あなたが知ってる浜辺美波はせいぜい2割

木沢 真流

すべてはここから始まった

 2011年1月9日、都内某所。

 応募者総勢4万4120人の頂点を決めるオーディションが開催された。

 過去に沢口靖子、長澤まさみなどを輩出したこのオーディションでグランプリを勝ち得た者には、今後の芸能活動における約束された未来が待っている。

 その名も——


 第7回東宝シンデレラオーディション。


 浜辺美波は当時10歳。彼女もこの大勢の参加者に混じって、グランプリを獲るべく頂点を目指して邁進していた。代表的な彼女の歴史で最も古い記録を辿ろうとすれば、必ずここに行き着く。

 このオーディションなしには彼女を語れない。ここは彼女のスタートであり、初めて実力を世に知らしめた場所であり、同時に耐え難い屈辱の場所でもあった。


 時はさらに遡り、西暦2000年。

 2000年といえば、年の初めには政府が2000年問題の安全宣言を発表し、2000円札が発行、イチロー選手のマリナーズへの移籍が決まるなど日本中が沸いた陰で、一年後の9月11日、世界を大きく変えてしまう事件が起きるとはだれも予想していなかった8月、浜辺美波は石川県で産声を上げた。

 美波、という名前はタッチが好きだった親御さんが「浅倉南」のからとった。

 浜辺に打ち寄せる美しい波。聞くだけで心地いい景色が彷彿されそうなこの名前、実は本名だから驚きである。ご両親のネーミングセンスに驚かされると同時に、これから始まる彼女の色鮮やかなドラマがもうこの時すでに始まっていたということを物語っている。


 2011年1月。当時歯科医師志望だった浜辺美波は、第7回東宝シンデレラオーディションに応募することになった。

 このオーディションで賞を勝ち得た女優がやがて、日本を牽引することになる。結論から言ってしまうと、グランプリは上白石萌歌、当時10歳。審査員特別賞に姉の上白石萌音と前述の浜辺美波を合わせると、その後の日本の女優界の勢力図がおよそ10年前にはほぼ決まっていたことになる。

 では浜辺美波のオーディション結果はどうだったのか。

 彼女は持ち前の明るさと笑顔で審査員を魅了し、こんな面白いエピソードも残っている。退場の際、履いていたパンプスが誤って脱げてしまったときのことである。大きな舞台で審査員のみならず多くの人が注目している中での失態。通常の10歳であればパニックになってしまってもおかしくない。

 しかし彼女はにこっと微笑んで、こう返したという。


「シンデレラオーディションだからいいですよね」


 自分のパンプスとガラスの靴をかけ、見事にそのミスを微笑ましいワンシーンへと変えて見せたのだ。そのユーモアと度量が響いたのか、グランプリは逃したものの、彼女はその回だけ特別に制定された「ニュージェネレーション賞」を受賞することになる。

 この子はいずれ何か大きなことをしてくれるかもしれない、そんな期待が審査員をも動かしたのかもしれない。


 初めての大舞台でここまでの華々しい活躍をしながら、後々彼女はこのオーディションについてこう語っている。


「このオーディションは私にとっては屈辱だった」と。

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