第4話 炎帝の加護、紋章契約印はキスなのですかー!?

 美味しそうにプリンを食べ終えたフリード様が満足顔をしてる。

 フリード様はスッと椅子から立ち上がり、私の前に立つ。

 私は突然手首を掴まれ、フリード様の美形の顔が私に近づいてくる。


 お互いの顔同士の……、きょっ、距離が近すぎて……。


 私史上最高値、男性との顔のお近づき具合いが人生初の近さです。


 ドキドキしてる、心臓がやばいぐらい高鳴りを伝えてた。

 胸キュン耐心メーターを振り切り、キャパオーバーした全身が真っ赤に燃えちゃうよ。

 あー、もうだめ。私の頭からボンッと煙が上がったかも。


「フフッ、弥生、真っ赤な顔だぞ。夕焼けより赤いんじゃないのか?」

「あの、フリード様。私にあんまり不用意に近づかないでください! 男性に耐性がないんですから〜っ」

「からかい甲斐があるなあ。……あー楽しい」

「あんまりからかわないで下さい。もしかしたら鼻血が出て、それから倒れそうです」


 フリード様はお腹を抱えて、ハハハッとかゲラゲラとか笑い転げそうなぐらい豪快に笑った。


「あーおかしいっ」

「フリード様。従臣達に人が悪いとか言われません?」

「ふんっ、言われんぞ。顔を合わせて表立ってはな。まあ、陰でどうこうは言ってるかもな〜? ……ああ、そうだ、弥生。お前は行く場所、無いのだろう? この国最高位の俺のそばにいるためには何かしらの名目が要る。ならばとりあえず俺の恋人になっていれば安泰だ」

「安泰って……。いやです。好きでもない相手と恋人だなんて」

「ふーん。あのなあ、俺だって別にほんとの恋人って言ってるわけじゃない。契約だ」

「契約? 嘘の恋人?」

「そうだ。俺は昨今妻を娶れとうるさく言われてるのを回避できるし、お前はしばらくの衣食住を保証される。……どうだ?」

「それなら……。いや、でも……。やっぱいやですっ!」

「いや、か。なら、既成事実を作ってやろうか?」


 急に男の顔で迫られても、さっきまでのプリンを喜ぶ炎帝フリード様の残像があるのであまり怖くない。


「キスしたら殴りますよ? 甘党の皇帝様」

「プッ……ははははっ。するかよ、お前になんかそういう気は起きん。秘密をバラすといわないあたり、弥生はお人好しだな」

「しまった。その手があったか……。脅せば良かった? でも弱点を周りに触れこむだなんて、卑怯じゃありませんか?」

「うむ、卑怯か。なあ、弥生。お前は身を守るためならなんでもしろ。お前の世界がどうかは知らんが、この世界のこの国は魔物が棲み裏で悪巧みをする者が深淵で暗躍する国だ。必死で潰しても潰しても湧いてきやがる。お子様で世間知らずのお前は自分の身を守る術を取れ。魔物襲撃や人攫いや女を暴力で服従させようとする野蛮人に警戒しろ。ふーむ、……恋人がいやなら、弥生、お前は男装しろ」

「男装っ?」


 私はフリード様が語る不穏で物騒な異世界事情におののいていた。

 この一番国で偉い人であろう皇帝フリード様が一生懸命国を平和にしようと尽力しようが、魔物とか出まくりなんですね。


「男装もいやか、弥生?」

「いやではありませんっ! やります、男装! 前から興味があったんですよね〜」

「そうか。楽しみだな。弥生の男装した姿はなかなか見目麗しそうだ」


 フリード様が急に押し黙った。

 目つきが鋭くなる。

 さっきまでの笑顔や、私を楽しそうにからかう表情は完全に消えてなくなった。


「――誰だ?」


 テントの出入り口に向かって鋭い声を発する。


「そこに居るのは誰だ? と、この俺が問いている」


「ハッ! あの……フリード様っ」

「フリード、失礼する」


 冷たーい、抑揚を押さえたフリード様の声に、私の背筋が凍った。


 ええっ!? 違う人すぎない?


 こちらに気を遣ってかすぐには入ってこない、人影が二つ揺らめいている。


「その声その気配、セイロンとフェルゼンか。立ち聞きとは趣味が悪いやつらだな」

「フリード。ちょっと良いか」

「今か? 立て込んでる。客人がいるのでな」

「フリード様。森から出身の分からぬ女を持ち帰ったと噂になっておりますゆえ、じいは確認させていただきたく……」


 フリード様は私にウインクをして、くすっと悪戯いたずらに笑った。


 ――なんとそれから、なんでえっ!?


 私はフリード様にきゅうぅっと抱き締められていた。



「キャアアアアアアッッ!!」


 

「しっ、静かにしろ」


 こっ、これはいきなりですよ?

 予想だにしない行動……、困りますぅ〜。

 私、フリード様に、男性に免疫があまりないんですって言ったはずですよね?


 今度はフリード様に抱きすくめられ密着されたまま、小さな声で耳元に囁かれてくすぐったい。


「んーんっ、くすぐったい……です」


 急に抱きしめられてたけど、嫌じゃないのはなんでだろう。

 フリード様の美しい顔とがっしりとした厚い胸板に筋肉質の太い腕と均整の取れた体躯……、これは完璧、ちょっとイケメンすぎない?


 ああ、あったかあい……、いい匂い。

 香油かな?

 人肌のぬくもりとフリード様の心音が聴こえて、うっとりとして眠くなってきちゃった。

 安心感が半端ない。

 相性? こんな出会ってすぐの男の人に安心感っておかしいよね。


 あっ! あったかいとかいい匂いとか思ってる場合じゃない。


「気持ちよさそうな顔しやがって。……飼ってる犬のケルベロスもそんな顔で俺に甘えてくるぞ」


 ふたたび、フリード様に耳元でこそこそ囁かれると、うーん飼い犬のケルベロスくんの気持ちが分からんでもないなあとか思っちゃう。

 フリード様、動物好き? 犬とかに好かれるタイプなんだ。


「お前達、しっかり女の声が聴こえたろ? たっぷり可愛がってやってるところだ。……セイロンもフェルゼンも、あと小一時間……いや、二時間は邪魔すんな。俺はその連れ帰った女とお楽しみ中だ」

「信じられん。本当にフリードが女と契りを……?」

「まことですかっ!? ううっ、じいは嬉しいですぞ。女っ気が、まあ――ったく無かったフリード様が……おおっ! ああっ、これはこれはめでたいっ! 今夜はお祝いですね。それでどこのご令嬢ですか?」

「……フェルゼン、どこかのおしとやかなご令嬢が魔物ウジャウジャのあの森にいるってありえないと思うんだけど」

「なんらかのご事情で逃げ出されて襲われてたところをフリード様がお助けになったとかでは? ねえ、フリード様」


 ゴブリンの集団に襲撃されていたのは本当だけど、あいにく私はおしとやかなご令嬢でもお姫様でもない。

 それに、まかり間違っても炎帝フリード様の恋人じゃないしっ!


「お前らうるさいっ! いますぐ去れっつってんだよ。お楽しみって言ってるのが聞こえねえのか? 短時間で契りを済ます。この者と交わすコトが終わったら会議を開くから昼に皆を広場に集めろ。それまで鍛錬しろと近衛重騎士団と兵士勢に伝えよ」

「は、はっ、はいっ、フリード様ぁ! 御意〜」

「御意」


 人の気配がなくなってから、フリード様が抱きしめていた私をそっと離す。

 フリード様にくっついていたあったかさがすぐ奪われて冷えていく。

 ちょっと、寂しいな。

 男の人に抱きしめられたのは初めてで。

 でも、亡くなったお父さんに抱っこをせがんでしてもらったことを遠い記憶から思い出していた。


 さっきのがセイロンって人とフェルゼンって人か。


「どうした? 俺の腕の中は居心地が良かったか?」

「ばっ、馬鹿言わないでくださいっ! ……あの……、あのね、亡くなった父のことを思い出していたんです」

「そうか。……俺も父はいない、殺されたからな。母も居ない。幼い頃、盗賊団に攫われたっきり所在不明だ。乳母も殺され、幼い兄弟たちは暗殺されたり魔物に玩具のごとく絶命させられた」

「そんな……」

「弥生が父を思い出したくば、いつでも抱きしめてやる。願ってみろ、応えてやるから、俺には甘えても良いんだぞ? 寂しいときの慰みものでも俺を欲してくれるなら、ひと時のぬくもりと安らぎを与えてやろう」


 やだ……。

 フリード様の優しい言葉に、私は喉の奥がツーンとしてきて。……思わず泣きそうになる。


「どう、して。どうして……フリード様は会ったばかりの私に優しくしてくださるのですか?」

「泣くな。……いや、いいか。俺の前では思いっきり泣けよ、弥生。ああ、どうしてってそんなの分かんねえよ。……強いて言うなら、胸が痛むからか? もしくは誰かに似てんのかも知んねえし。兄弟か、母か。……昔のこと過ぎてどうかな。じゃあ、俺の飼い犬のケルベロスに似てるってことで」

「勇猛でかっこいい犬って感じで、ぜんぜん可愛くなさそうですね」

「かわいいぞ。チワワって種類だ」

「チワワ……?」


 異世界にもチワワとかいるんだ。面白い。


「弥生の涙は美しいな」

「あっ」


 フリード様が私の両頬に手を添え包むようにすると、私の目元の涙に口づけた。


「ひゃあっ!」

「驚きすぎ」

「あっ、あっ、あっ。だってだって! そんなの誰にもされたこと無いですから! こんなの初めてですから」

「……お前が照れると俺も照れるだろうが。いっそ俺の女になるか?」

「それはイヤですぅっ!」

「イヤなんだ。うーん、何故だかなあ。……あのな弥生。お前、可愛いだけにその物言いはちょっとムカッとするな。あまり全力で拒否られるとプライドが傷つくと言うか、……フフッ、悪戯心をくすぐられると言うか……」


 ニカアッっと何かを企んでる子供みたいに笑ったフリード様。

 私はフリード様に両肩を掴まれた。

 私の顔に、フリード様の作る影が落ちて少し視界が暗くなる。


「えっ、なにっ? ……フリード様?」


 フリード様に鎖骨に素早く口づけられ、私はパニック!

 熱い刻印が押されたみたいに、じゅわっと熱が残る。

 といっても、火傷するほどじゃなくホッカイロぐらいのあったかさ。


「あわわわわっ! なんてことをっ」

「ばあか。これは契約だ。俺のなかにある炎帝の紋章を使ったな。そのへんの大魔法使いの施す魔法契約よりもっとずうっと強力な加護をお前に与えたんだ。……フッ。弥生、まさか、……はしたない妄想でもしたのか?」

「はしたないって。分かりませーん」

「俺がお前を襲うとか。えっちなことでも、考えたんじゃねえの?」

「異世界でもえっちとか言うんですね」

「言うだろ。他にあるならなんて? ああ、エロい妄想? 弥生って子供のくせに役立たない知識や情報量はありそうだな。誰ともそういうことすんなよ、千年早いわ」

「そういうことって……、キスとかですか?」

「ああ、そうだ。ここで暮らすのなら、俺はお前の保護者と同等。お前に施した加護は俺の絶対庇護であり縁と関わりをしめす。どこの馬の骨とも知らねえ男なんかといちゃつくなんざ、許さねえ。そうなった時には、相手の男ただじゃおかねえから。肝に命じておけ」

「花嫁にやりたくないお父さんみたい」

「ああっん!? 文句あっか。保護者とは言ったが俺はそこまで年取っちゃいねえ」

「ええっ? あの、フリード様っていったいお幾つですか?」

「もうすぐ19だ」

「はあっ?」

「だーかーら。さ来月には19歳になる18歳だっつってんだよ」


 なんだ二つ三っつしか、私と歳変わらんやん! (←なぜか関西弁)


「なんだよ? なにが言いたい? 言え。弥生にそうニヤついた顔で黙ってられるとムズムズするー」

「18歳で皇帝とか大変ですね。……女性と付き合ったりって経験がない場合、跡取りとか早くしろって言われんのすごいプレッシャーになってしまいますものね。くすくすくす……フリード様だって彼女とか出来たことないんでしょう?」

「――ゔぁッ……! くそっ、歳を白状するんじゃなかった」

「そのお顔ですからね、期待されちゃいますもんね。……お似合いになりませんよ。女慣れしたふりして背伸びして振る舞って。ぷぷぷっ、……私には効きませんから」

「調子に乗んなよ。……キスぐらい出来るかんな」

「いつ?」

「今だっ! 今してやる」

「だめですよ。もう今更そんな大人な顔したって」


 なんだ。皇帝とか炎帝とか言ったってあんまり私には怖くないと思った。

 こんな風にしてじゃれ合うのって楽しい、かも。


「あとでハンバーグとオムライスっていう美味しいごはんを作ってさしあげますね。フリード様」

「ハンバーグ? に、オムライスぅ? なんだそれ」

「私の世界ですっごく人気の料理です。美味し〜いですよぉ? 老若男女のですね、性別や年齢の隔てなく好きな人が多い庶民のご馳走なんです。フリード様、ぜったい好きだと思う! ほっぺたが落ちちゃうかもしれませんよ?」


 私はついつい熱く語ってしまった。

 しかも、フリード様の両手を握りしめて。


 フリード様は真っ赤な顔をして目を見開いて黙っていた。


「私の勢いに気圧されちゃいましたか?」

「……いや。責めるのは平気だが、責められるのはどうも慣れない。……恥ずかしい」


 あっ、やば。

 調子に乗ったかな〜?


「へっ? フリード様は何を今さら? どこの口が恥ずかしいとかって言っちゃってんですか! フリード様ってば、ついさっき私の目元にキスしたり、鎖骨に紋章印の口づけ契約したくせに……」

「ゔゔっ、なんか卑猥に聴こえるからやめろ。……俺が弥生に、無理矢理とんでもないことしたみてえじゃんか」

「あのね、無理矢理ではないですし、……えっとぉ、イヤじゃなかったですよ? ぜんぜ〜ん。だって私のためでしょう? とにかく今日のランチは、私が作るオムライスにハンバーグですからね。分かりました?」

「ふっ、ふ〜ん。……まあ、楽しみだな。弥生お前、……まったく調子の狂う女だ。そうだ、いつでも男装はしとけ。信頼できる侍女を付けてやるから変装しろ。弥生、お前は今日からこの国では俺、皇帝フリードの縁戚の者だ。弥生は『辺境伯の息子で、地方から上京して料理人を目指してる少年』ってことにしてやる」

「それは良いですね」


 この時の私はまだ呑気だったの。


 それに加え、お母さんとお姉ちゃんを捜す使命に燃えていたから。


 異世界召喚転移ハイとでも言うべきか、かなりテンションが異様なぐらい高かった。


 これから望まぬ大騒ぎと炎帝フリード様が狙われる大事件に巻き込まれていくだなんて、想像もしていなかったのだ。

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