あ、いや……つい今?」

「ふぅん? ま、いいけどよ」


フォルカーはニッと笑うと、華の頭を優しく撫でた。


「元気になったようで安心したぜ」

「あ、この間はごめんね。いつもありがと」

「別にいいさ」


 と、フォルカーは気まずそうにしている蒼壱へと視線を向けて握手の手を差し伸べた。


「そっちが弟の方か。ちゃんと話すのは初めましてだな?」

「姉がいつもお世話になってます。俺がダメな弟のアオイ・ランセルです」


フォルカーの手を蒼壱はぎゅっと握りしめた。


——なんだ、ちっともダメそうじゃねぇじゃねーか。

 と、フォルカーはニッと笑いながら考えて「宜しくな」と頷いた。


「ところで、なんで二人して男の成りしてんだ? どっちかで入れ替わって遊んでんじゃねぇの?」

「別に遊んでるわけじゃないよ!」

「おいおい、ヨハンの奴が見たら腰抜かすぜ? 大好きな『アオイ』が二人も居るってな!」


 華は慌ててフォルカーの服を掴んだ。


「フォルカーお願い、私が入れ替わってるってこと、ヨハンには言わないで!」

「分かってるって。俺だって一生懸命言わない様にしてんだぜ? 分からねぇかなぁ、この努力が」


フォルカーは大げさに胸に手を当てて言い、蒼壱が申し訳なさそうに「ご迷惑をお掛けしています」と頭を下げた。


「それにしてもお前ら、いくら双子だって言ってもよ、流石に男女で入れ替わるのは無理がねーか? 俺だって今どっちがどっちか一発で見分けられたぜ?」

「やっぱりそう思います?」


 蒼壱はやっとまともな相手と会話ができると少しホッとした。


「まあ確かにアオイは色白で女顔だけどな。しかしヨハンの奴、なんで気づかねぇんだ? 自分の婚約者だってのによー」

「婚約者に興味が無いからじゃないの?」


 華が少しいじけた様に言い、フォルカーは地雷を踏んだかと苦笑いを浮かべた。


「ま……まあ、こうやって二人並んでると分かるけどよ、お互いに寄せようとすりゃあ面識無い奴には見分けるのも難しいかもな!?」

「婚約者なのに面識がないって変だけど」


 またもや華の地雷を踏んだ様だ。フォルカーはだらだらと汗を掻き、蒼壱は『この人結構迂闊なんだな』と苦笑いを浮かべた。


「あー……ホラ、嬢ちゃんは発育途中だし……」


ゴッ!! と、鈍い音が鳴り、フォルカーが顎を押えた。華が殴りつけたのだ。


「悪かったね! 発育途中でっ!!」

「大丈夫だって、揉めばでかくなるって言うし!?」

「バカな事言わないでっ! 誰が揉むの!?」

「ヨハンがダメなら俺が代わりに」

「もう一発殴られたい!?」

「冗談だって。本気にするなよ。まあ、揉めって言われたら喜んで揉むけど」


ガツン!! と、フォルカーは華に脛を蹴り上げられて、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「いってぇ!!」

「煩いっ! 最低エロ男っ!!」

「まだ触ってもねぇのに怒るなよ!」

「言われるのも嫌っ!」

「……こりゃあ、嬢ちゃんとつきあう男は大変だ」

「あんた以外はそんな失礼な発言しないし!」

「ヨハンなら良いってか?」

「よ、ヨハンはそんな下品な事言わないもんっ!!」


 華相手にこんな風に言い合える相手はなかなか珍しい、と蒼壱は驚いてフォルカーを見つめた。

 男らしいがっしりとした体躯に、攻略対象の中でも一番の長身。そのくせ優男のような笑顔を常に浮かべ、ステータスは第一王子だというのだから、気難しいヨハンなんかと比べるとかなりの好物件だと思った。


——華には悪いけど、俺はヨハンの奴がどうも好きになれない。


「華、このイベントは俺に任せて、ちょっとフォルカーと街を散策してきたら?」

「は!? こんなエロ男となんか嫌っ!」

「男は皆エロいだろ!? なあ、アオイ!」

「俺をそういうのに巻き込むのは止めてくれます?」


 蒼壱はサラリとフォルカーの発言を交わすと、「前に街に行きたいって言ってたじゃないか」と華にニコリと微笑んだ。そしてチラリとフォルカーにばれないように目くばせをする。


——華、フォルカーにここで長居されると、ヒナが来た時に道案内の邪魔になるから、どこかへ連れて行ってくれ。


 華は蒼壱の言いたい事が分かった様で、コクリと頷いた。


「そういえば、果物のジュースが飲みたいなっ!」


 以前飲み損ねた露店で売っていたジュースの事を思い出し、華はねだる様にフォルカーを見つめた。


「お? いきなり乗り気になったな」

「……あはは、私、方向音痴で場所がよくわかんないんだよね」


 考えてもみれば、方向音痴の華が迷っているヒナをエスコートすることはできないな、と蒼壱は改めて思った。


「そういうわけで、フォルカーさん。姉を頼みます」


照れ笑いを浮かべる華の手をフォルカーが掴むと、「お許しが出たってことでいいんだよな?」と、ニッと笑ったので、蒼壱は頷いた。


「申し訳ないですが、宜しくお願いします」

「願ったりかなったりだぜ! なんだアオイ、お前いい奴だな!」


 華はそれでもヨハンの様子が気になる様で、街角の店へと視線を向けた。


「嬢ちゃん、あいつは少し頭を冷やす必要がありそうだぜ? こういう時はほっとくに限る。なに、心配いらねぇさあいつが嬢ちゃんを気に入ってるからこそ、ああもいじけてるんだからな」

「……仲直りできるかな?」

「勿論。きっとあいつの方から寂しくなって泣きついてくると思うぜ? そしたら嬢ちゃんが『仕方ないから赦してやる』って一言いえばいいだけさ」


 蒼壱はフォルカーの華を宥める様子を聞いて、——流石攻略対象の中でも最年長。ヨハンと二歳しか違わないわりには大人の余裕を見せているな——と思った。


「じゃあ、借りてくぜ?」

「ごめんね、蒼壱」


 二人が去って行く様子に手を振って見送った後、蒼壱は『ヨシ!』と意気込んだ。


 俺がアオイとしてヒナと接する機会は少ないから、ここでしっかりとアプローチしなきゃ。華の名声ポイントばかりを頼ってなんか居られないからね。


 そう意気込んだのもつかの間、ふと蒼壱は小首を傾げた。


 そもそもヒナはランセル家に身を寄せているんだから、何もこんなお忍びイベントを発生させなくても、最初から俺が街へデートに誘えば良かったんじゃ……?

 なにこれ、俺って間抜けじゃないか!?


 一人、ヒナの来訪を待ちわびながら、蒼壱は自分の馬鹿さ加減に呆れかえっていた。

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