第41話 カーティスの過去1



「裁判が開かれるまでまだ時間があります。ゆっくり心の整理をしてください」


 カーティスは肩を震わせて泣く小さな姉に、結局それ以上言葉を投げかけることができなかった。あれから数日、部屋に閉じ籠ったままだと聞いている。


やはり話すべきではなかったのではないか? もっと良い伝え方があったのではないか?

 考えたところで、もう遅い。


 夕日に赤く染まった空を見つめていたカーティスは、やがてソファに仰向けに倒れ込んだ。


「姉さん……」


 つらい思いをさせてしまった。泣かせてしまった。もっと他にやりようがあったかもしれないのに。けれど、あとはもう姉さんの答えを待つことしかできない。


 カーティスはゆっくりと息を吐き出す。数日前からあまりよく眠れていなかった。目蓋を閉じると見えてくるのは、今より幼い姉の顔だった。


 ……出会った時から、姉さんは俺にとって特別だった。





******


「リターシャ・ブランシェットです」


 孤児院からやってきたという姉さんは、綺麗なお辞儀で挨拶をしてくれた。初めて見る赤色の髪と美しい蜂蜜色の瞳は愛らしい顔にぴったりと合っていて、俺はとても綺麗な人だと思った。


「初めまして。今日から貴方のお姉さんになるんだよ。仲良くしてくれたら嬉しいな」


 そう言って、姉さんは幼い俺に笑いかけてくれた。


 不思議だった。そんな温かな表情は、今まで向けられたことがなかったから。


 俺の母は銀髪に空色の瞳をしていたらしい。

 俺は母親似の銀髪と血のように赤い瞳を持って生まれた。


 銀髪に赤い瞳をもつ者は魔女の末裔という言い伝えはまだ根強く残っているようで、俺に向けられるのは不吉なものを見るような顰められた顔ばかりだった。

 それは屋敷内でも変わらず、使用人という立場の仮面の下に、不快な感情を隠していることには幼いうちから気が付いていた。


 父はそんな俺を哀れみながらも息子として接してくれた。けれどあまり俺を外に連れ出そうとしないことからも、言い伝えを強く気にしているのは明らかだった。赤い瞳をもつ俺を残念がる父の吐息を耳にしたことも何度かあった。


 兄とはもともと性格が合わず、あまり会話らしい会話をした覚えがない。兄にとって俺はつまらない存在で、そもそも視界にすら入っていないようだった。


 公爵家の次男として生まれ、生活に不自由などなかったが、いつも体のどこかにポッカリ穴が開いているような気分だった。その穴はゆっくりと広がり、やがてすべてを飲み込んで、自分という存在が消失してしまうような、そんな先細りの道を歩いているような日々だった。


「カーティスの目はルビーみたいにキラキラしてて綺麗だね」


 そんな中、唐突に現れた姉さんは俺の瞳を真正面から見つめてそう言った。


 俺の姿を見つけると、愛おしくてたまらないというように顔をほころばせて頭を撫でてくれた。俺が駆け寄ると両手を広げて抱きしめてくれて、「姉さん」と呼びかけると嬉しそうに「なぁに?」と尋ねてくれた。


「姉さんはいつも僕の頭を撫でますね」


 俺の照れ隠しに、姉さんは少しも反省していない顔で「ごめんね」と謝る。


「だってカーティスがあまりにも可愛くて」


 嬉しそうに笑ってまた俺の頭を撫でる。それが本当は嬉しくて、口元が緩むのを精一杯我慢していた。


 姉さんが来てからはまるで日だまりの中にいるような毎日だった。あんなに冷え切ったように感じていた屋敷は春みたいに暖かくて、そこに姉さんがいるだけで幸福感で胸が満たされた。こんな日がこれからずっと続いていくのだと信じていた。


「あれ、姉さん。その手はどうしたんですか?」


 俺がその青い薔薇に気付いてしまうまでは。



 手の甲に咲いたその花を最初とても綺麗だと思った。青い薔薇はこの世に存在しない。存在しないものを人は恐れて忌み嫌うけど、俺はその特別な花が姉さんに相応しいとさえ思ってしまった。


 それから姉さんはみるみる体調を崩していった。

 その花がブルーローズという原因不明の死の病だと知り、俺は幼いなりに必死で見つけ出せるはずもない治療法を探して医学書を読み漁った。


 やがて青い薔薇は全身をむしばみ、姉さんはベッドから起き上がることもできなくなった。俺は苦しむ姉さんの隣でただ泣きながら治れ、治れと祈ることしかできなかった。


「姉さん……姉さん……」


 熱に浮かされる姉さんの手を握って、俺は泣きながら必死で伝えた。


「僕が必ず姉さんを助けます。だから、」


 意識が混濁しているのか、視線は合わない。会話は通じない。この声が届いているのかも分からない。それでも俺は姉さんに声をかけ続けた。


「約束するから……」


 そうしなければ、今にも瞳を閉じてそのまま動かなくなってしまいそうで怖かった。側にいる間、ずっと姉さんを呼び続けた。けれど何の知識も力もない俺に助けられるはずもなく、数日後に姉さんの死を父から聞かされた。



 そこからは泥沼に沈んでいくような日々だった。


 ただ言われるままに指示されたとおりのことを学んで過ごす。心はどこか遠くに切り離されて、まるで体だけ違う誰かが動かしているような感覚。その時の俺の中身は空っぽだったに違いなかった。


そうして、姉さんと同じ12歳になった頃だった。


俺はようやく、姉の死の真相を知ることになる。



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