第一章・第一節『ハロー、エメラルドガール』
第二話 エメラルド・アンダー・ムーンシャイン
月明かりだけが、人情味のある光を放っている。
とっくのとうに終電は行ってしまったからだろう。東京駅が誇る、観光客が多く訪れるらしい近代建築の前には今、人っ子一人といない。
そんな場所を待ち合わせに最適だからといって、選んだのは間違いだったかもしれない。街灯の光に照らされ佇む自身は今、酷く目立つ。
そんな懸念を抱き始めたところで、くだんの新人と思わしき女の子が、異常な速力を伴って走行し、やってきた。
時刻は……一時四十五分。十五分遅れか。友人であればまあ気にしないが、上司と部下の関係ともなれば、それが軍隊もどきともなれば、問題だろう。
これから任務だというのに、それを遂行出来るか分からなくなるくらいには、目の前の少女は疲弊していた。膝に手をつけ、ハアハアと息をする彼女は、焦りに焦っている。
「ご、ごごごご、ごめ、いや、あ、その、ももももうしわけありません!」
顔を振り上げたその姿を見て、瞠目した。
先ほどから思っていたが、まず、グラデーションが美しい淡緑の髪の毛が目立つ。
キラキラと輝くそれは宝石のようで、編み込みのアレンジが入った、ボブカットが可愛らしい。
実用化されたと聞いたことはないが、毛髪にジェムコーティングを定期的に施し、軽量かつ強靱な防具とするという計画のものだろうか。その影響で、色がつくと聞いたことがある。
そして、彼女の顔にぱっちりと輝く両目もまた、髪の毛に似た色を持つ、翠色の瞳だ。小ぶりの鼻がその下に付けられていて、若々しい瑞々しさを持つ唇が、荒い息を吐き出すため、歪んでいる。
彼女の耳たぶからぶら下がる、変わった赤黒い色のイヤリングが、ゆらりと動いていた。
女性用の鑑別官の制服を纏う彼女は背に、ソフトタイプのライフルケースを背負っている。銃使いとは、珍しい。
「……こんばんは。鑑別官。初対面で遅刻するやつもやつだが、初対面で説教を始めるやつも俺はどうかと思う。だから、俺は何も言わないでおく」
「あっ……えへへ……よかった……やさしそうな人だ……」
組みたくもないやつと組まされるからか、なんとなくドキツい皮肉を言ってしまったように思えるが、何も伝わっていない。
「えっと、私、
慣れてなさそうな敬礼をしながら、ふんすと俺に自己紹介をする、琴森詠芽四硬級鑑別官。まず、十八歳という年齢に強く驚愕した。機関を最短で卒業したとして、どんなに若かったとしても二十歳でなければおかしいはず。
それと、ご指導ご鞭撻を承りますって初めて聞く表現だし、明らかに誤用な気がするが、やったね上手く言えたと、遅刻したことも忘れてこの女は得意げになっている。
基本的に鑑別官というのは、機関を卒業し、実地に配属される頃には四硬級となっている。機関に所属する鑑別官候補は、卒業を目指すまでの間、上下関係を嫌ほど叩き込まれるはずだ。
「えっと、私、さっき言ったみたいに詠芽って言うんですけど、良かったらえめちゃんって呼んでください。みんなからはそう呼ばれてたので」
……彼女は、とてもその課程を完遂出来たようには思えない。
にまにまと笑いながら、くねくね動いて、両手を合わせている。ド肝をぶち抜かれるって言ってたけど……こういう方向だとは思っていなかったぞ。俺って、こんなに失礼だったっけか、日高さん?
目頭を押さえ、一度息を吐いた。
いや、そういうことじゃなくて、あの時の俺みたいな、訳ありってことか。なるほどそういうことかと、少しは納得する。それだったら、俺の方から歩み寄ってやらなければいけないし、多少の理解は必要だろう。
……日高さんの、優しい、見守るような視線を思い出す。
彼が。彼女が。彼らが。
俺を受け入れてくれたみたいに、俺が彼女に合わせるべきだ。
「……俺は冷泉惣一郎、八硬級鑑別官だ。それと……二十五歳のまあまあベテランだ。これより、東京の哨戒任務を行う。無機生命体の早期発見は鑑別官の急務だ。着いてきてくれ」
「い、いえっさー! あ、今飴ちゃん持ってるんですけど、いります?」
立ち止まり、懐をまさぐる琴森の姿を見る。随分とマイペースな彼女は、これから初めて出会った上官と共に初陣を迎えるわけだが、リラックスしすぎなくらいリラックスしてやがる……才能アリだ。
しかし俺だって、部隊行動のできない不適合者だ。彼女ぐらいが、丁度良い。
「琴森。バイクはどこに止めてきた? それと、飴ちゃんは大丈夫だ」
「……ばいく? 持ってないです」
飴の包装紙を取り、いちごミルクを彼女が口に放り込む。
「ん、ああ、いや……そうか。俺も最初は持ってなかったしな。今日は初日だし、徒歩で哨戒を行うか。行こう」
コツコツと一定間隔で刻まれる足音に、遅れて軽やかな足取りが追従する。
東京の町を、淡緑の少女とともに歩く。静けさだけが支配する、深い夜の世界が珍しいのか、彼女はキョロキョロとあたりを見回していた。途中、ふらふらと別のところへ勝手に行ってしまいそうになって、どこか言うことの聞かない犬の散歩をしているような気分になる。勘弁してほしい。
白線の続く道路。ガードレール。夜風に揺れる木々に、薄暗く周辺を照らす街灯。真昼、風景の一部でしかないそれぞれは、夜になるだけで不気味さを増す。
前方。八メートル先。何の変哲もない街灯を見据えながら、琴森をジェスチャーで呼ぶ。こういう形式張った作業をするために、徒歩を選んだ。
「琴森。今は哨戒任務中だが、座学のおさらいと行こう。無機生命体を発見する上で、最も重要な技術はなんだ?」
ぴしっと背筋を伸ばした彼女は、目を瞑りながら言う。
「えっと……発見できる仲間に任せることです! 分担が大事だって先生は言っていました! 冷泉さん、よろしくお願いします!」
……は?
愕然として、目を瞑った彼女の方を向く。
「……琴森。鑑別官が、何故鑑別官と呼ばれているか分かるか? 無機生命体を発見し、場合に応じて駆除することの出来る人材だからだ。鑑別は鑑別官の基礎的な技能であり、必須のものだぞ」
咎めるような俺の口ぶりに、彼女は眼を輝かせながら、両手を上下に小さく動かしている。
「へぇーそうなんだぁ! 知りませんでした! 先生には組んだ人からいろいろ学びなさいって言われてましたけど、早速の学びチャンスですね!」
ぽやぽやとした表情で、笑う彼女。煽っているとしか思えない物言いだが、おそらく彼女は本気で、感心してそう言っている。一応、捜査専門の職員が多くいることも事実だが、それを指しているようには思えない。
「…………琴森。一応……聞いておくが……座学の成績は? 卒業試験はどうやって突破した?」
「ざがくって……どういう意味ですか? あ、座薬のことですか?」
「OK了解した。大体お前のいる場所が分かったぞ琴森。これはド肝をぶち抜かれるわ。おう。あ~~~う~~~俺は落ち着いた。よし」
ふーと一度深呼吸をして、親指でベンチの方を指す。
「そこに座れ琴森。時間がないわけではないし、今から簡単な講義をしよう。俺は八硬級鑑別官だし、機関で教官ぐらいは務められる立場にある」
「はーい! おいしょ……あや、冷泉さんは座らないんですか?」
……視線を、先ほど視界に入った街灯の方へ送った。
冬の夜にぼんやりとした光を投げかけるそれは、周囲を薄気味悪い雰囲気で包んでいる。光の中に立つガードレールの影は薄く長く伸び、怪物の形をしているようだった。
「……いや、俺はこのままで良い。万が一もあるしな」
「?」
「ではまず、簡単な講義をする前に、琴森。お前にどれくらいの知識があるか知りたい。故に、めちゃくちゃ簡単な質問をしよう。お前にとって、無機生命体とはなんだ?」
少し俯いた後、一転して、真剣な表情に変わった彼女が小さく呟く。
「……私が、駆逐すべき敵です」
「……そうか。お前ほどじゃないが俺も、特別な理由から機関を飛び級して、君と同じような立場になったことがある。知識もない状態で、実地でこそ学べるものがあると、戦いにそのままぶち込まれたことがな。だから、お前の状況が理解出来る」
……そういうところを含めて、俺が選ばれたのか? 日高さん。
……いや、彼女はあくまでも俺の一時的なパートナーに過ぎない。しかし彼女が俺とのデュオを解消した後、何もできないままでは、問題だろう。
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