清澄庭園

@inugamiden

清澄庭園

 夏が光る。

 洪水を思わせる日向が、その砂金のような夏の光を、川底で輝かせている。その川底こそが、木陰だった。私は、清澄庭園きよすみていえんの中を歩きながら、景色を見ている。庭が、ある種の生きた屏風びょうぶとして、自然界の前でひらかれ、その中で歩く者を、すぐれた絵師の作品へ変えてしまう、散策の妙味が、私をとらえている。

 この庭の受付で、パンフレットをもらうと分かるのだが、清澄庭園こそ、日本つつうらうらからあつめられた銘石めいせきの宝庫だった。銘石と宝石の区別こそ、短絡的なものはなく、宝石は、証人欲求の値札がついてくるが、銘石は、純粋なおもいいれの値札がついてくる。山紫水明さんしすいめい――、この日本由来の四字熟語のごとく、あらゆる自然石、その大地の指紋が、生まれてくる背景、歴史、風土、そのすべての証人が、銘石だった。そこへ想いを馳せ、日本の上で舞う風の声へと耳をすませる。すると、玲瓏れいろうなこころもちが生まれ、私を千里の旅へつれてゆく。銘石が、その虚妄きょもうを、引き受けてくれる。

 この庭の中央でさざ波を心地よく湛える泉水が、天地逆転の木々の青を映している。私は、〈磯わたり〉と呼ばれる、大きな臼の形の飛び石を踏んで、泉水の上を歩く。石の底で砕かれやわらかく渦を巻くさざ波の小さなしぶきが、金平糖こんぺいとうのような形の光を、水面の上へ縫ってゆく。その磯わたりの上で私はしばらく佇んで、寡黙かもくな男をえんじていると、鯉がわらわらと集まって、えさを求めてくる。無論、無断で餌を与えることは禁じられている。そんなうろこで織られた錦の生地を裂いて、すっぽんが悠々と泳いでくる。すっぽんに限ることなく、亀甲きっこうむしが、泳いできて、餌を求めてくる。そのふてぶてしさ、邪心なく求める、あるがままの摂理、これこそ、庭のあるべき姿の、縮図だった。

 私は、散策をひととおり終えて、富士を模したとされる築山つきやまをながめながら、休息所の長椅子の上で、夏の声を聞く。

 蝉の声が、石の中へしみいる。

 そうか――、

 ここ深川こそ、あの『奥の細道』の、最初の出発地であった。そう、私は思い出して、一句をそらんじた。


 しずかさや岩にしみ入る蝉の声

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