第2話 確かに見たことない〝新しい世界〟だけど、こういうこっちゃないんですよ

 内気で気弱な、ごくごく普通の16歳女子を自称する栄海さかみ奈子なこが、ひょんなことから〝サッカー〟の女王を目指すことになった――


 というのが昨日の話である。繰り返す、昨日の話、である。


 そんな奈子が本日……高校生の貴重な土曜日の休日を潰してまで訪れているのは、奈子の住む町からは三駅ほど離れた場所にある、有名な国立競技場の前。


 広大な敷地には、室外用と室内用の競技場がすんなりと収まるほどで、充実した設備のおかげか大規模なスポーツ大会が開かれることもある。


 良く見れば行き交う人も、一般的な老若男女や家族連れ以外に、格闘技と思しき道着を身に纏った〝いかにも〟な雰囲気の人物も確認できた。


 ここを待ち合わせ場所に指定したのは晃一だが、内気で気弱な奈子にしてみれば、何となく居心地も悪くなってくるのだろう。制服で構わない、とのことだったので、普段のブレザー制服を着てきたのも、雰囲気が浮いて失敗だったかもしれない。


 奈子がそわそわと身動ぎしていると、正午ピッタリとなった瞬間に、木郷きざと晃一こういちが姿を現す。待ち合わせの時間としては秒の遅れすら無いが、不安になっていた奈子には文句があるようで。


「あっ……こ、コーチさん! もうっ、どういうことなんですかっ! こんな――」


「ふむ、時間には遅れていないようだが。……フッ、緊張しているのか? なるほどな、確かに今日という日は、奈子が《サッカーの女王》としての第一歩を踏み出す日。緊張するのも仕方がない――」


「いえ、そういう話ではなく。……昨日の、メッセージでのやり取りですよ。私が〝サッカー〟について質問した時の」


 ……どうも文句は、今ではなく昨日の話らしい。


 さてここからが問題の、奈子と晃一が行った昨晩のメッセージのやり取りである。


※以下、『Qが奈子』『Aが晃一』。


『Q:あの、サッカーって、本当に何なんですか?』

『A:スーパーとかで買い物袋に商品を詰め込む人のコトだ』


『Q:……じゃ、じゃあその、サッカー選手って何なんですか?』

『A:サッカーに命を懸け、熱き想いを燃やし、やがて遥か高みに至らんとする求道者だ』


『Q:いえそういう、抽象的な話じゃなくて……あ、じゃあサッカーの大会って何なんですか? 試合とかあるんですか?』

『A:試合はある。サッカー選手たちが一対一で、互いの誇りを賭し、磨き上げた技を披露しあい、魂をぶつけ合う……美しきスポーツにして、格闘技。それこそがサッカーだ』


『Q:私、今日知ったばかりで、誇りも磨き上げた技も別にないんですけど……ていうかスポーツなのか格闘技なのか、どっちなんですか?』

『A:フッ……面白いな』


『Q:〝フッ〟じゃないですし〝面白い〟じゃないんですよ。ちゃんと答えてくださいよ。私は一体、明日なにをさせられるんですか』

『A:フッ……それは明日、来れば分かる』


 基本、まともな答えが返ってこないという、恐るべき事態。


 思わず頭を抱えそうになる奈子だが、昨晩のことを思い出しながら、最後の質問について言及する。


「それで……最後に私が『Q:じゃあ、私の一体どこに、その……サッカー選手? の素質とか何とかを、見出したんですか?』って聞きましたよね。その答えが、コレだったんですけど」


 言いながら奈子が、自身のスマホに表示された、晃一の返答を直接突きつける。




『A:フッ』




「今からの答えによっては、ビンタも辞さない覚悟ですよ? 私」


 奈子は内気で、気弱……?

 ……いや、そんな奈子でさえ、気が昂らずにはいられない、ということだろう。


 それはメッセージでのやり取りのせいなのか、あるいは奈子のサッカー選手としての本能が闘争心に火を付けたのか。

 奈子本人が聞いたとすれば「絶対に後者ではないです」と答えそうだが、果たして晃一の出した答えとは、次のようなものであった。


「フッ」


「すみませんコーチさん、ビンタは間違いでした。グーでいきますね、グーで」


「待て、早まるな奈子。答えは今から出すつもりだった。いいか、良く聞け」


 細く小さなお手々をグッと握り込んだ内気で気弱な奈子が、容赦なく拳を振り上げようとするも、晃一は低く落ち着いた声で言う(やや慌てていた気はするが)。


「いいか、奈子……今のキミに、サッカーの素質の何たるかを言葉で教えたところで、理解はできまい。キミにとっては未知なる世界、求めるべきは小難しい理屈ではない。実感を伴った、体験なのだ。そう、キミはまだ……初心者なのだからな」


「その初心者をいきなり大会だかに放り込むって、よっぽど無茶だと思うんですけど」


「………奈子!」


 突如、一声を放った晃一がサングラスを外し、奈子の両肩に自身の両の手を置いて、真っ直ぐに向き合う。


「きゃ。……あ、あの!? ちょ、急に何を……か、顔、近っ……」


 戸惑い慌てる奈子からは、内気で気弱な様子が窺える。よかった。いや違う、別にそれはいい。とにかく。


 真っ向から奈子の目を見つめ、晃一は静かな熱を帯びた声を、言い聞かせるようにゆっくりと放つ。


「奈子、キミにしてみれば今まで見たことのない〝新しい世界〟に、不安もあるだろう、恐れを抱いてさえいるかもしれない。だが、それでも……それでも、だ」


 言葉の熱は徐々に温度を高め、炎にも似た魂の一声を、晃一は発した。




「自分自身が信じられないのなら――俺を、信じろ。

 栄海奈子、キミの才能を信じる――コーチである俺を、信じろ」


「! ……コーチさん……」




 晃一の言葉に、感銘を受けているのだろうか。

 見つめ合ったまま暫し無言だった奈子は、やがてゆっくりと、その小ぶりな口を開き。


「ロクにコーチングとかしてもらってないのに〝信じろ〟って言われても、困るんですけど……そもそも昨日の今日っていう話ですし。せめて質問に、質問にくらいは答えてくださいよ。私にどんなサッカーの才能があって、一体何をすればいいんですか?」


「フッ……さすがだな、奈子。内気なようでいて、芯をしっかりと持った聡明さ。いや……あるいは奈子に芽生え始めているサッカー選手としての本能が、勢いに流されない冷徹なる思考を発揮しているのか?」


「絶対に後者ではないです。……というか勢いって言いましたね今。勢いで誤魔化そうとしてたんですか? ちょっとコーチさん、ちゃんと答えてくださいよ、ねえ」


 内気で気弱な奈子ではあるが、人差し指でツンツンツンツンと結構強めに晃一をつつく。


 それでも、相変わらず〝フッ〟と不敵な笑みを浮かべる晃一。

 対して奈子のお手々が〝グッ〟と握りしめそうになるも、どうにか堪えたようで不満を口にした。


「もうっ、大体そんな訳の分からない競技……競技と口にするのも、何だか憚られますが……とにかく、大会なんて開けるくらい、人が集まるんですか? 正直、良くて二、三人くらいしか集まらないんじゃ――」


『――あらァ? そこにいらっしゃるのはァ……サッカー界じゃァ有名なコーチさんじゃァなくって?』


「え。……コーチさん、そんなに有名なんですか? って、一体どちら様……きゃっ!」


 声のした方へ振り返った奈子が、驚きに声を上げると――そこには。


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