第十六話 上位個体(1)
その日の哨戒は即座に中止し、シェアハウスへ帰って、睡眠を取った。
正午を超えた頃に起床すると、鑑別機関から支給されたタブレットに、普段は共有されない他の鑑別官の情報が送られてきていた。
そのプロフィールをチェックすると、十、八、七、六、四、という階級の戦力で構成されている。琴森は上位の鑑別官に引けを取らない実力を持っているので、かなりの布陣だ。絶対に奴を討ち取りたいという前田豊和支部長の、思いを感じる。
シェアハウスの中にある、トレーニングルームで汗を流す。高負荷のトレーニングは控え、完璧なコンディションで戦うための、ルーティーンを重ねた。
上位個体と戦うのは、いつぶりだろうか。
体は既に温まっているはずなのに、体が震えている。一年前、単独で交戦したときは感じなかった、浮足立つような感覚が、胸の中にあった。新人でもないのに、情けない。
「ふっ……ふっふっふっ」
無心でトレーニングボールを壁に向け投げていると、琴森が部屋に入って来る。
今日という日でも普段と変わらず、彼女はすやすやと寝ていた。俺のように軽い運動を行うことができればベストだが、自然体でいられるというのも悪くはない。彼女は、普段通りで行くべきだ。
「冷泉さん。そろそろ時間です」
「よし。行こう」
置いておいたタオルを肩にかけて、額の汗を拭う。トレーニングウェアから制服に着替えた俺は、バイクに跨り、琴森を乗せて港区へバイクを飛ばした。
普段と違って会話もない、エンジンと風を切る音だけが響く道中。
「琴森。俺たちは今まで、高硬級の無機生命体……上位個体と、戦うことがなかった」
「……はい」
ぎゅっと、彼女が俺の腰に回す手の力を、強くさせる。
視界の中を過ぎ去っていく、断続的な街灯の明かりに視線を送りながら、静かに俺は語り始めた。
「俺が昔、東京第一鑑別小隊という隊にいた頃……その時、ある上位個体と戦ったときの話をしよう」
あれは、俺が東京第一鑑別小隊の四硬級鑑別官として過ごした六年間。第一鑑別小隊に入隊してから四年の月日が経ち、鑑別官という職業の特性上、家族同然の生活を送っていた、あの、眩い記憶。四回目の夏の日のことだ。
鑑別官という、昼夜逆転を前提とした職の者たち。鑑別官を務める人はそれぞれ、夜にも出来る趣味を持っていることが多かった。
姫内茶花というジェムメカニックの少女。彼女の仕事の疲れを癒す趣味は、模型作りである。ミリタリー系のものを作ることもあれば、帆船模型を作ることもあった。
そして今回は、人型ロボットのプラモデルである。
体に張り付く様な、蒸し暑い夜。シェアハウスの中で、経費だからと一切構わず、ガンガンにクーラーをかけて温かい紅茶すら飲んでいたときのこと。
リビングの机の上。そこに並べられているのは、プラモデルの箱と、ランナーと呼ばれるパーツが取り付けられたプラスチックの枠。クッションに座り込み、髪の毛を二房にまとめた少女が、寝巻の楽な格好をして、仕事用の拡大鏡を目に掛けながら、ムムムとパーツを睨んでいる。
「惣一郎。そこのニッパーを取ってちょうだい。私がゲートを取るから、やすりを丁寧にかけてね」
「うん。茶花。でも、本当にこれ地味な作業だな……」
紙やすりを手にして、ごしごしと、パーツを切り出した痕を綺麗にしていく。最初はペン型の電動やすりを使っていたのだが、小さいパーツは手でやらないと、と命令され、必死にパーツを擦っていた。
「ここが大事なの! ここでちゃんとやっておけば、後できれいきれいになるし、達成感も違うから!」
「わかった。茶花がそういうなら、ぼくも真面目にやる」
「久々のオフだからね。椿井隊長は天体観測に出かけちゃったし、茉莉子は聡さん連れて安曇さんとこでダーツしばきに行っちゃったでしょ? だからその間に、こいつ完成させるわよ!」
ニコニコと楽しそうに、塗装は何色にしようかしら、と考える茶花。普段は真顔で黙々と作業しているのに、この日はやたらと感情豊かだったのを覚えている。
しかし、るんるんとパーツを眺める茶花が、異変に気付いた。
「……あれ、ガレージの開く音がしない? バイクの音も複数聞こえるし……」
しばらく経った後。ガチャ、とリビングの扉が開く音がした。そこには、オフの日だから、と出かけたはずの三人がいる。聡さんと日高さんは、焦るように、すぐに地下室へ向かった。椿井さんが、二人並んでリビングの椅子に座る俺たちを一瞥した後、茶花の方を見て、口を開く。
「茶花……本当に楽しんでいるところ申し訳ないんだけど、緊急の任務が入った。八硬級の上位個体。それがいきなり、駅で見つかったらしい」
「……椿井さん。何よその含みのある言い方。ま、いいけど……」
着替えてくる、と言い残した茶花が、地下室へ向かう。俺も隊長の言葉を聞いて、制服を取りに行こうと、彼女と二人、階段を降りた。
上位個体。それは、鑑別機関において、七硬級以上の無機生命体を指す言葉。
宝石鑑別部隊の中でも、精鋭部隊を派遣しなければならない敵。鑑別官や職員の目を掻い潜り、数年間生き延び続けてきたその個体たちは、全て、確かな知性と狡猾さを持っている。
上位個体より製作された宝石武装を必要とするのは勿論のこと、奴ら上位個体は、確かな定義を可能とする、ある能力を持っている。
それは、自立行動。植物のようにその場から動かず、ただ見つからぬことを祈りながら、拡大と成長を続ける中下位の個体とは違い、奴らは移動を……移住を可能とする。また、ごく稀に、更に特異な能力を持つ変異個体と呼ばれる個体が上位の無機生命体には存在し、その超常の異能は多くの鑑別官を葬り去り、犠牲を増やした。
五人。バイクで夜の東京を疾走しながら、ヘルメットに取り付けられた無線を用い、情報の共有を行う。
情報を取りまとめた聡さんが、諳んじた資料の情報を、説明をした。
「今回発見されたのは、八硬級の上位個体です。山手線を走る電車の車両の一つで、常にこの町を移動し続けることによって、大胆に、鑑別官や捜査官の目を掻い潜ったものかと思われます」
鑑別機関の要請を受け、本来は車庫にしまうはずのその電車は、今、駅に留置されているらしい。
バイクを飛ばし、安全な場所に止めた後。武装を手にし、改札を飛び越えて、今、五人が駅のホームに出た。全員の制服から宝石投与の注入音が鳴り、戦いの始まりを告げる。
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