第3話 天使の声

「昨日はありがとうねっ!」


 私、吉田千代は友人である天音の手を両手で握ってぶんぶんと振った。


「あ、えと?」


 私がハチャメチャに感謝しているというのに、本人はきょとんとしている。

 私にとっては重要事項でも天音にとっては忘れるような出来事だったらしい。興味が無いことには仕方がない、とは思う。


「ほら、昨日の藤沢さんの番組だよ-。天音っちが教えてくれなかったら見逃してたから! ナレーションする藤沢さん、最高だったよ! あれ見逃してたら一生後悔するとこだったってくらい! 録画できなかったのは残念だったけどさ。あ、途中からはしたけど」

「あ、それね」

「うんうん。命の恩人だよ-」

「命て、そんな大げさな」

「天音っちの家でたまたまテレビ付いててよかったわー」

「あ、うん」

「お母さんとかが見てたの?」

「そうそう。たまたま付けてたみたいでさ」


 あははーと天音が笑う。何か動揺しているように見えるのは気のせいだろうか。昨日の今日で忘れていたのを恥ずかしがっているのかもしれない。


「ともかく、ちーちゃんが喜んでくれて良かったよ」


 天音ががくがくとした動きで頷いている。

 そんなに恥ずかしかったのか。

 そう。天音は結構な恥ずかしがり屋である。

 だからこそ、もったいない。


「本当にもったいない」

「?」


 声に出してしまった。天音が首を傾げている。


「いやー、本当に天音っちって可愛い声してるなーって」

「またそれ?」


 天音が不機嫌な顔になる。いつもそうだ。

 褒めているのに何故か嫌がられる。


「だってさ、その声なら声優目指せると思うのになぁ。ほら、声優って憧れるでしょ? もし声優になったら、天音っちの好きな新居さんにも会えるかもよ!」

「別にいい」


 魅力的な話だと思うのだが、天音は全く乗り気ではなさそうだ。

 それどころか、


「それなら、ちーちゃんがなればいいんじゃない?」


 などと、軽く言ってくれる。


「私ごときの声では無理-!」


 悔しさを込めて叫ぶしか無い。

 天音自身がなんとも思っていないのが本当に悔しい。天音の声は本当にめちゃくちゃ可愛い。落ち着いていながらも、可愛らしさもあって、おっとり系の美少女役なんか最高に似合いそうな声をしている。

 そう! 天使の声なのだ!

 けれど、あまり自分から話す方ではないので、天音の声の魅力を知っている人は割と少ないと思われる。それというのも、天音が恥ずかしがり屋なのがいけない。

私とは話しても、他の人と話すときは返事をしているところくらいしか見たことがない。まあ、私もどちらかと言えば仲のいい友人以外とはほとんど話さない方だが。

ああ、私が天音の声を持っていたら、一直線に声優を目指して藤沢和孝と共演しちゃったり出来るのに!


「でも、本人が嫌ならしょうがないよね」

「うん。私、人前に出るの苦手だし……」


 本人もそう言っている。

 本当にもったいないと思っているので、これまでにも数回同じことを言ってしまった。けれど、そろそろ止めておいた方がよさそうだ。これだけ本人が嫌がっているのに無理強いするのはやめた方がいい。

 しかし、本当にもったいない。

 だって、天音は顔も可愛い。眼鏡を掛けて、地味な髪型をしているので目立たないが、実は眼鏡を取ると美人なことを私は知っている。眼鏡が曇っているからと言って拭くために外しているところを見たことがあるからだ!

 声も可愛いし、ビジュアルもいい。これはもう、アイドル声優になるしかない!


「藤沢」


 なんて、思っていたところに天音を呼ぶ声がした。

 振り向くと、クラスの男子・三島みしまが立っていた。


「お前、今日日直だろ。黒板、消し忘れてるぞ」

「あ、本当だ」


 慌てた様子で、天音が立ち上がる。


「……俺、手伝おうか」

「いいよ、ありがと」


 三島の申し出をすげなく断って、さっさと行ってしまう。取り残された三島は、がくりと肩を落としている。

 多分、めちゃくちゃ勇気を振り絞って声を掛けて来たように私には見えた。

 だというのに、天音は全く気付かずに一人で黒板を消している。

 とぼとぼと、三島は行ってしまった。その態度だけで、天音を好きなことが丸わかりだ。きっと、天音の声と、隠された可愛さに気付いてしまったのだろう。

天音はそんな三島の気持ちに全く気付いていない様子だが。

 三島も要領が悪い。

 こういうのは漫画ならいいと言われても、さっと手伝うものだ。それか、天音に声を掛けずに自分でやって、やっておいたぜ! なんて、さわやかに声を掛けるとか。

 それが、少女漫画の常識だろう!

 私は立ち上がって、黒板へと向かった。そして、もう一つの黒板消しを手に取る。


「あ、ちーちゃんありがと」

「もう時間ないし手伝うよ」

「助かる-」


 ほら、こうやってさらりと手伝えばいいのに!

 ちらりと三島を見るが……、あいつダメだ! 天音しか見てない!!

 ため息を吐いて、私は黒板に書かれた文字を消す。

 黒板のすみには今日の日直、天音の名字が書かれている。

 もちろん、藤沢。

 あまりに声がいいし、名字も同じだから、藤沢和孝と何か繋がりでもあるのかと思うこともある。遠い親戚とか。

 でも、まあ、さすがに、そんな偶然あるわけ無いよね!

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