第8話 え!? 父の握手会!!?

「天音っち! 大ニュース!」

「どうしたの? ちーちゃん。そんなに鼻息を荒げて」

「鼻息も荒げるというものだよ! ふんすふんす! これは世紀の大ニュース!」


 千代は顔を真っ赤にしている。

 これは本当にものすごいことがあったようだ。いつものことながら、高校の教室だというのに千代は興奮のあまり周りを全然気にしていない。賑やかなクラスだから別にいいんだけど。


「すごい! すごいんだよ! 藤沢さんのトーク&握手会があるんだよー!」


 千代が拳をぶんっと振り上げる。


「え、まさか」

「そう! そのまさか! なんと、整理券取れちゃったの!! やっほっほーい!」

「わあ、そうなんだー」


 思わず棒読みになる。

 そういえば、父がそんな仕事があるって言ってたっけ。

 さっきの言葉通り、そうなんだーとしか思っていなかったけど。父のファンからしてみたら大興奮のイベントなんだなあと、他人事のように思ってしまう。

 思っていた。この時までは。


「それでね」


 もじもじと千代が恥じらった様子で言う。

 きっと父の大ファンだから、直接会えるのは嬉しいに違いない。この表情が父に向けられていると思うと私としては複雑だけど、ファン心理はわかるから温かい目で見てしまう。

 が、


「天音っちも付いてきてくれない? 一人じゃ無事に藤沢さんの前に立てる気がしなくってさ。もう、辿り着くまでに腰砕けになって崩れ落ちそうで……。だって、あの声でトークショーだよ! しかも、生藤沢さんだよ! 平常心でいられる気がしなくて……。えへへ。だから、出来れば付いて来てくれないかな」


 顔を上気させて、恋する乙女な顔で千代は言った。

 他人事みたいに聞いていた私は、急にうろたえてしまう。


「ふ、え? あ、で、でも、私整理券とか持ってないよ? さすがにもう無くなってるんじゃない?」

「大丈夫! なんと! 整理券は二枚取ったんだよ! というわけで、天音っちの分もあるから!」

「な、なんだってー!」


 心の中で叫ぼうとしたのに、思わず口から出た。

 いや、出るでしょ。


「ごめん。びっくりした?」

「あ、えー、うん」

「そういうイベントって初めてだし、本当に一人だと不安で……」


 本当にそうなんだろう。


「いい、かな……」


 熱っぽくうるんだ千代の瞳。

 ああ、そんな目で見つめないで!

 好意を私に向けられているみたいで変な気分になってくる。


「もちろんだよ!」


 そして、思わず私はそんな風に応えてしまったのだった。




 ◇ ◇ ◇




「お父さんの握手会……」


 行くと答えてしまったものの、私は自分の部屋のベッドの上で頭を抱えていた。

 とりあえず、転がりながらスマホでイベントのことを調べてみる。


「あ、これね。『藤沢和孝トーク&握手会』。ふんふん。ミニトークショーと握手、ね。あー、最近お父さんが出てるアニメのミニイベントみたいなものなのか~。って、千代、CD二枚買ったのか……。私のために、じゃなくて保存用と聴く用っぽいのが怖いなぁ……」


 スマホの画面にはイベントの告知と共に何年前に撮ったんだ、と言いたくなる父の写真が載っている。


「わ、若い……」


 今はもっとオッサンなのだが、写真が更新される様子は無い。

 まさか千代は父がこんなに若いと思っているわけじゃないよね、と不安になる。あんなに盲目的に好きだと言っているくらいだ。


「まあ、それは大丈夫か……」


 千代がネットで父のインタビュー動画を黄色い声を上げながら鑑賞していたのを見たことがある。


「って違う!」


 そんなことを考えている場合じゃない!

 あまりに考えたくなさすぎて思考が脱線してた。

 問題は私が父の握手会に行くってことだ。

 バレる。絶対バレる。

 娘が来て気付かないような父じゃない。

 こうなったら、秘技! 今更だけど断る! しかないか。

 だけど、あの千代の嬉しそうな顔を見てしまったら、断るなんて私には出来ない。


「うう、どうしよう~。うーん」


 とりあえず悩みすぎて喉も渇いたことだし、何か飲もうかと部屋を出ようとドアを開けると、


「どうしたんだ? そんなに唸って。悩み事か?」


 タイミングよく、いや悪く、廊下に父がいた。

 どうやら、私は無意識に唸っていたらしい。


「別に、大丈夫。喉渇いただけ」

「そうか。そうだな。水分を取るのは大事だからな。出来れば、喉が渇く前に飲んだ方が、喉にはいいんだぞ」


 さすが、現役声優ならではのアドバイスだ。


「けど、天音。眉間に皺寄ってるぞ。そんな顔してると、可愛い顔が台無しだぞ。もし悩み事とかあったら、ちゃんとお父さんに相談するんだよ」

「もー! 悩みがあっても、お父さんには関係ないでしょ!」

「そ、そんな……。天音~」


 本当は関係大ありだけど!

 私はどしどしと階段を下りた。

 父はおろおろと階段の上で、さみしそうな子犬のような顔していた。

 その顔を見てちょっとだけ悪かったかな、なんて思ったけど私は振り向けなかった。

 だって、悩みの種は父のことなんだから……!


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