むしばなし(アドベントカレンダー企画)

しらす

不思議な温室

 まるで地上のものを全て地面に焼き付けようとするかのように、午後の太陽は白くて暑い。

 それでも陽炎が立つ街中よりはまだマシか、と思いながらあおいは舗装の割れた田舎道をゆらゆらと歩いていた。

「……それにしたって、こんなとこに来て何をしろって言うのよ」

 そう繰り返す葵に、同じ境遇の姉は頭にきて、祖父は見かねて、外へ出てくるようにと言った。

 しかし見渡す限り山か竹藪たけやぶ草叢くさむらか、という景色の中、目に入る建物は人家と壊れかかった農作業小屋だけだ。商店らしいものは見当たらず、自販機の一つも見つからない。

 軽く散歩をするだけだからと、葵は祖父の用意してくれた水筒を置いて来てしまった。


 木陰に入れば風は涼しいし、近くには川も流れいてるんだから平気だ、などと気楽に考えたのが間違いだった。

 ほぼ何も植わっていない畑の跡を左手に眺めつつ、手入れもされない雑木ざつぼくが茂る山を右手に歩くのは、想像以上に暑くて辛い。

 川はあってもコンクリ固めの用水路で、田舎道と言えど、道路は車を通せるように舗装されいて熱を持つ。山側にあまり近寄ると漆科うるしか植物に触れてしまうので、木陰に身を寄せるのも難しい。

 漫画やアニメで見るような田舎の風景なんてほぼ幻想だ、と葵は心の中で石を蹴った。



 どこへも行けない夏休みほど退屈なものはない。

 中学最後の夏休みだ。「遊べない」と言われる進学校に行くつもりの葵にとって、最後の思い出作りの夏になるはずだった。

 それが一転したのは、夏前の健康診断で母方の祖母が入院することになったからだ。検査も含めて病院通いが続き、葵と姉に構う時間がないからと、二人揃って父方の祖父の家へ行くように言われた。

 ほとんど行った覚えのない父の実家というものに、葵が浮かれていたのは最初のうちだけ。来てみればここは、何の楽しみもない場所だった。

 もちろん祖母に非はない。それに葵としても祖母の事は心配だ。それでもどうしても、心の中に消せない嫌な感情がある。その事が余計に葵を苛立たせた。


 ぐさぐさと道端の草を踏みつけながら歩いていると、不意に右手の山が切れて、ぽっかりと広い空き地に出た。

 ここも耕作放棄地こうさくほうきちか、と思いながら葵は何となく足を止め、空き地全体を見渡してみる。

 柵も何もなく、車の一台も置かれていなくて、丈の高い草が伸び放題になっている、妙に広い空き地だ。

 その空き地を囲むように、明るい緑の葉をみっしりとつけた木が並んでいる。なんだか見慣れない木で、朝顔のように先が三つに分かれた葉をしていた。


 そして更にその奥。ここから見て一番遠い空き地の隅に、不釣り合いにピカピカな建物がある。

 と言っても新築の建物と言うわけではなく、建物全体ががガラス張りになっていて光を反射しているのだ。

「……あれ、温室かな?」

 葵は思わず呟いた。

 こんな草ぼうぼうの景色に似つかわしくない、白く塗装された骨組みに、透き通ったガラスの建物だ。


 思わず吸い寄せられるように、葵はその温室に向かっていった。

 外から見た温室の中には、熱帯植物などは見当たらず、何か四角い容器が隙間なく並べられている。何かの店なのだろうか、と一瞬思ったが、こんなところで店を開いても誰も来ないだろう、と思い直した。

 ならあの四角いものは何の容器なのだろう、と考えているうちに温室のドアの前に着き、葵はどうしようかと迷った。

 中に人がいるとは思えないけれど、その中に入ってみたくて仕方ない。葵はそんな自分の気持ちが不思議だった。しかし誰もいない温室のドアは、きっと鍵がかかっている。何とか開けてもらう方法はないだろうか。


 そんな葵の気持ちに応えるように、不意に中でかちゃりと音がして、ドアノブがくるりと回転した。ぎぎ、とかすかに軋みながら開いたドアの中から、背の高い若い男性が現れた。

「こんにちは、お嬢さん。外は暑いでしょう」

 温室のドアが完全に開くと、不思議なほど冷たい空気と共に、のんびりとした男の声が降ってきた。葵が咄嗟にその顔を見ていなかったのは、急な出来事に驚いたからでも、温室の中ばかりに気を取られていたからでもない。

 出てきた男の格好が、着物姿に白衣を羽織りのように肩から掛けている、という妙な出で立ちだったからだ。


「どうぞ、お入りなさいよ。麦茶でも出しましょう」

「え、あ、はい」

 にこりと笑って、すっと向きを変えた男の背中で、一つに束ねられた長い髪がゆらりと揺れた。

 その後について、慌てて温室に足を踏み入れた葵は、ざあっと雨が降り出す音を聞いた。

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