出されなかった本の前書き

シキウタヨシ

前書き

 令和四年の三月にまさかの事態が始まって、酸鼻の四月を過ぎ、もうこれを書いているのは六月尽である。そう「彼」が睨んだように、センソウなんてひと昔じみたこと、二ヶ月も経たないで終わる、否、なんらかの形で早く早く終わってくれとぼくもどこかで思っていた。ところがウ側は粘りに粘り、これではひまわりが咲く頃までにも終わらないかも知れない。尤も、長引けば長引くほどおろかな選択をすることになるのだけれど……。

 正義がどちらかの側に確固としてあるなどとは、ぼくは言いたくない。確かにこれは一方的な侵略だが、何も真実を知らされないで前線に送られ亡くなったロ側の兵士だとていくらでも居たはずで、だから、「正義の逆は違う誰かの正義」でしかあり得ないのだ。いつも。

 確かに戦争をけしかけるという行為自体は誤りであって、それに対して無抵抗でいろとはぼくは到底言えない。

 だが戦争だからといってひとごろしが正当化されるわけではない(無論、破壊掠奪その他残虐行為全般が許されるわけでもない)。「センソウだから仕方ない」「きれいなセンソウ」「正しいセンソウ」は、ないのだ。それは、兵士として武器を持って自らの敵と合間見えた者なら誰しもがそうだ。例え奪われる側だったとて。

 センソウとは、「殺しっこ」だ。

 そして兵隊だけが死ぬならまだしも、その何倍何十倍もの市民が犠牲になる。そもそも、戦争を始めたのは兵隊でも市民でもなく、もっと上のお偉いさんである。なんでお偉いさん同士でやり合わないのか、とぼくはいつも不条理に思う。

 ぼくは短歌をウ側に寄って詠んだけれど、以上の想いがある。

 ぼくら世代は戦争を知らない。いいところ湾岸戦争、イランイラク戦争くらいが関の山で、それもなまの情報はあまり入って来なかった。今回のウ侵攻で、「戦争って」と、ほんの一端を初めて垣間見たのはぼくだけではないだろう。尤も真実は、伝えられているものはごく一部分に過ぎないだろうけれど……。

 だから、いまなのだ。いま感じたことを、いま覚えていることを、いま言わねばならぬことを、いま語り継がねばならぬことを。人々をただの数字にしてはならない。おのれの思うところを胸の奥に沈めて殺してはならない。センソウを、日々の雑事に紛らいてなかったことにしてはならない。何も出来ないわけはない。おのれには筆と紙がある。記さねば。歌わねば。歌詠む者であるならば。

 この本の刊行の日を、半ば祈りを込めて日本のあの日と定めたけれど、それまでにこのセンソウは終わってくれるだろうか。

 

 もうあまりに、人が死にすぎた。


 この本の編集にあたり、本の趣旨に賛同していただき、寄稿して下さった次の方々に厚く御礼申し上げます。

 

**************


 市民が昼夜続く爆撃に怯え、しかし侵攻がまださほど激しくはなかった頃、キーウだったかで、「『彼』のおかげで我々はひとつになれたんだ」と皮肉っぽく笑ってみせた男性の笑顔が忘れられない。


 令和四年 六月尽 シキウタヨシ


/未完

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出されなかった本の前書き シキウタヨシ @skutys

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